第6章 地獄の番犬
目を醒ます僕。
「目が醒めたようだニャン」
猫はいつものように机に腰を掛け足を組み煙草を吸っている。
「今日は一体何日だろう?」
僕は万年床の中から訊く。
「今日は12月14日だニャン。時間は朝の7時30分だニャン」
「あの女の子はどうしたんだい?」
「電車に飛び込み死んだニャン」
「え?!」
「少女は自分の命と引き換えに、お前を生き返らせる事だけを願って、電車に飛び込み死んだニャン」
僕は絶句した。
「少女の願いは叶えられただニャン。お前は生き返っただニャン」
猫はじっと僕の顔を見る。そして、
「少女が死んだから屠殺も消滅しただニャン。もう屠殺は発生しないだニャン」
と付け加えた。
自分の命と引き換えに僕を生き返らせただって?あの女の子が一体どれほどの想いで電車に飛び込んだかと思うと、僕は胸が一杯になった。彼女はまだ12才なんだぜ!
「世界は救われただニャン」
猫はそう言うと煙草を灰皿に突っ込んで揉み消し、側に置いてあったゲーテの「若きウェルテルの悩み」をまた読みはじめた。僕は居ても立ってもいられなくなり部屋を出た。猫は何も言わなかった。
僕は階下へ。リビングのソファに腰を掛け、母の後姿を眺める。台所で同窓会の準備をしている60歳過ぎの母。
机の上には母の愛読書が置いてある。芥川龍之介、三島由紀夫、そして川端康成「雪国」。
「卵は買っといたし、お漬け物も冷蔵庫にあるから。お茶漬けでもインスタントラーメンでも、なんなっとし!」
母の挨拶代りの一声。同窓会中の僕の食事の指示だ。
僕は母の初恋について訊こうかと思ったがやめる。訊いたところで何の意味も無いのだ。
「ご飯が無くなったら自分で炊きや」
僕は、
「わかった、わかった」
僕は母から逃げ出すように家の外へ出る。と、低い唸り声が聞こえた。犬だ。庭に犬が迷い込んでいる。
僕にはその犬が女の子の連れていた小犬である事がすぐにわかった。猫が言っていた通り僕でも勝てる小さな小さなチワワだ。
だが小犬は女の子に連れられて公園で見た時の、茶色のサラサラとした美しい毛並みではなかった。全身に大量の返り血肉を浴びた、生臭く生温かい異形の様相だった。そして何より目の色が違う。公園で見た時のあどけない目ではない。狂怒の目が大量の返り血肉を浴びた顔から覗いていた。
まるで地獄からの使者だ。
女の子の小犬は全身を震わせながら狂った様に吠え出した。と同時に小犬の体に付着していた肉塊が、ズルリと小犬の体を伝い、ベチャリと音を立て地面に落ちはじめた。
僕は女の子の小犬に吠えつかれたまま、身動き出来ずにその場に立ち尽くしていた。
地獄の番犬に取り憑かれたまま、
いつまでも
いつまでも
(完 最終更新日23年04月11日)




