婚約破棄される予知夢を見たけど、望むところよ!
「西 明花! 貴様との婚約を破棄する! 我が狗族からの協力はないと思え」
冷たい瞳で嗤う婚約相手、黒 嘉牙。
彼の腕には、狗族の女性が抱かれている。
(まずい! 私たち、狐一族の先行きが、閉ざされてしまう──!)
焦って目の前が真っ暗に。
──なったところで、明花は目が覚めた。
荒い息を整えながら寝台から身を起こすと、ぎゅっと自分のしっぽを抱きしめる。
艶やかな白銀の髪が、サラリと肩に流れ落ちる。頭上では三角に尖った耳が、伏せるように横に倒れ、不安な気持ちを代弁していた。
寝間着の下で、じっとりと汗ばむ肌を不快に感じながら、先ほど見たばかりの夢をなぞる。
(今のは予知夢だわ……!)
西家に伝わる力の一端、未来視の力が夢となってあらわれたことは、これまでの感覚からわかった。
つまり婚約破棄は、これから起こる未来。
「くっ」
狗族と結べなければ、一族はどうなってしまうのか。
いまの狐族の霊力では、国境を侵す妖魔に対応できない。
絶望的な気持ちでしっぽに顔を埋め、気づいた。
(あら、一本しかない? もう一本は……)
見回して、明花は叫んだ。
「! どきなさい、雨星!」
あろうことか明花の純白の二本尾、その一方を踏んで寝ている不届き者がいた。
(どうりで悪夢を見たはずだわ!)
隣で寝ている少年を押し転がすと、相手からは抗議があがった。
「っ、お嬢! なんでまた俺の寝床に入ってるんですか!」
明花より二歳下の雨星は、彼女の幼馴染兼、従者だ。
「うるさいわね、些細なことを。それよりよくも私のしっぽを踏んだわね! お前の重さで、痺れてるわ」
「お嬢が勝手に俺の隣に来たんでしょ?! 些細? 大問題ですよ! 許嫁がいる姫君が、他の男の布団に潜り込んで許されると思ってるんですか?! 俺、もう十四です。こんな現場見られたら、俺が殺されます!」
「フン! 婚約者殿だって毎晩いろんな女と同衾してると聞くわ。あっちだって好き放題してるのに、私だけ非難される謂れはないわよ。向こうと違って、私たちは何もしてないんだし」
「してたら大変ですよ。はっきり言って、お嬢の距離感はおかしい! 俺はもう、いつ旦那様から追い出されるかとヒヤヒヤです」
「平気よ。これまで誰も何も、口出ししてこなかったじゃない」
「いや、それだっておかしいんですけどね。大体俺の部屋が、お嬢と続き間なのも意味不明……。いくら従者と主人だからって……。お嬢、近々結婚を控えてるのに」
ブツブツと呟く雨星の言葉に、明花は苦虫を噛み潰したような表情を作った。
望む結婚ではない。同胞のために輿入れする。
しかも互いに、嫌悪しあう種族に。
ハッとしたように雨星が謝罪した。
「……すみません」
「仕方ないわ。長の娘の務めですもの。我が一族の……"狐"の力が弱まっているから」
獣人たちの国があった。
竜帝が治めるその国は、それぞれの種族で集い、中でも武門の誉高かったのが、"狗族"と"狐族"。
それぞれ犬の霊力と、狐の霊力を持つ一族で、竜帝に従い、己が領地の国境をよく守っていた。
ところがある時。
強力な妖魔があらわれ、"狐族"の長は、四つの尾を裂かれてしまった。
何とか撃退出来たものの、以来、四尾が生まれず、"狐"に生まれる子どもは二尾を最高とし、長の家系である西家と、同じく二尾の東家が力を合わせて任に当たっていた。
だが、明花の代で均衡が崩れる。
東家の世嗣が産まれてすぐ、亡くなったのだ。
各世代、両家に一人ずつしか生まれない二尾。
西家が娘、明花は見事な二尾だったが、東家が欠けたことで、"狐族"の力は激減。
妖魔を凌ぎきれず、恥を忍んで助力を求めた狗族は、同盟の証に明花を要求した。
狗族の長、黒 嘉牙の嫁として。
明花を奪われれば、それこそ"狐族"に未来はない。
"狐族"の誰もが反発したが、背に腹は代えられず、婚約を諾として、明花が十八になれば嫁ぐ約束となった。
次世代の二尾が生まれるまで、息をつなぐ。そのための同盟だった。
「せめて俺に尾があれば、お嬢の力になれたかもしれないのに」
視線を落としたまま悔しそうに言う雨星に、明花はそっと額を寄せた。
少年の、黒髪に縁取られた、金色の瞳を覗き込む。
「ないからこそ、私について、一緒に狗族のもとに来てくれるのでしょう?」
雨星の狐尾は、一見して、あるとわからない、点のような小ささだ。
そのため、彼の親は雨星を手放したと聞いている。
そして明花の家に引き取られた雨星は、乳飲み子の頃から彼女と共に西家で育った。
西家の従者に霊力がないことは、狗族にも知られていて、輿入れに際し「"尾なし"を伴っても良い」と言われている。
獣人族の霊力は、尾に宿る。
雨星は無力であるがゆえに、狗族から"明花の供"を許されたのだった。
気心を知る相手が傍にいてくれるということは何よりも心強く、あちらで嘲笑の的となることを覚悟の上で来てくれる雨星に、明花は感謝していた。態度には、おくびにも出さないが。
「向こうでお嬢が寝床に潜り込んで来たりしたら、一発で首を刎ねられますよ、俺」
「わかってる。向こうではしない。嫁ぐかどうか、わからなくなったけど」
「? どういう意味ですか?」
「予知夢を見たのよ。婚約破棄される」
「ええっ?!」
「されて欲しいわぁ。困るけど。狗族キライだもの」
「そんなのお嬢を馬鹿にしてるじゃないですか! 俺もあいつらは嫌だけど! 婚約なんて壊れてしまえと、ずっと思ってたけど!」
「っつ、ず、ずっと思ってたの? 口にしたこと、なかったじゃない」
明花の耳が、ピンと欹つ。
どんな言葉も聞き逃すまいと構えた返事は。
「そ、それは俺の立場で言えることじゃないから……。けど、破棄してくるのは無礼すぎる! 今までだってさんざん無茶な要求をしておきながら──」
「怒ってるのは、そっちの意味なの?」
明花の杏仁形の目が、スンと色を失った。
ぎこちなく咳払いをし主人は、興奮中の従者をなだめる。
「落ち着きなさいな、雨星。外の騒ぎより、うるさいわよ」
「外? そういえば何だか、騒がしいですね?」
「何かあったのかしら。ちょっと見て来て」
「……。お嬢、他人の安眠を邪魔しておいて、人使い荒すぎ……」
ヨロヨロと扉から出て行った雨星は、すぐに興奮して戻ってきた。
「お嬢! 怪魚ッ。翡翠峡の怪魚が水揚げされたらしくて、屋敷に献上されてる! 荷車からはみ出すデカさで、皆それを一目見ようと、人だかりが出来てた!」
「まあ! お前はもう見たの?」
雨星に劣らず、明花も弾んだ声をあげた。
自領の渓谷、翡翠峡の淵で、トゲだらけの怪魚が目撃される噂は時折耳にしていた。
"淵のヌシでは"と、子どもの頃から目を輝かして聞いた話が、現実として拝めるなんて。
「まだだけど、先に報告しに戻って──」
「行くわよ! 珍しい怪魚を見たいわ!」
早朝とて急いで身支度をした明花は、雨星と共に怪魚に近づき、そして。
思いがけない事態に襲われた。
まだ息があった怪魚が急に暴れ、尖った尾びれが鋭く明花を狙ったのだ。
「お嬢!」
一瞬が、数刻に引き伸ばされるような感覚。
明花の身体は、横から雨星に攫われ、入れ替わるように位置が変わると、彼女の視界を鮮血が散った。
明花に、痛みはなかった。
代わりに切り裂かれたのが、雨星だったから。
彼に庇われ、明花が見たのは腹部から大量の血を流す大事な従者。
「いやぁぁ、雨星──っ!」
「お嬢様! ご無事ですか?」
「は、早く医者を呼んで! 雨星が!」
「はっ、こ、これは。お待ちください。すぐに呼んで参ります」
近くの者が走る。
"尾なし"であるにも関わらず、雨星は西家で大切にされていた。
一人娘のお気に入りということと、彼自身が人好きのする性格で可愛がられているというのもあったが、他にも。
二人が知らぬ理由があった。
「雨星、雨星。しっかりして。死んではダメよ。私と一緒に狗族に嫁入りするんでしょう?」
「っ……、お嬢、俺は嫁入りはしませんよ。お嬢についていくだけで」
「わかってるわよ! あああ、喋らないで。どんどん血が流れてしまう」
「お嬢、俺がいなくなっても、朝はきちんと起きてくださいね」
「雨星っ」
「それから歯を磨いて、服を着て」
「お前がいま言いたいことはソレなの?!」
「お嬢、お耳を近くに」
「え」
顔を近づけた明花に、雨星がポソポソと言葉を伝える。
「!!」
途端に、明花の目が驚きに見開いた。
「馬鹿、そんな大事なことをこんな時に言うなんて! 決して死なせないから」
雨星を掻き抱く明花の手に、何かが当たった。それは彼の裂けた腹から転がり出た異物。
「え……、何これ」
(玉?)
明花がそれを拾い上げようとした横で、雨星の腹部から凄烈な霊力がほとばしる。同時にそれは、傷ついた彼の患部を閉じに入った。
瞬く間に、裂かれたはずの腹が癒えていく。
(これ、霊力による治癒? 雨星自身が?)
明花のものではない黒色の尾が、ふわりと揺れる。
(二尾!? え、え、どうなってるの? 雨星に、尾……!?)
医者が駆け付けた時には、怪我人の傷はほぼ塞がっており、西家はその日、未曽有の大騒ぎとなった。
◇
「ずいぶんな騒ぎがあったそうじゃないか、狐族の。"尾なし"の従者も死に掛けたと聞いたが、今日も連れているところを見ると、命拾いしたらしいな」
壇上に座して足を組み、美女を侍らしながら狗族の長、嘉牙は言葉を投げる。
ニヤニヤと見下げる視線は、眼前の明花に向けられている。彼女の後ろには、雨星が控えていた。
「凶事を呼ぶ家門と縁を結べば、こちらの運まで翳ってしまう。婚約は破棄しよう」
大事な話があると狗族の宮に呼び出した明花に対し、武装の兵まで配置して、嘉牙はどこまでも横柄だった。
「まあ、どうしてもと縋りついてくるなら、持参金次第で考えなくもないが……」
「婚約破棄で結構です」
「何?」
「謀反人と結ぶなど、こちらから願い下げだと申したのです」
「なっ」
明花の毅然とした声が、部屋に響いた。
「十数年前、竜帝陛下の宝物殿から"封じ玉"が盗まれたことは有名ですが、その犯人が判明しました」
「急に何の話だ?」
「狗族が優位に立ち続けるため、東家の跡取り息子の腹に、封じ玉を仕込んだのはあなたですね、嘉牙」
「ふざけたことを! 何を証拠に」
熱り立つ嘉牙に、明花は一つの玉を見せる。
「封じ玉の起動に込めた霊力辿れば、誰が使ったかは判ります。竜帝陛下の軍門を徒に削り宝物を盗んだ、これが謀反以外のなんだというのです」
「くっ、生意気な小娘が! 取り押さえろ! たかだか二尾だ!」
不敵に、明花が笑みを浮かべた。
「どうして私たちが、あなたの呼び出しに応じたと思ってるんです? ──叩きのめすためよ!」
「は?」
「雨星、貸してね」
言うが早いか、従者の胸倉を引き寄せ、明花が雨星に口づける。
強い霊力が、放たれた。
明花の背に、荘厳な四本の尾が揺れる。
「ずっと封じられてたせいで、彼はまだ霊力をうまく扱えないの」
明花からの視線に、雨星が力強く頷いた。
「だから今は私が、彼の二本分を借りて、これまでの屈辱を晴らすわ!」
「なっ、な……っ」
嘉牙が腰を浮かして狼狽える。
「これは霊力……じゃない神力! まさかそんな!」
狐族の四尾は、"天狐"と呼ばれる神位を持つ存在であり、二尾とは格段に霊力が違う。
本来であれば千年を生きて至る位階であるが、一族を守る力として、長く狐族に受け継がれ、四尾であれば発動出来る特性を持っていた。
二尾は地上の力。四尾は天上の力。
天から流れ落ちて地上に根ざした狗族は、天の力の片鱗こそあれど、四尾には及ばない。
明花が一歩踏み込むと、白い光が炸裂した。
狗の兵は、明花の繊手一振りで壁に投げ飛ばされ、 嘉牙の女たちはその場で腰を抜かしている。
先ほどまで愉悦に浸っていたはずの顔は、いまや完全に引きつり、頼みの長を見るものの。
嘉牙は明花の前に沈められていた。
「黒 嘉牙に、西 明花が婚約破棄を言い渡す! 長年に渡り、我が一族を欺いた罪。東家の世嗣殺害未遂含め、その霊力を封じたこと。十分に償って貰うつもりだから、覚悟しておくがいい!」
明花の宣言に、倒れ伏した 嘉牙は視線をあげて雨星を見る。そして、その口元を皮肉げに歪めて言った。
「フ、ン。女の後ろに隠れて見学する能無しなど、生きていてもどうせ何の役に立たなかったんじゃないか──、ギャアアアアアア!!」
嘉牙の言葉は、途中で絶叫に変わった。
動けぬ彼の尾を、明花が踏み抜き、そのまま神力で焼き切ったのだ。
明花の赤い瞳には、怒りが溢れている。
「どの口が抜け抜けと。その侮辱、己が身でこの先ずっと味わうが良いわ!」
「尾が……! 霊力が……抜けるっ……!!」
「言っておくけど、お前の相手を私に任せてくれた雨星に感謝することね。彼が霊力に不慣れだと言ったのは、加減が出来ないという意味よ。狗族の郷ごと吹き飛ばしてしまっては、こちらも過失を免れなくなるからね」
「ヒ……ッ」
郷ごと吹き飛ばす。
有り得ないことではなかった。過去の四尾の尋常ならざる力を、これまでも狗族は見て来た。
だからこそ、四尾の復活を阻んだのだ。
東家に二尾の男子が生まれたと聞いて、東家に忍び込んだ。
せっかく狗族の時代がやってきたというのに。
狐族の二尾が、同世代で男女であったことは初。ふたりが番えば、次代は四尾が誕生するかもしれない。
嘉牙は東家に忍び込み、赤子を切り刻んだが、思わぬ速度で傷が再生していく。高い霊力の証だった。
治癒を止めるため慌てて"封じ玉"を赤子の傷に捻じ込んだが、その結果を見届けることなく、追われて逃げた。激しい赤子の泣き声に、屋敷中が騒ぎ出したせいで。
後日、赤子の訃報を聞いて、出血が激しかったのだろうと満足した。
まさか生き延びて、西家に匿われていたなど。東家が息子を従者として扱うことを承服するなど、思いもよらなかった。
名目は従者だが、雨星が高水準の教育と武芸を仕込まれたことまで、 嘉牙は知らない。
狗族の長が見ていたのは、あくまで肩書のみだったから。"尾なし"と蔑まず、彼の身ごなしの一端でも見ていれば、何かに勘づけていたかもしれないのに。
油断と傲慢は、愚者の奸計を完遂させなかった。
その後、 嘉牙と狗族は、狐族によって竜帝に差し出されたが、裁きに先んじて 嘉牙を断尾した明花は、不問とされた。
かつて東家に男子が誕生した際、狐族は沸いた。
嘉牙が危惧したと同様、四尾の復活を予感し、期待したからだ。
けれども東家の赤子・雨星が何者かに襲われたことから、狐族は用心を重ね、再び彼が狙われないよう、隠すことにした。
いつ間違いが起こっても良いように、西家の明花の傍近くに。
明花は知らない。
周りの大人たちが、身持ちが固く、節度ある二人を微笑ましく見守りながら、「違う、そうじゃない。早く既成事実を作ってしまえ」と応援していた事を。
雨星も知らない。
"明花が嫁ぐまでが期限だ"と、郷中が焦っていた事を。
もはや期限はなくなった。
けれども大人たちはやっぱり、せっかちだった。今だって、彼と彼女をふたりっきりにさせるぐらいに。
ふわふわのしっぽを添わせ合いながら、楼閣の窓際に並んだ明花と雨星は、空に輝く星たちを眺めていた。肩を寄せ合い、言葉を重ねる。
「死に掛けながら告白してくるなんて。ズルイわ、雨星」
「あんな時じゃないと、言えないじゃないですか。だって俺は、お嬢の従者だったんですから」
クスッと明花が笑う。
「本来の身分に戻ったのに、"お嬢"呼びだなんておかしいわ。"明花"でいいのよ?」
「──!」
雨星の金色の目が、思いきり見開かれた。
照れたように彷徨った後、しっかりと明花を見つめる。
「明花、好きです」
「素直さが最高ね! 私も好きよ、雨星!」
二尾のふたりの子が、四尾として誕生するのは、もう数年先の話である。
お読みいただき有難うございました!
こちら、神崎月桂様の「#バチクソにカッコいい女の子を寄こせ杯」に参加した作品となります。
企画では4000文字制限だったのですが、実はこのくらいあったっていう…。
さて、なんちゃって中華な舞台です。
名前の読みを日本語読みにするかどうか、"寝台"を"牀"と書くか、"お嬢"を"姑娘"や"娘娘"(狐族の女神みたいなものなので)とするか、あたりで迷った末、なんかこんななりました。
ルビたくさんですみませんでした。次回、もし中華っぽいの書く時に生かしますので、「日本語読みが好き」「中国な読みが好き」などありましたら、教えてやってください。
あ、狗族の長は年上です。霊力で若見えしてますが、雨星が赤子の時、忍び込むくらいなので。霊力抜けて老け…、おっと、これ以上はいけない(汗) ちなみに狗族は"天の狗"こと"彗星"からこぼれた隕石が、変じたイメージです。狐族は天狐。
お話少しでも楽しんでいただけましたら、ぜひ下の☆を★に塗って応援していただけますと、めっちゃ喜びます!! 有難うございました(∩´∀`*)∩