第9章
「ねえ、喉渇いた。喫茶店、寄っていこ?」
そう言われれば、断れない雰囲気だった。
夕暮れの街角で、制服姿のダイアナが小首をかしげて見つめてくる。
隼人はため息をついて、手をあげた。
「……わかったよ。どこか静かなとこ、探すか」
見つけたのは、キャンパス裏の小さな喫茶店だった。
カウンターと四人がけのテーブルが三つだけ。
落ち着いたジャズが流れていて、客もまばら。
窓際の席に並んで座り、
隼人はアイスコーヒー、ダイアナは苺ミルクを頼んだ。
「この辺、落ち着いてていいね。おしゃれなカフェより、こういう喫茶店のほうが好きかも」
「そういうもんか?」
「うん。なんか……一緒にゆっくりできるから」
さりげなく言ったその一言に、隼人は少しだけ目を伏せた。
彼女の好意は、やっぱり真っすぐすぎる。
苺ミルクのストローをくるくる回しながら、ダイアナは学校の話を楽しそうに話していた。
英語のスピーチコンテストで表彰されたこと。
家庭科の授業で焦げたクッキーを作ったこと。
そして――
「今日もね、また告白されたの」
「……へえ」
「でも、もちろん断ったよ。私には――隼人がいるから」
そう言って、ダイアナはにこっと笑った。
まるで、“当然でしょ?”とでも言うように。
隼人は、アイスコーヒーを口に運びながら、目をそらす。
(……ほんと、手加減なしだな)
言葉では拒絶しようとしても、
彼女のまっすぐな笑顔は、不思議と心を溶かしてしまう。
ふと、隼人の表情が陰った。
コーヒーのグラスの氷が、静かにカランと鳴る。
「……この前のショーでさ」
「うん?」
「ある子どもに、言われたんだよ。“ヒーローなんかじゃない”って」
その言葉は、まるで喉に引っかかった棘のように、なかなか出せなかった。
でも、今ならダイアナには言ってもいい気がした。
「全力でやったんだけどな。ちゃんと届いてると思ってた。
でも、その子には……届いてなかった。
たったひとりに否定されたことが、今も引っかかってて……」
ダイアナは、ストローを咥えたまま、じっと隼人を見つめていた。
そして、グラスを置いて、ぽつりと言った。
「……やっぱり、そうだと思った」
「……何が?」
「落ち込んでると思ってた。今日会った時から、なんか元気なかったもん。
隼人、そういうの顔に出るタイプだよ」
ダイアナは少し身を乗り出す。
目の前の彼を、まっすぐに見つめながら、言葉を続けた。
「……ほんと、真面目なんだから。
たったひとりに言われたことでも、ずっと気にしててさ」
「……放っておけないだろ。
ショーは夢を届ける場所なのに、逆に傷つけてたんだ」
「でもね、隼人」
彼女は、ほんの少し微笑んだ。
「そんな隼人が、私は好きなんだけどさ」
胸の奥に、ぽたりと落ちた言葉。
小さいけれど、温かい。
それはきっと、慰めでも応援でもない。
ただ、自分の気持ちをまっすぐに届けただけの言葉だった。
隼人は、苦笑するように肩を落とした。
「……お前ってやつは、ほんと、強いよな」
「ううん。隼人が少しだけ弱いから、私は少しだけ強くなれるの」
カラン、と苺ミルクの氷が最後の音を立てる。
窓の外、赤く染まった空の下で、
二人の距離が、ほんの少しだけ近づいた。