03
それから私とルッツは、肩を並べてパーティー会場へと足を踏み入れた。
もうその時点で会場がざわつき始めたが、いつも孤独でいる悪役令嬢の私が男を連れているだけで目立つのだろう。
私はどうってことないが、隣を歩くルッツは雰囲気に当てられて露骨に緊張している様子だ。
そんなルッツに向けて、私は耳打ちするかのようにコッソリと声をかけた。
「怖いのなら、手を握ってあげましょうか?」
「そんなことしたら、余計目立っちゃうよ」
「でも演出にはなるわ。今のうちから、私たちがそういう関係だってアピールしておいたほうが効果的だもの。ほら、男のアナタから繋いで」
「ああもう、どうにでもなれ」
そうしてルッツは私の手をとる。
すると彼の手は、かわいそうなくらいにプルプルと震えていた。
正直に言って、今の提案はアピール目的というより、ルッツの不安を緩和させる目的のほうが大きい。
そのつもりでルッツの手をニギニギとリズムよく握ってあげると、震えが和らいだ気がした。
本当にわかりやすくてかわいらしい野良猫ちゃんだ。
そうこうしているうちに、私とルッツは手を繋いだままパーティー会場を突き進み、ハンスの前にたどり着いていた。
都合のいいことに、愛人のアリシアも隣に居合わせている。
そして目論見通り、ハンスは手を繋ぐ私たちの姿を見て、いぶかしむような表情を浮かべて口を開いた。
「おい、誰だよその男。手まで繋いで、婚約者の前にいるって自覚があるのか?」
そんな言葉と共にざわつく周囲の雰囲気も完ぺきだ。
もはやパーティーどころではなく、みんな私たちに注目している。
舞台はこれで整った。さあ、楽しいショーの開幕だ。
「あら、ここまで見せつけてもわからないの? 私のことを愛する気のないアナタなら、すぐわかりそうなものだけれど」
するとハンスは、すべてを察したと言わんばかりにニタリと口を歪める。
今からその表情が絶望に染まる瞬間が楽しみでならない。
「なるほど。君は俺の婚約者でありながら、俺以外の男とよろしくやりたいわけか……それがなにを意味するか、わかっているんだろうな」
「当然よ。さあ、ルッツ。彼に自己紹介してあげて」
私の言葉に応じ、ルッツは緊張しながらも堂々と声を張り上げる。
「僕はアディノート伯爵家の嫡男ルッツだ。本当は君のような男と口も利きたくないけど、君には言っておく必要があると思ってね……僕はさっき、ロベリアに婚約を申し込ませてもらったよ」
その瞬間、パーティー会場にどよめきの渦が巻き起こる。
先ほどまで余裕を見せていたハンスも、驚きを隠せない様子だ。
きっと婚約者が奪われたことよりも、伯爵家の嫡男が私なんかを選んだという事実が受け入れられないのだろう。
「へ、へぇ、伯爵令息様がね……だが、アンタが婚約を申し込んだロベリアは、俺と二年前に婚約を結んでいる。その口ぶりからして、知らなかったわけじゃないんだろ? だったら、ロベリアは俺との関係を――」
私はすかさずその言葉を遮る。
「あーあ、せいせいしたわ! もとよりアナタみたいに冴えない男がこの私と釣り合うわけないものね。ねえねえ、伯爵令息様に婚約者を奪われるのって、いったいどんな気持ち? さぞ屈辱的でしょうねぇ。そんなアナタは屈辱を抱えて独りで寂しく生きていくといいわ」
さあ、こう言えば対抗したくなるでしょう。
みんなの前で言ってしまいなさい。
「だっ、黙れ! 俺にだって決めた相手がいるんだ! そうだろアリシア!」
ハンスに促され、いよいよ隣に立つアリシアが口を開く。
「そ、そうよ! アナタがそこの伯爵令息様と愛し合ってるなら、私とハンスだって愛し合ってるわ! むしろ、お互いにとっていい結果になったってだけじゃない! 別の男を好きになったなら、さっさとハンスとの婚約を破棄しなさいよ! ハンスはもう、私のものなのよ!」
まだだ。まだ笑っちゃいけない。
せっかくだから、ハンスからも言わせておこうかしら。
「あらそうなの……ねえねえ、ハンス。彼女の言ったことは本当なの?」
「ああそうだ! もとより俺は、一度だってお前を愛したことなんてなかった! お前がその男を捕まえるずっと前から、俺はアリシアだけを愛していたんだ! 伯爵令息のお前も、きっとロベリアの本性にすぐ気づくぜ! なんたってこの女は、性格の捻じ曲がった悪役令嬢だからな!」
その瞬間、私は声高らかに笑い声をあげた。
彼の言うとおり、まるでロマンス小説に出てくる悪役令嬢のように、これでもかというほど嫌味ったらしく、そして愉快に大笑いしてやった。
だけど今の私は悪役ではない。今から悪役になるのは、ハンスのほうだ。
それを示すためのセリフは、もう決まっている。
「みなさん聞きましたぁ? 私の婚約者ハンスは、ずっと前からアリシアって女と愛し合ってたらしいわ! これって浮気ってやつよねぇ! どうやら私、泥棒猫ちゃんに婚約者を奪われちゃったみたい!」
「それは、お前が先に――」
「ほーんと、おバカさんね。このいかにも気弱で優しそうな伯爵令息アディノート様が、他人の女に手を出すわけないじゃない。さっきアナタたちの浮気現場を目撃した彼は、正義感に駆られて演技をしてくれただけなの。これで状況が理解できた?」
「なっ、なにを言ってるんだ! おい、どういうことだ!」
ハンスに視線を向けられたルッツは、周囲に訴えかけるかのように大きな声で事実を告げる。
「ロードネル嬢の言ったとおりです。僕は、ハンスという男の浮気が許せず、それを断罪するためにロードネル嬢に婚約を申し込んだと一芝居打ちました。その結果は、みなさんお聞きのとおり……ハンスという男は、ロードネル嬢という婚約者がいながら、その関係にけじめをつけず、愛人を作っていたんです! 彼は先ほど、ハッキリとそう自白しました!」
「違うんだ! 浮気していたわけじゃない! か、彼女は、アリシアは、俺の心の支えになってくれていただけで……」
「あらあら慌てちゃって。だけど、もう遅いみたいよ」
騒然となったパーティー会場は、もはや私たちの話題で持ち切りだった。
そして参加者たちは皆一様に、ハンスに軽蔑の視線を送っている。
「いくらお相手があの悪役令嬢とは言え、浮気はさすがにね……」
「やっぱりアレは浮気だったのか。まあ、薄々とそんな気はしてたけどさ」
「あの悪役令嬢の肩を持つなんて、アディノート様って優しいお方なのね」
「それに比べてハンスってやつは節操がないな。貴族の風上にも置けないよ」
「違うんだ! 誤解なんだ! これは陰謀だ! 悪役令嬢の陰謀なんだ!」
そんなハンスの叫びは、虚しく喧騒にかき消されていく。
あれだけハッキリと言えば、誰も彼の言い訳になど耳を傾けないだろう。
そうして騒がしくなった会場は、もはやパーティーどころではなくなった。
新たな主役となった私とルッツが、すべてブチ壊してやったのだ。
私は愉快でたまらなかった。こんなに楽しいと感じたのは、人生で初めてだ。
だから私は狂ったように笑い続けた。
高く高く声をあげて、この私こそがパーティーをブチ壊した主役なのだと言わんばかりに笑い続けた。
そしてなぜだか、そんな私に向けられる視線に悪意はないような気がした。
みんな驚き、当惑し、呆れていても、心のどこかで私と一緒に笑ってくれているような気がした。