好きな人は?
「乾杯」
館林がそう言い、ミヒロとアイリーンがコップをカチンとぶつける。
送別会はお昼に開かれ、参加したのは館林とアイリーン、そして主役のミヒロだった。
パトリックは今日は体調が悪いということで参加していなかった。
ミヒロは彼に最後の日に会えないことにほっとしたような、悲しいような不思議な気持ちになっていた。
「ミヒロ、これうまいぞ。食べて見ろ」
ぼーとしていた主賓に社長がそう声をかける。
送別会の場所は赤線地域にある中華料理屋だった。
やはり館林はそこの店員を仲が良いらしく、親しげに話している。
アイリーンはもくもくと目の前の野菜炒めや、海老のコーンフレーク揚げ、餃子などを食べていた。
「これは、豚の皮をチリで炒めたもので、こりこりして美味いぞ」
箸をつけようか戸惑っているミヒロに館林はそう料理について説明する。彼女はおずおずと手をつける。
口の中にまず辛さが広がり、喉まで辛さが達して、思わず咳込む。
「Drink water(水を飲んで)」
アイリーンにアイスティを渡され、ミヒロは流し込むようにして飲んだ。
「辛い!これいじめですか?」
「ははは。悪かったな。でもこれくらいこの国では辛いうちに入んないぞ。Aillen, it is not spicy, right?(アイリーン、これは辛くないだろう?)」
「Yes, but she is a foreigner, I think she feels spicy.(ええ。でも彼女は外国人だから、辛く感じるかもしれないわ)」」
「Aileen, you can’t say that! I’m a foreigner, too!(アイリーン、そういう風に言うもんだないだろう。俺だって外国人だぞ)」
「Oh I see (ああ、そうでしたね)」
アイリーンはそうだったと肩をすくませて答える。
ミヒロは館林とアイリーンのやり取りに苦笑しながら、アイスティーを飲んだ。まだ舌がひりひりと痛むようだった。
初日アイリーンを見た時や、レストランで脅された時はとても怖い人だと思ったが、こうやって食事をすると普通に笑ったりしていたので、ミヒロはほっとしていた。
「じゃ、アイリーン, See you」
「Thank you! See you again(ありがとう。また会いましょう)」
送別会を終え、アイリーンと店で別れた。彼女は相変わらずクールでミヒロに特別な言葉をかけるでもなく、普通に手を振るとミヒロたちに背を向けた。
「ミヒロ、どこか行きたいとこあるか?」
アイリーンの背中を見送った後、車に乗り込み、館林は助手席のミヒロにそう聞く。館林に見つめられ、ミヒロはやはりどきどきするのがわかった。でもそれが昨日まで恋だと思っていた感情とは違うような気がしていた。
「とりあえずアパートに戻るか」
ミヒロから答えがなかったので館林はそう解釈し、車を走らせた。
「ミヒロ。パトリックが気になるか?」
「!」
車を5分ほど走らせて、館林が窓の外を見ていたミヒロにそう尋ねる。予想外の言葉にミヒロはぎょっとして館林を見る。しかし、当の館林は前を見たまま、いつもの笑みを浮かべてハンドルを握っていた。
「昨日お前は俺が好きだと言ったけど。俺はそうは思わない。単なる勘違いだ。まあ、俺はかっこいいからな。勘違いするのはわかるけど」
館林はミヒロをちらりと見るとそう言った。
「……どうしてそんなことがわかるんですか?」
ミヒロはなぜだか反抗したくなり、館林を睨みつける。なんでもわかっているような館林の様子がなんだから頭にきた。
館林はふいにハンドルを切り小道に車を寄せると止めた。そしてミヒロを見つめる。
「自分の気持ち、確かめてみるか?」
館林の茶色がかった瞳に見つめられ、ミヒロは一昨日みた夢を思い出す。
夢同様、館林の目はきれいで、吸い込まれるようだった。
館林は体を傾けると、ミヒロの頬を優しく触れた。
ミヒロは近づいてくる館林の顔を感じ、目を閉じた。
(願っていたことだった。館林に優しいキスをされる。あの夢と同じ……)
しかし、館林の唇がミヒロに触れようとした瞬間、ミヒロは両手を突っぱねて拒否した。
館林はくすっと笑うと体を運転席に戻す。
「ほらな。違うだろう?」
「……!」
ミヒロは自分の顔が真っ赤になるのがわかった。
「パトリックの家まで送ってやる。最後の日だ。後でアパートから荷物を取るのを忘れるなよ」
館林はミヒロの頭を優しく撫でると、シートベルト締め車を発進させた。
「パトリックの家は5階の5115だ。空港へは俺は送らんからな。帰る前にメッセージをくれ」
館林はすこし古ぼけた公共住宅の下でミヒロを降ろすと、がんばれよっと手を振り、車を出した。
ミヒロは深呼吸すると、パトリックの部屋に行くためにエレベータに乗った。
エレベーターは事務所のあるビルのものよりはスムーズに上に上がった。そして、5階で止まったのを確認すると、5115室を探すために降りた。
家の前まで来て、ミヒロは足を止める。
館林を好きだと言っていた自分が、今パトリックの家の前にいる。
自分で自分の気持ちがわからなかった。
でもあの時、館林にキスをされるのが嫌だったのは確かだった。
呼び鈴を探したが見当たらず、ミヒロはドアをノックする。
しかし、反応はなかった。
何度かノックしたが人の気配がせず、あきらめて帰ろうと背を向けた時、ギイとドアが開いた。
「ミヒロ?」
Tシャツに短パン、ぼさぼさの髪で現れたパトリックはミヒロの顔を見ると、目を見開いた。
「……大丈夫?」
ミヒロの口から最初に出た言葉はそれだった。
「Yah」
ミヒロの言葉で自分が今日体調が悪いと送別会を断ったことを思い出し、パトリックは自虐的に笑う。そしてミヒロをじっと見つめた。
「 Would you like to come inside?(中に入る?)」
パトリックはぼさぼさの髪を触りながら淡々とそう尋ねる。
「……うん」
ミヒロはいつもと違うパトリックの様子に緊張しながらもうなずいた。
パトリックの住んでいる場所は必要最低限のものしか置いていないこざっぱりした場所だった。
床は白いタイルで部屋は二つあった。玄関を入ってすぐのところはリビングルームになっており、パトリックはそこにミヒロを案内した。
ソファに座るようにミヒロに勧め、パトリックはキッチンに向かう。そして缶ジュースを持ってきた。
「Shin-san sent you here?(シンサンがここに送ったノ?)」
斜め向かいの椅子に座り、ミヒロに缶ジュースを渡しながらパトリックはそう聞く。髪型と服装のせいか、本当に別人のようでミヒロは緊張するのがわかった。
「Yes」
日本語を話そうとせず、英語でそう聞くパトリックにミヒロはますます緊張し、うなずく。胸が締め付けられるような感覚に、この場から逃げ出したくなった。
「Today is my last day. So before leave, I wanted to say “Good bye ”(今日は最後の日だから。帰る前に、さよならを言おうと思って)」
「I see (そう)」
勇気を出して口に出した言葉にパトリックは感情が読み取れない口調でただそうつぶやく。そしてじっと目を細くして、ミヒロを見つめた後、口を開いた。
「Why did you come here? Do you understand how I feel? (ナンデココニキタノ?ボクがどんな風に感じてるかワカルノ?)」
パトリックはミヒロを見据えて、苦しげにそう言葉を吐き出す。
「……sorry, I’m leaving now (ごめん。もう帰るから)」
ミヒロはそんなパトリックを見ていられず、ぎゅっと目を閉じると立ち上がった。
(来たら行けなかった。なんで来たんだろう。何を言いたいんだろう)
ミヒロは泣きそうな自分を叱咤して、ドアに向かって歩き出す。
「ミヒロ!」
パトリックはそう名を呼ぶとミヒロの腕を強く掴んだ。そしてその体を引き寄せる。
「ドウシテキタノ?」
逃げられないようにミヒロをその腕に抱き、パトリックは耳元でそう囁く。ミヒロはその声音に眩暈がしそうになった。
「Because you like me? Or you just feel sorry to me?(ボクを好きダカラ。ソレトモ同情?)ダッタラ一緒にイテ。ボクをイヤシテ」
それはかすれた声だった。泣いているようにも聞こえた。 ミヒロはパトリックの顔を見れなかった。パトリックはミヒロをその胸に引き寄せ、その肩に顔を押し付けていた。抱かれた腕から、胸からパトリックの切なさが伝わり、ミヒロの胸が締め付けられる。
「……好き。私はきっとあなたが好きだと思う」
「キット?」
パトリックはミヒロの言葉にくすっと笑う。
「I don’t care. I just need you (何でも構わない。ボクがただ君が必要ダ)」
そしてそう言うと、ミヒロに深くキスをした。ミヒロは抵抗しなかった。ただ静かに目を閉じた。