─エウディア─
聖黎期331年。
島国『メティア』から大陸に渡る定期船。
勇者一行の波乱は、一つ明けてまたすぐに一波乱が起きていた。
本来は連れて来るべきでは無かった島の白い少女が、皆の隙を掻い潜り、定期船の船上。甲板に立っていたのだ。
現在、勇者一行は自室に戻り、頭を悩ませていた。
「おい、どういう事だよ?なんであの子供がこの船に乗ってるんだ?」
戦士の少年アレイスは、一行の仲間である治癒師で魔法使いの格好をした少女、アリアへと向き直り問い掛けていた。
しかしながら、当然の如くアリアにそんな理由が解る筈もなく…。
「知らないんだけどぉ♡アタシじゃなくて本人に聞きなさいよぉ♡」
………と、返される。意見自体は尤もなのだが、当の本人はボロボロのうさぎのぬいぐるみを抱き締めたまま可愛い寝息を立てていた。
船は既に出港してしまった為、引き返す事もままならない。これから数日間はこのまま港まで進むしかない。
しかし、勇者一行に齎された問題はそれだけでは無かった。
「このオッサン…。ずっとこの子供ばっか見てやがる…。」
「あぁ?」
アレイスは毒吐く、それもその筈だ。オッサンと呼ばれた黒い革の服にボロボロの外套を纏う獣臭い男。グレイヴは、この白い少女を狙って来たのだから。今もとてつもなく気持ち悪い視線で少女の寝顔を見守っていた。
「うっわぁ…♡本っ当に気持ち悪い♡」
アリアも余裕そうな表情だが、心の底から気持ち悪がっていた。この熱い視線を寄せる様子を見れば誰であっても当然であるし、当然以外の何物でもない。
とにかく異様以外の何物でも無かった。
「皆、ただいま。追加料金を支払って来たわ。」
一行のリーダーのベアトリーチェが戻って来た。どうやら白い少女が増えた分の埋め合わせとして、少し高い料金を無心されたらしい。子供一人とは言え急に数日分の食糧の消費が増えたのだから当然だろう。今日は当然パーティーだ。
何にせよ、今後の方針を改める必要が在る事は間違いない。
「お帰りなさいませ、ベアトさん。こちらは特に変わりもなく、そちらの御仁も特に暴れたりはしてませんな。」
賢狼の魔法使いニルファから報告を受けたベアトリーチェは、仲間の言葉を信じて宛行われたベッドに腰掛ける。今後どうするかを話し合う為に。
「皆、何か意見はある?」
ベアトリーチェの問いに、まず先に口を開いたのはアレイスでは無くニルファだった。
「そうですな。本来ならばもう一度メティア行きの定期船を拾って引き返し、少女を届けてから再び旅路へ戻るのが鉄則。────されど。」
ニルファは更に語る。
「この少女が如何にして我等や島の住民達の目を掻い潜り、そして誰にも気付かれずに着いてきたかが明白で無い以上、堂々巡りとなるやもしれぬ。」
要するに、孤児院に返した所で再び何らかの方法で誰にも気付かれずに着いてくる可能性を防ぐ手段が一行には無いのだった。そんな便利な手段が在るならとっくに使用している。
「そうねぇ~♡この子が着いてくるのを嫌にさせるのはどぉ?♡」
アリアが思い付いた方法はこうだった。
勇者一行の荷物持ちをさせたり、敵の部隊を探る斥候として育てたり、或いは獣の解体を全て任せたり、とにかくなるべく嫌な方法を押し付けて自分の足で島に返すのはどうかと言った所で、ベアトリーチェからの鋭い視線がアリアへと突き刺さったのだ。
因みに、ほぼアリアが普段から嫌がってる仕事内容だった。
「あははは♡冗談だよぉ♡もぉ〜♡めっちゃ大事なんだね〜?♡」
咄嗟の言い逃れで一先ずベアトリーチェからの追求は免れた…。そもそも許してくれてたらしいのだが。
それまで黙ってたアレイスが、何かを閃いた様で一行に尋ねた。
「なぁ、この子の名前って結局なんて言うの?」
その一言は、人狼の男以外の全員での、血を血で洗う闘いの開幕になった。
────数時間後────
一頻り眠っていた白い少女が、漸く目を覚ました頃のこと。
部屋内では会議が行われていた。誰が準備したのか黒板が壁に立て掛けられ、白いチョークでつらつらと並べられた文字列は少女には理解出来ない物だった。
文字その物は読めるのだが、文字の意味が理解出来ない。
「お?やっと起きたか?」
少女が目を擦りながらベッドに座ると、目の前でマフィンを頬張る黒い男性が居た。その男の声色は穏やかで、少女は不安を覚える事は無かった。
何が起こってるのか疑問を込めて首を傾げる少女に、黒い男ことグレイヴは気持ちを察したのか親指で勇者一行を差しながら、教える。
「あいつら、お前の名前を決めるつもりらしい。ご苦労なこった。」
少女は理解した。
理解はしたが、特に反応を示さなかった。
「自分の名前があるなら教えてやればいいし、ねぇなら気に入った名前を選んでやればいい。おい、お前ら!女が目を覚ましたぞ!」
グレイヴに声を掛けられ、ベアトリーチェ達は一斉に少女へと寄って来た。狭いのでベアトリーチェが先頭に立っていた。
「おはよう、目が覚めた?お腹は空いてない?」
ベアトリーチェが話し掛けてくるのだが………少女の知る彼女とは言葉遣いが全然違う。
きっとこれが彼女の素なのだろうか。
「おはようさん寝坊助。パンのケーキが有ったから貰ってきたぞ。腹減ってるなら食いな。」
「ちょっとアレイスぅ。そんな風に近付いたら怖がっちゃうよ〜?♡ほらほら、お姉さんとご飯にしよ?♡」
アレイスとアリアもまた、気さくに声を掛けた。どうやら二人は少女に対して特に蟠りは無いらしい。
そもそもこの二人は、少女が居なくなった時に率先して探しに行った程だ。情の深さが伺える。
「とりあえず私は、幾つか候補を纏めましょうぞ。……ふむ、矢張り『ブランシェ』か『アルバニア』、『シュネー』でしょうな。響きが良い。」
ニルファは黒板に書かれた3つの文字に丸を付ける。
しかし、少女はそれらの候補に首を横に振る。因みにグレイヴと並んでマフィンをモグモグしてた。マフィンをあげたのはアリアだった。
「この子、本当に竜人なのぉ?♡羽根も尻尾も鱗も無いんだけどぉ?♡」
少女の頬をプニプニつついて遊ぶアリア。そんな光景に、何と無く暖かな陽だまりの中に居るような感覚になる一行だったが、ここでベアトリーチェがポツリと呟く。
「エウディア…。」
ベアトリーチェの一言に、少女はピクリと反応した。
どうやら気に入ったらしい。
「エウディア…か。そうね。」
ベアトリーチェは、少し寂しそうに。しかし暖かい微笑みを、白い少女へと向けたのだった。
{そうね…。過去に囚われても仕方無い事よ。…だからこそ。
今度こそ、護りきれれば良い。}
ベアトリーチェは、人知れずそう心に誓ったのだった…。