第2章 12月11日
「吾輩は神であるだニャン」
夕食後、紫煙をくゆらす至福の一時、猫はそう言うと立ち上がり、2本足で歩き、僕の万年床の枕元にある煙草とライターを手にした。
その猫を僕は学生の頃から飼っていた。
「20年生きた猫は人間の言葉を喋り出す」という言い伝えは本当だった。「20年生きた猫は化け猫になる」という言い伝えだったろうか?
とにかく猫は喋り出した。
猫は机に腰を掛け足を組み煙草を1本抜き出し、慣れた手付きでライターを使って火を点けた。そして美味そうに煙草の煙をふっーと天井に向けて吐き出した。
「神である吾輩がお前に命令するだニャン!12月14日にお前がいつもウォーキングをしている公園で少女を殺せだニャン!」
デッサン用の石膏像より深い沈黙が訪れた。
猫は溜息をつくと、
「馬鹿なお前にも分かり易く、順番に説明してやるからしっかり聞けよだニャン!質問は説明が終わってから受け付けるからなだニャン」
と言った。
机の上で尻尾だけが猫の意思とは関係なく、猫とは別の生き物の様にパタリパタリ、ピクリピクリと動いていた。
「A 今年の夏、少女は公園でお前に一目惚れしただニャン。だがお前はその少女に気付かなかっただニャン。それが少女の失恋だニャン」
「B そして夏の終わりから吾輩達が屠殺と呼んでいる現象がはじまっただニャン。老若男女を問わぬ無差別殺人だニャン」
「C 犯人は少女の無意識だニャン」
「D お前は少女を殺して屠殺を止めなくてはならないだニャン。少女は12月14日に公園に現れるからそこで殺すだニャン」
「以上、質問はあるかだニャン?」
猫は煙草の煙をふっーと天井に向けて吐き出した。
僕は沈黙が恐ろしくて、猫の言う「質問」をした。
「Bの屠殺だけど、貞子みたいに心臓発作で殺すのかい?」
貞子て知ってるかい?と訊こうとしたが猫は構わずに喋りだした。
「屠殺とはある日突然、頭のてっぺんから足の爪先までが内側から一度に爆発するんだニャン。その現場はそりゃひどいもんだニャン。人類がこれまで目にした事のない光景だニャン」
「それはジェイソンやフレディみたいな奴がそんな事をするのかい?」
ジェイソンやフレディて知ってるかい?と訊こうとしたが猫は構わずに喋りだした。
「いや、実体はないだニャン。屠殺という現象だけが起きるだニャン」
「夏の終わりからという事だけど……その屠殺という現象が起きているという証拠はあるのかい?」
猫は机の上のペンスタンドからペンを抜き出すと、そこらに散らばっていた紙の上でサラサラと滑らせ、僕に手渡した。そこには4人の名前と月日時分、住所が書かれていた。達筆だ。猫のくせに僕よりはるかに字が上手い。
「嘘だと思うならその情報をインターネットで検索してみろだニャン。8月、9月、10月、11月と毎月1人ずつ屠殺が発生しているだニャン。老若男女を問わぬ無差別殺人だニャン。12月の屠殺は何としてでも止めなければならないだニャン!」
僕の知らない名前に、僕の知らない土地の住所。そこにはインターネットで検索する必要は無いと思わせる神懸かり的な説得力があった。この猫の言っている事は本当だ。
「じゃ、Cだけど、犯人は少女の無意識ってどういう意味だい?」
「屠殺は少女が生きてゆく為に、少女の無意識が産み出した方法だニャン。そうする事でしか少女はお前への失恋を乗り越えて生きてゆけなかっただニャン」
僕は流石に唖然とした。
「その女の子は心に問題を抱えていたのかい?学校でいじめられているとか両親が離婚したとか?」
「全く普通の少女だニャン。両親に愛され、友達と仲良くし、12才の誕生日に買ってもらった子犬を大切にする心優しい少女だニャン。蟲愛でる少女だニャン。今日まで吾輩をいじめてばかりいたお前とは正反対だニャン」
「12才?少女って12才なのかい?」
僕は少女と言われ、てっきり女子高生だとばかり思っていたのだ。
「そうだニャン。何か文句があるかだニャン?」
僕はゴクリと生唾を飲み込むと、
「そんな12才の女の子が、何故屠殺なんてホラー映画みたいなグロテスクなものを産み出すんだい?」
「少女の内界を表しているだニャン」
「ないかい?」
「少女の心の世界だニャン。お前に12才の少女の心は理解出来ないだニャン」
猫は大きなあくびをした。
「その女の子は自分が屠殺の原因だって知らないのかい?」
「知らないだニャン。屠殺の原因は少女の無意識だニャン。少女は残り少なくなった小学校生活を毎日楽しんでいるだニャン」
「で、Dだけど、何故僕が女の子を殺さなきゃならないんだい?」
僕は「殺す」という言葉を口にして、頭を殴られた様な衝撃を受けた。
「少女を失恋に追い込んだお前が責任を取るのは当たり前だニャン」
「女の子を殺したとしてその後、僕はどうなるんだい?」
「警察に捕まり死刑か無期懲役だニャン。吾輩の事を話しても刑務所の中の精神病棟のベットに縛り付けられるだけだニャン」
僕は頭を蹴られた様な衝撃を受けた。
僕自身でさえ猫と話をしているなんて信じられないのに、僕以外の誰が信じるだろう?
僕はヤケクソになって叫ぶ。
「他に方法はないのかい?!」
猫は冷たくハッキリと言う。
「ないだニャン」
「女の子を殺したら本当に屠殺は終わるのかい?」
「屠殺を終わらせる方法は唯一つだニャン。世界を救う方法も唯一つだニャン。少女を殺す事だニャン。そしてそのチャンスは12月14日のお前がいつもウォーキングをしている公園でだけだニャン」
「最後にAだけど、僕は女の子に告白も何もされていないぜ?」
「今年の夏、少女は公園で12才の誕生日に買ってもらった子犬の散歩をしていただニャン。そこでウォーキングをしているお前に一目惚れしただニャン。だがお前はそんな少女に気付かなかっただニャン」
「公園で犬の散歩をしている女の子にかい?」
「そうだニャン」
「それで?」
「それだけだニャン」
「たったそれだけかい?!」
「たったそれだけで十分だニャン。少女が失恋するには、少女が世界に絶望するには、たったそれだけで十分だニャン」
「それじゃ、世の中の女の子が公園で犬の散歩をする度に屠殺が発生するじゃないか!」
猫はまた大きなあくびをした。そして、
「お前に12才の少女の心は理解出来ないだニャン」
と繰り返した。
起きていられない。頭がクラクラする。顔から血の気が引くのか、頭に血がのぼるのか、自分でもわからない。僕はやっとの思いで万年床に潜り込む。
もう今の自分が昨日までの自分と違う事がわかっていた。純白だったキャンバスに真っ黒な絵具が塗られたのだ。
今すぐ何かをしなければいけないわけじゃない。14日までまだ日はある。今日は11日だから3日も残っている。落ち着いて冷静にいつも通りの行動をしよう。
煙草を吸おう。
コーヒーはたっぷりカップに残っている。
こないだ買ったばかりのCDを聴こう。
落ち着いて冷静にいつも通りの日常を楽しむんだ。
(続く 最終更新日15年09月17日)




