第5話「村の小さな異変」
朝、リューンは久しぶりに村の広場へと足を運んだ。
市場が立つ日ではないのに、何人かの村人が集まって騒いでいる。広場の一角には、体調の悪そうな子どもを抱いた母親の姿もあった。
「……おや、リューンくん。おはよう。今日は市場の日じゃないんだが、何か用かな?」
声をかけてきたのは、村の世話焼き爺さんことハルト老人。いつも陽気な笑顔を浮かべている彼の眉が、今日はわずかに曇っていた。
「おはようございます。……何かあったんですか?」
「ああ、なんというか……村の子どもたちが、少しずつ体調を崩していてな。風邪じゃなさそうだが、食欲がない、腹が張るって子が多くてな」
リューンの頭に、昨日ティア・リリルから教わった草の名前が浮かぶ。
(……“エランの葉”。消化器系に効くって言ってたな)
「村の井戸水は問題なさそうだが、羊たちも少し食が細いって話も聞くし、ちょっと気になるなあ……」
「少し、診させてもらっていいですか?」
リューンは、母親のそばに寄り、優しく声をかけた。子どもは五歳くらいの女の子で、目元に少し熱っぽさがある。
「おなか……いたいの」
か細い声に、リューンの胸がぎゅっとなる。静かに頷き、持っていた小さな袋から数枚の薬草を取り出した。
「これは“エランの葉”というんです。少しだけ煎じて飲ませると、お腹の調子が整うはずです。ただし、使い方は慎重に」
不安げな母親に向け、丁寧に煎じ方と分量を説明する。近くにいたアニス様も「おぉ、見事な対処だ」と感心したように頷いた。
「この草……精霊が教えてくれたのかい?」
「……はい。風の精霊が、“風の集まる場所”を案内してくれたんです。偶然かもしれませんが、今の村にとって、必要なものだったんだと思います」
アニス様は感心したように微笑んだ。
「やっぱり、あんたは不思議な子だねぇ。森に選ばれた、って言葉がぴったりだよ」
夕方。広場では子どもたちが元気を取り戻し、少しずつ走り回る声が戻ってきていた。
「リューンお兄ちゃん、もうお腹痛くないよ!」
「またあの草とってきてくれる?」
笑顔が戻ったその光景に、リューンも思わず笑みをこぼした。
その横で、エルナがそっとつぶやく。
「……あなた、本当に不思議ね。あの森に突然現れて、すぐ村の人たちに馴染んで。……でも、私はそういうところ、ちょっと羨ましいって思う」
リューンは、エルナの視線がほんの少し、寂しげに見えた気がした。
「ありがとう。でも、僕もまだまだ学ぶことばかりだよ。今日は精霊に助けられただけ」
「……ふふ、謙虚なのもいいけど、もう少し誇ってもいいのよ?」
風がふわりと吹いて、エルナの髪が舞う。
その瞬間、視界の端で小さく光る何かが見えた。
ティア・リリルが、満足そうに微笑んで、ふっと消えていった。
日々の中に、小さな異変と、小さな希望。
リューンの歩みはまだ始まったばかりだが、村にとって彼の存在は、確かに一筋の風のように心地よいものとなっていた。