赤い夜
大学二年の秋、僕と高梨玲奈はよく一緒にいた。
同じゼミ、同じカフェでのバイト。レポートを図書館で仕上げた帰りに食事をし、休日に映画を観に行く。
気づけば、日常の中に彼女がいるのが当たり前になっていた。
玲奈はよく笑い、時々小さな毒を含んだ冗談を言う。その無邪気さと鋭さの入り混じった表情を、僕は表面上だけ楽しんでいた。
――本当は、違う。
二年前、妹が夜の交差点で撥ねられて死んだ。
運転していたのは、高梨祐介――玲奈の兄だ。
不起訴。証拠不十分。
だから、僕は自分の手で祐介を殺した。
玲奈と初めて会ったとき、すぐに気づいた。
兄と同じ目の形。苗字。
避ける理由はなかった。むしろ、こちらから近づくことにした。
***
その夜、玲奈が僕の部屋に来た。
「直樹、今日はワインある?」
「あるよ。ちょっと待って」
キッチンで赤ワインのボトルを開け、二つのグラスを用意する。
片方のグラスに、無色無臭の粉末をそっと落とす。数時間後に心臓を止める量だ。
「お、ちゃんとグラス冷やしてあるんだ」
「こういうのは雰囲気も大事だろ」
「じゃあ、特別な夜ってことで」
「……ああ、特別だ」
僕は笑って彼女にグラスを差し出した。
***
玲奈にも理由があった。
二年前、兄が夜道で刺されて死んだ。
通り魔事件として処理され、犯人は捕まらなかった。
それでも玲奈は調べた。兄と揉めていた人物、事件の夜に現場近くで目撃された人物。
その中に、相沢直樹の名前があった。
最初に彼を見た瞬間、確信に変わった。
時間をかけて距離を縮め、互いの生活に入り込んだ。
そして今日、バッグの中には小さな瓶がある。数滴で十分な液体。
直樹がキッチンでワインを注ぐ間に、玲奈は自分のグラスの縁に液体を垂らした。
赤ワインの香りが、すべてを覆い隠す。
「はい、直樹」
「ありがとう」
「こういうの、いいね」
「確かにな」
***
「乾杯しようか」
「うん」
グラスが静かに触れ合い、赤い液体が揺れた。
二人は同時に口をつけ、一口飲む。
「美味しい」
「……ああ、悪くない」
「こういう夜、またやりたいね」
「そうだな」
互いの瞳を見つめ合う。
その奥にある憎しみを、二人とも知らない。
夜は静かに更けていく。
テーブルの上には、空になった二つのグラス。
赤い滴が、照明の下でゆっくり光っていた。