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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

君のメガネは度数が強い

作者: 橋本洋一

 前川まえかわ美咲みさきが自殺して、十日経った。

 それでも日常は続いていた。



◆◇◆◇



 美咲とは小学校からの同級生だった。同じクラスになったこともある。でも友人と呼べるような間柄になったのは高校生のときからだった。

 はっきり言って、小学校の頃はあまり交流がなかった。だからぼんやりとしか思い出せない。卒業アルバムを見て、ああこんな顔をしていたなと分かる程度だった。


 中学は別々だった。理由は美咲が私立の中学を受験したからだった。まだ分別のついていない俺は自分の将来を考えなくて、地元の中学になんとなく進学した。それから特に荒れても無く、穏やかな中学時代を過ごした後、何の因果か知らないが県内でも有数な進学校へと入学した。


 美咲と再会したのは高校生で、後ろの席が彼女だった。

 入学したてのクラスの自己紹介で、美咲が同じ小学校だったことが判明すると、互いにとても驚いた。

 そのとき、私のことを覚えている? と聞かれたけど、前述のように覚えていなかったので、正直に言った。

 すると美咲は少しだけ悲しそうに微笑んだ。心をざわつかせるような笑みだった。


 言い訳させてもらおうと、美咲のことを覚えていなかったのは、彼女が変わっていたからだ。歳相応に綺麗になっていて、それからメガネをかけていた。赤いフレームのメガネだ。メガネをかけると人の顔はだいぶ印象が変わる。


 美咲とはそれから親しくなった。小学校時代の話をすると、彼女は大層喜んだ。特に美咲と親しかった女子の話は懐かしそうだった。

 でも、美咲の中学時代の話を振ると、どこか言いづらそうな顔になってしまう。おそらく何かあったことは鈍い俺でも気づけた。だからその話題は避けるようにした。


 美咲を美咲と呼ぶようになるのに、時間はかからなかった。クラスのみんなもそうだった。不思議なことに前川と呼ばれるより美咲と呼ばれるほうを彼女は好んだ。だから俺も美咲と呼んだ。


 美咲は帰宅部で、俺はバスケ部だったので、帰り道一緒になることは少なかった。たまに帰りの時間が一緒になるときはあったけど、互いに別々の友人と帰っていた。


 だから、あの日、一緒に帰ったのは珍しいことだった。


 美咲が、良かったら一緒に帰らない? とその日部活の無かった俺を誘ったのは自惚れでなければ、親しい友人だったからだろう。とても寒い冬の日だった。俺は珍しいなと思いつつ了承した。


 美咲は駅までの道で、饒舌に話した。学校のこと、親のこと、友人のこと。とにかく何でも話した。俺は聞き役に回って、たまに相槌を打っていた。話を聞いてほしいのだろうとは思わなかった。ただ話したいのだから聞いてやろうと思っただけだった。


 美咲は話し足りないようだったから、駅前のマックに寄ろうと俺から誘った。目を見開いた彼女は、一瞬返事に困ってから、小さく頷いた。


 それから夜の六時まで話し続けた。よくもまあこれだけ話題があるなと思うくらい、美咲は喋り続けた。

 俺は美咲の話が止まったのを見計らって、今日はよく喋るなと言う。

 すると彼女は、迷惑だったかな? と困った顔をした。俺はそんなんじゃないと否定した。


 美咲はマックのコーヒーを飲んで、それから私だっていろいろ話したいことがあると拗ねた口調で言った。そういえば、いつも美咲は聞き役だったなと思い出す。

 俺はいいと思うぜと肯定した。自分のやりたいように生きなきゃつまらねえと分かりきったようなことを言った。


 すると美咲はにっこりと微笑んだ。今にして思えば、このとき覚悟は決まっていたのだろう。そう思わせるような笑顔だった。

 鈍い俺は気づかなかった。いや、誰だって楽しそうに話す目の前の美咲が、この後自殺するなんて思わないだろう。


 美咲とはその後、しばらく話してから電車に乗って、地元の駅で別れた。

 彼女が死んだのは、俺と別れてすぐのことだった。



◆◇◆◇



 みーちゃんとは中学で知り合いました。

 高校も一緒です。というよりも、このまま中学の同級生と一緒の高校は良くないと思ったから、私が誘いました。

 みーちゃんと仲が良かったんです。あの子は優しくて穏やかで。でもいじめられたのはそのおとなしい性格が原因だったのかもしれません。


 二年生まで一緒のクラスで、三年生から違うクラスになりました。みーちゃんのいじめが始まったのは、私がいなかったからだと思います。

 無視や暴力。そんなことは日常茶飯事だったそうです。私がもう少し早く気づけば、みーちゃんを助けられたでしょう。


 みーちゃんが夏休み明けから不登校になったって聞いて、すぐに家に行きました。三年生になってから、自分の勉強や部活で忙しかったから、気づいてあげられなかった。それは今でも後悔しているんです。


 家に行くと、一才年下の弟の勇次くんが私を睨み付けました。その視線に怯みながら、私はみーちゃんが篭もっている部屋に行きました。

 みーちゃんは私になかなか会ってくれませんでしたが、根気よく何度も話しかけた結果、ようやく中に入れてくれました。


 みーちゃんの身体はがりがりになっていました。勇次くんがほとんどご飯を食べないと言っていました。薄暗い部屋の中で、みーちゃんは神経質にメガネを触りながら、死にたいよう、とか細い声で言いました。


 私はなんとか思いとどまらせようと説得しました。

 今の学校に通うのをやめて、別の高校に進学しようと言ったのは、このときでした。

 それが妥協点でした。


 私も一緒の高校に進学することを約束しました。

 そのために偏差値を上げることは何の苦でもなかったのです。

 偏差値の高い高校に入学するのは、互いの親との決め事でした。


 そうして、高校に入学して。

 みーちゃんは次第に元気になりました。

 安心しました。でも気を抜いてはいけなかったのです。


 みーちゃんが死ぬ前日。

 彼女は泣いていました。


 それを見つけたのは偶然でした。

 彼女が誰にも知られないように、女子トイレの個室で静かに泣いていたのです。


 美術部の部活で、絵の具で汚れてしまった手をトイレで洗っているとすすり泣く声がしたんです。初めは誰か泣いているのかなと思っていました。でも、どこか聞き覚えのある声だったので、扉を隔てて、大丈夫ですか? と声をかけました。


 すぐに私だと気づいたみーちゃんは、扉を開けて、私に縋りつきました。動揺した私に、少しでいいからこのままでいさせて、と言ったのです。

 私は頭を撫でたり背中を擦ったりして落ち着かせました。


 私はみーちゃんに事情を聞きましたが、結局言いませんでした。

 無理をしても聞くべきだったんです。

 たとえ嫌われてもいいから、聞きだすべきだったんです。


 だから、みーちゃんの死を止められなかった責任は、私にもあるんです。


 みーちゃんがもう大丈夫って言っても、信用しちゃいけなかった。

 あの子はいつも、耐えてしまうから。

 そして結局、耐え切れなくなってしまうから。



◆◇◆◇



 ミサ姉が死んだのは、俺のせいだ。


 俺はミサ姉に頼ってばかりだった。

 ミサ姉が引きこもりになったときは流石に俺が頑張るしかないと思った。

 でも高校生になって、無事に高校に通いだしてくれたときは心底ほっとした。


 だけど、ミサ姉は自殺する直前、徐々に弱っていた。

 最初は学校で嫌なことでもあったのかなとしか思わなかった。

 いじめられているような雰囲気もなかった。


 でもミサ姉が何かに苦しんでいることは、服用している薬の量が増えたことで分かった。

 家族しか知らないけど、ミサ姉が通院していた。いじめのせいで精神を病んでいた。


 俺は夕食のたびに増えている薬の量を不安に思った。

 だからミサ姉に大丈夫か聞いたんだ。

 するとミサ姉は、あんたには関係ないでしょ! って怒鳴ってきた。


 初めて怒鳴られたことよりも、ミサ姉がおかしくなっていることにショックを受けた。

 俺が呆然としていると、ミサ姉は我に帰って、それから俺を抱きしめた。


 ごめんねえ、ゆうくん。ごめんねえ。

 なかなか離れることなく、言い続けた。

 俺はされるがまま、立っているしかできなかった。


 ミサ姉が飛び降りで自殺したと警察から電話があったとき、ああやっぱりと思ってしまった。

 抱きしめられたときから、ミサ姉は死ぬんだなと感じていた。


 ミサ姉はお決まりのように靴と遺書を残して死んだようだ。

 遺書の内容は一言。

 もう何も見たくない。それだけだった。


 ミサ姉が残したものに、愛用のメガネがあった。

 靴と遺書と一緒で、屋上に残されていた。

 葬式が済んで、自分の部屋に戻って。

 そのメガネを付けた。


 とても度数が強かった。

 これなら目が悪くても、遠くまで見えそうだったけど。

 同時に見たくは無いものを見てしまいそうだなと思った。



◆◇◆◇



 私、前川美咲は自分が大嫌いだった。

 いじめられても仕方のないような、そういう性格だと思う。

 いや、性格というより性質と言い換えるべきだ。


 弱くて惨めな存在であることは自覚している。

 いろんな人の助けがないと生きられないと分かっている。

 弟や友人や同級生に支えられて生きている。

 でももう、限界だった。


 メガネを外すと、視界がぼやける。

 視界というよりも世界が歪んで見える。


 ピント外れで視点が定まらない人生だ。

 神様のメガネに適わない人生なのだろう。

 そうやって生きていくのは、つらかった。


 いじめの後遺症で薬に頼って生きなければならないのも嫌だった。

 何かに頼って生きることが申し分けなくて、苦痛に満ちている。


 私は屋上の柵を乗り越えた。


 靴と遺書を残して、それからメガネを外して、屋上に放り投げた。


 それから、私は目を瞑った。

 何も見たくなかった。


 ゆっくりと落ちていく私。

 そこで今更思う。

 死にたくないなって――

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