第4話「風精の囁きと、癒しの時間」
村での生活にも少しずつ慣れてきた頃、リューンは今日も薬草採集に出かけていた。
朝の光が差し込む森の奥。足元には露に濡れた草がきらきらと輝き、どこからか鳥のさえずりが聞こえる。空気は冷たく、澄んでいる。
エルファルドの森――そこは、リューンにとって少しずつ「居場所」になりつつあった。
「……ここにもリリアの葉が生えてるんだな」
淡い紫色の葉をそっと摘み取る。薬効は弱いが、乾燥させて煎じれば喉の痛みに効く、万能な草だ。村の子どもたちのためにも、いくつか持ち帰っておきたい。
そんな時、ふと風が吹き抜けた。
さらり、と髪が舞い、耳元で小さな鈴の音のような囁きが聞こえる。
(……ティア・リリル?)
視線を上げると、光の粒が一つ、風に乗って舞っていた。やがてそれは形を成し、小さな少女のような姿を取る。ふわふわとした銀髪、透けるような薄緑のドレス。風そのものが形を持ったような存在――風の精霊、ティア・リリル。
『おはよう、リューン』
口を動かしているわけでもないのに、その声ははっきりと心に響く。
リューンは微笑んだ。
「来てくれたんだな、また」
『あなたの気配が好き。森と仲良くしてくれてるから、わたしも安心するの』
リューンはほんのり頬を赤らめた。精霊とは、こうして普通に言葉を交わせるものなのかと、改めて不思議に思う。彼女の存在は、癒しと同時に、どこか心の奥をそっと揺さぶってくる。
『今日は、ちょっとだけ案内してあげる。人間には見つけにくい場所』
そう言って、ティア・リリルはふわりと宙を舞う。風に導かれるまま、リューンは森の奥へ足を踏み入れた。
そこは、今まで見たどんな場所よりも神秘的だった。
薄明かりの差す空間に、風が渦を巻くように流れている。そして足元には、見たことのない薬草が群生していた。
「これは……」
『“エランの葉”っていうの。風が流れる場所にしか咲かないの』
薄青の小さな葉は、かすかに風をまとっているように見える。リューンがそっと触れると、ほんのりとした清涼感が指先に広がった。
『お腹の調子が悪い時に使うといいの。でも、強すぎるから、ほんの少しだけね』
「……ありがとう。精霊から教えてもらえるなんて、贅沢すぎるくらいだ」
リューンが礼を言うと、ティア・リリルは小さく微笑んだ。
『あなたはきっと、この森と村を癒してくれる人になる。……わたし、そう思ってる』
風がふわりと吹いて、彼女の姿がゆらぎ、やがて光の粒となって散っていった。
夕暮れ、リューンが村に戻ると、子どもたちが駆け寄ってくる。
「リューンお兄ちゃん!また草いっぱい採ってきたの?」
「うん、ちゃんと洗ってから、アニス様のところに届けるよ」
「えー、先に見せてよー!」
笑い声とともに、村の生活は穏やかに流れていく。
風の精霊と過ごした時間は、まるで夢のようだった。
だが、その小さな出会いは――やがてリューンにとって、大きな意味を持つことになる。
【薬草図鑑】《エランの葉(Eran Leaf)》
分類:風属植物
採取地:エルファルド地方の風が集う谷や開けた斜面、特に森の奥の気流が交差する場所に自生
特徴:
淡い青緑色の小葉で、周囲の風に反応して微かに葉が揺れる性質を持つ。
触れるとわずかに清涼感があり、表面には細かな白銀の縁取りが見られる。
効果・用途:
- 消化器系の不調(特に腹部膨満、軽度の食中毒)に効果的
- 少量を乾燥させて煎じると、体内の「気の巡り」を整えるとされる
- 過剰摂取は冷え症や腹痛の原因となるため注意
- 風の精霊との関わりが深いとされ、精霊術士たちは風の加護を得る際に儀式で用いることもある
備考:
風の精霊“ティア・リリル”が導いた場所でリューンが初めて採集。
人の気配が届かない、風通しの良い静かな場所にのみ自生する希少草。