カセットテープの表裏
カセットテープには、A面とB面がある。押入れから埃を被ったそれを発見したとき、ネットで調べて初めて知った。僕はラジカセにテープをセットして、硬い再生ボタンを押した。
A面
初手から力強く、フォルテッシモ。古いテープだからか、音割れが酷い。叩くように鍵盤を鳴らす乱暴な指先が、音を聴くだけで容易に想像できた。
メロディーは戦に乗り出す兵隊たちの高揚、それを引き立たせる和音のスタッカートは彼らの逞しさを代弁している。『英雄ポロネーズ』。ショパンが遺した名作の一つだ。
「またミスタッチ!何回言えば直るの?」
ピアノの音色が途切れ、キンと耳の奥に響いたのは女の人の金切り声。ラジカセの音量を上げると、子供のはあはあという息遣いも聞こえる。
「コンクールまであと一週間しかないのよ。こんな演奏、誰が聴きたいと思う?」
怒号に続けて、子供の泣き喚く声とピアノの不協和音が耳を刺した。
「ピアノを乱暴に触るんじゃないの!」
子供の精一杯の抵抗は、女性の声によって制された。泣くしかなくなった子供は、ひっくひっくとしゃくり上げ、その音は、カセットテープの再生が止まるまで続いた。
途中から耳を塞いでいたので、再生が終了したことにしばらく気が付かなかった。気を取り直してカセットテープを裏返し、再生ボタンを押すが何も聴こない。どうやらB面は空っぽのようだ。ふとあることを思い付き、僕はリビングにいる子供に目を向けた。
B面
「きーらーきーらーひーかーるー、おーそーーらーのーほーしーよ」
娘はご機嫌にきらきらぼしを歌いながら、小さな手は鍵盤の上でミッキーマウスマーチを奏でている。器用なものだと、つい感心してしまう。繊細な手つきは、幼い頃の僕とはまるで違う。
「パパ聴いて」と、娘は僕をピアノの近くに座らせ、貴婦人の乗馬やアラベスクなど、ブルグミュラーを軽快に披露する。ピアノを撫でるように弾く娘の笑顔が、柔らかい。ふわふわの細い髪が顔にかかっても鼻水を啜っても、彼女は弾き続ける。
「パパ、どうしたの?」
娘が僕の方をちらりと見、不思議そうな顔をして手を止めた。
「そのピアノは、パパが昔使ってたものなんだ。それを今、君が弾いていると思うと嬉しくてね」
「泣くほど?」
「泣くほど」
僕が頷くと、娘は安心したように笑って再び音を奏で始めた。