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最後の門と裏切りの代償

呪われた荒野を抜け、ケイレンとエララは、銀の砦がそびえ立つ、峻厳しゅんげんな山脈の門へと辿り着いた。ここは、エセルガード大陸で最も高く、最も近づき難い場所だ。山道は凍りつき、薄い空気は容赦なく肺を締め付ける。

ケイレンの体は疲労困憊していたが、内なる竜血石の温かい光が彼を支えていた。彼は今や、力を制御するとは、単に炎を放つことではなく、その力を自己の意志と生命の維持に利用することだと理解していた。

「見て、ケイレン」エララは立ち止まり、雪に覆われた隘路あいろを指し示した。

遥か頭上、雲を突き破るように、巨大な銀白色の城壁が見えた。それが、彼らの目的地、**銀のシルバー・バスティオン**だった。

「あと少しだ…」ケイレンは震える声でつぶやいた。しかし、その声には安堵よりも、決戦前の緊張感が勝っていた。

エララは一言も発さなかった。彼女は周囲の環境を細かく観察し、足元の雪の深さを確認し、そして、顔を上げた。その紫紺の瞳は、悲しみと決意に燃えていた。

「ここで、私は個人的な借りを清算しなければならない」エララはついに口を開いた。彼女の視線は、凍りついた古びた石碑に向けられていた。「ここは、ノースガード騎士団が、砦の門の安全を誓った場所だ。そして、私はここで、彼を裏切った。」

彼女の言葉の重みが、冷たい空気に沈んだ。

その時、周囲の静寂が破られた。山の上方から、氷を砕くような重い足音が響き、それは徐々に彼らのいる隘路へと近づいてきた。

雪煙の中から現れたのは、一人の騎士だった。彼は闇の騎士とは違い、光沢を失った青銅色の鎧を身に着けていた。しかし、彼の鎧からは、虚無の瘴気ではなく、凍てつく裏切りの冷気が発せられていた。彼の顔は、かつて高潔だったであろう面影を残しながらも、冷酷さと狂気に歪んでいた。

「待っていたぞ、エララ」騎士は言った。その声は、山脈の凍てつく風のように冷たかった。「我が名はヴァレリウス。かつてはお前の友、そしてノースガードの副隊長だった。今はお前の処刑人だ。」

エララの顔が、怒りとは違う、深く悲痛な感情で歪んだ。「ヴァレリウス…あなたは虚無に魂を売ったのか!砦の誓いはどうした!」

「誓い?エララ、お前は甘すぎる。銀の砦は、その脆さゆえに崩壊したのだ。我らが主、マラコールは、この世界を『虚無』という永遠の秩序で統一してくださる。私はただ、時代の流れに乗っただけだ。」

ヴァレリウスはケイレンに冷たい視線を向けた。「そして、その子供だ。竜の血脈は確かに強力だが、未熟すぎる。お前が逃げ、守ろうとしたものは、無駄な抵抗に過ぎない。ちなみに、オークヘイヴンへの道筋を教えたのは、私だ。お前を誘い出すための、小さな餌だった。」

ケイレンは息を呑んだ。ブロム親方の死、村の炎上、その全てが、この裏切り者の計画の一部だったのだ。怒りが再び彼の内なる炎を燃え上がらせたが、彼はそれを抑え込んだ。

「あなたたちは、何のために…」ケイレンは絞り出すように尋ねた。

「虚無の完成のためだ」ヴァレリウスは剣を抜き放った。その剣は、かつての騎士の栄光の証である銀色に輝いていたが、今は闇の力が浸透し、凍てついた魔力を放っていた。「エララ、この子を渡せば、お前の命だけは助けてやろう。」

「拒否する」エララは短く言った。彼女の瞳は涙の痕跡もなく、純粋な決意を映していた。「ノースガードの最後の務めは、お前のような裏切り者を討ち、血脈を守り抜くことだ!」

エララはヴァレリウスめがけて突進した。彼女の短剣は疾風のように速く、正確だった。ヴァレリウスは重い剣でそれを受け止める。

ガキン!ガキン! 剣と剣がぶつかり合うたびに、氷の破片と虚無の魔力の火花が散った。

ヴァレリウスは力でエララを圧倒したが、エララは経験豊富な守護者だった。彼女は防御に徹しながら、相手の隙を突いて、ヴァレリウスの鎧の継ぎ目を狙った。

「その動き、まだ遅いぞ、エララ!」ヴァレリウスは叫び、強大な虚無の魔力を剣に集中させた。剣の周囲の空気が凍りつき、一瞬で地面の雪が硬質な氷へと変わった。

彼は大剣を一閃し、エララの防御を打ち破った。エララは横っ飛びで避けたが、肩の鎧が深く抉られ、血が噴き出した。彼女は地面に膝をついた。

「終わりだ、エララ」ヴァレリウスは、勝利を確信したかのように剣を振り上げた。

「させない!」

ケイレンは動いた。彼は、今こそ自分が主役となる時だと知っていた。彼は戦士ではない。だが、彼は鍛冶師だ。

ケイレンは、ブロムの槌を構えるのではなく、両手をヴァレリウスとエララの間に突き出した。彼は竜血石から、体内の古竜の炎を、最大限に、しかし完全に**『指向性』**を持たせて引き出した。

彼は破壊を望まなかった。彼が望んだのは、視界の遮断と、敵の優位性の破壊だ。

シュウウウウウウ!

ケイレンの掌から、熱波が前方の凍てつく地面に向かって噴出した。強烈な熱と、地面の氷が接触し、瞬時に大量の水蒸気と霧が発生した。

猛烈な蒸気が隘路全体を包み込み、視界を完全に奪った。同時に、ヴァレリウスの足元の氷が溶け、彼はバランスを崩した。

「何だと!この熱源は…!?」ヴァレリウスは叫んだ。彼は純粋な火に警戒していたが、ケイレンの戦術的な熱波は予想外だった。

「今よ、ケイレン!光を!」エララは霧の中で叫んだ。

ケイレンは即座に切り替えた。彼は熱ではなく、第6章で学んだ**『浄化の光』**を心臓からヴァレリウスめがけて解き放った。その琥珀色の光は、霧の中の虚無の魔力と衝突し、ヴァレリウスの体表に纏わりついていた虚無のオーラを一瞬だけ弱体化させた。

その一瞬、エララは霧の中から飛び出した。彼女は負傷した肩の痛みを無視し、短剣でヴァレリウスの鎧の唯一の弱点、首の継ぎ目を、闇のオーラが消えた瞬間に切り裂いた。

ザシュッ!

ヴァレリウスは苦痛の悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。黒い血が雪の上に広がる。彼は瀕死の状態だったが、まだ意識を失っていなかった。

「お前など、ノースガードの恥だ!」エララは剣を構えたまま、憎悪を込めて言った。

「…私の意志は…虚無と共に永遠だ…」ヴァレリウスは、か細い声で笑った。「お前たちに…砦の門は…開けさせん…」

そして、彼の体は霧のように消え去った。虚無の魔力による緊急脱出術だ。

エララは崩れ落ちた。ケイレンは急いで彼女に駆け寄った。彼女の傷は深かった。

「エララ!大丈夫か!」

「心配ない…この程度…」エララはかろうじて答えたが、顔色は真っ青だった。「聞いて、ケイレン。奴は時間稼ぎをしただけだ。砦の門は、奴らの手によって何らかの罠が仕掛けられているはずだ。あなたはもう、ここで私を助けている暇はない。」

彼女は彼の顔を強く見つめた。「あなたは、銀の砦に進むのよ。私の力はもう限界だ。あなたの力は、今や私よりも遥かに重要だ。走れ、ケイレン!門にたどり着くのよ!あなたが、最後の望みなのだから!」

ケイレンは師を失い、今また唯一の仲間を失おうとしていた。しかし、彼の心はもう折れない。彼は強く頷き、竜血石を固く握りしめた。

彼は約束した。「必ず戻る。そして、この世界の灰を、希望の炎に変えてみせる!」

ケイレンは振り返らず、雪煙の舞う隘路を駆け上がった。銀の砦の門は、すぐそこに見えていた。



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