第1話「森に生まれた薬草エルフ」
――やけに、静かだ。
寝不足と疲労で霞む意識のなか、俺はゆっくりと目を開けた。
まぶたの先には、揺れる木々と木漏れ日。土と草の匂い。遠くから鳥のさえずりが聞こえる。
「……ん、ここ……どこだ?」
思わず声に出してから、自分の声の違和感に気づく。
高く、透き通るような声。まるで少年か……いや、少女のような。
起き上がろうとして、自分の手を見て驚いた。
小さく、細い。白い肌に、指先は少し尖っていて……そして――耳が、長い。
「これ……まさか、転生……?」
そこでようやく、断片的な記憶が蘇ってくる。
連日の激務、止まらなかった頭痛。無理に出社して、あの朝、玄関で倒れた――そこまでが、前の人生の終わりだった。
視界の端に、光る何かが見えた。
ふわり、と風が吹いて、小さな光の粒が舞い上がる。
それはまるで、精霊のように見えた。
……というより、“精霊”という概念が、自然と頭の中に浮かんだ。
(これ……わかる。あれは風の精霊……“ティア・リリル”っていうんだ)
驚くよりも先に、名前が浮かび、性質が理解できた。
どうやらこれは、転生特典のひとつらしい。植物の知識、薬草の見分け、そしてこの世界の自然体系に関する基礎知識が――頭の中に、最初から組み込まれている。
さらに……この耳、肌、そして森の匂いが懐かしく感じる感覚――
これは、俺の身体が“エルフ族”としての特性を持っているからだ。自然と調和し、精霊の声を感じ、草木の気配が読めるという、エルフ特有の“ギフト”だと、なぜか分かる。
「なるほど……そういうことか。転生して、“森に生きるエルフ”になったわけだ」
周囲を見渡すと、小さな植物が地面を覆っている。
その中に、一株だけ光沢のある青い葉の草を見つけた。
「……これは、“癒し草”……ケルファ草だな」
手に取って、葉の裏を見る。銀色の斑点がある。見分けるポイントだ。
知識だけでなく、実際に見て分かる。香りも、手触りも、すべてが体に馴染んでいる。
――これなら、薬師としてやっていける。
そのとき、かさりと茂みが揺れた。
反射的に身構えると、現れたのは小さな獣だった。足をひきずっている。
「……怪我してる?」
そっと近づいて、ケルファ草を取り出し、口の中で噛んでから傷口にあてる。
それだけで、小さな光が生まれ、傷がふわりと閉じていく。
「癒し草に魔力を通したら、こうやって治るのか……なるほどな」
これは本格的に、薬師としてやっていく流れだな……と、少し笑ってしまった。
その直後、遠くから人の気配がした。
警戒しつつ立ち上がると、木の間から一人の少女が駆けてきた。
「こら! そんなところで何してるの! あ……!」
栗色の髪を揺らして、こちらを見た少女が目を見開いた。
そして、俺の姿に気づいた瞬間、ぱっと表情が変わった。
「……あなた、森の子? エルフの……生まれたての子?」
俺は戸惑いながらも、にこりと微笑んだ。
「うん、はじめまして。森の新入り、リューンって言います。よろしく」
《癒しの森薬草図鑑》第一頁
ケルファ草(Kelpha Grass)
分類:温性薬草(体温安定系)
生育地:冷涼な林床・渓流沿い(主にエルファルド北部の針葉樹林帯)
採取時期:春〜初夏(4の月〜6の月)
特徴:
- 葉は細長く、裏面に淡い銀の斑点が点在する。成熟するほど斑点が広がるため、採取時の目印となる。
- 夜露を含むとわずかに淡い青白い光を放つことから、別名「夜明け草」とも呼ばれる。
- 指先で葉を擦ると、やや涼やかな香りが立ち、消炎効果のある成分が皮膚から浸透する。
主な効能:
- 発熱の鎮静作用(特に高熱時に有効)
- 微弱な解毒補助作用(軽度の食あたり、虫毒など)
- 魔力酔いの軽減(魔法を扱う者に人気)
使用法:
- 乾燥葉を煎じて服用:発熱時に飲むことで、体内の魔力と熱の偏りを整える。
- 粉末状にして軟膏に調合:皮膚の腫れ、軽度の火傷、刺し傷の消炎に。
- 新芽をそのまま口に含む:軽い頭痛や倦怠感がある際の応急処置。
注意事項:
- 成熟しすぎた個体(葉の色が濃い青緑)は苦味が強く、刺激性が増すため加減が必要。
- 摘み取る際は根を残すように丁寧に。再生力があるが、無造作な採取で群生が失われる。
特記事項(※エルフ族に伝わる使用法):
エルフ族は自然魔力との親和性が高く、ケルファ草を媒介に癒しの魔力を流す術を伝承している。
噛んで活性化させた薬草を傷にあてることで、小規模な再生魔法のような効果が現れることがある。
これは人族では再現困難であり、薬草単体の効能とは区別される。
エルフ族の伝承より:
月が満ちる夜、ケルファ草は森の精の息吹を集めて光る」
―古エルフ語薬草詩より抜粋