01
今日はいつもより早く授業が終わり、日没を待って新入生の歓迎パーティーが催された。
ここは上流階級向けの王立学園だけあって、こういった何気ないパーティーも社交界の予行演習になっている。
会場となった学園のエントランスは飾り立てられ、豪華な料理が並び、楽団まで用意され、さながら本物の舞踏会だ。
まあ、私はパーティーなんて大嫌いなのだけれど。
一応は学園行事なので二回生の私も強制参加させられたのだが、気分は最悪だ。
話し声がうるさいし、ずっと立ってなきゃいけないし、やることもないし、いいことなんて一つもない。
こんな場所にいるくらいなら、裏庭で野良猫ちゃんたちと遊んでいたほうがよっぽどマシだ。ここにいる連中は、みんな猫ちゃん以下ってことね。
そんなことを考えつつ会場の隅で壁にもたれていると、耳障りな話し声が聞こえてきた。
「見て見て。あのコが噂の悪役令嬢ってやつ?」
「うわぁ、いかにもって感じね」
「フィアンセにも愛想つかされてるんですって」
私に視線を向けてコソコソ喋っているのは、新顔の令嬢たちだ。
もう新入生にまで私の噂が広まっているらしい。そんなに有名になっていたとは、驚きを通り越して呆れてしまう。
半年くらい前から、私はこの学園で密かに『悪役令嬢』と呼ばれるようになっていた。もちろん面と向かって言われたことはないが、今のような陰口が耳に入ることはしょっちゅうあった。
私もロマンス小説くらいは嗜むので、悪役令嬢がどんな人物を指すかくらいは知っている。
人の恋路を邪魔したり、いじめたり、時には陰謀を企てて悪事を働く悪い令嬢――要するに、嫌なヤツってことだ。
「そこのカワイイ子猫ちゃんたちも、私にいじめてほしいの?」
と、コソコソ話の輪に向けて不敵な笑みを浮かべて話しかけてみると、彼女たちは慌てふためき足早に去っていく。
こんなことばかりしているから、悪役令嬢なんて呼ばれるのだろう。
とは言え、私はなにか悪さをしたり、他人の男を誘惑したり、弱い者いじめをした覚えはない。
他人に気を遣うのが嫌いで、思ったことをすぐ口に出す性格が悪役令嬢のように見えるだけなのだろう。
要するに人付き合いが絶望的に苦手なせいで、嫌われているだけのことだ。
そんな私がパーティーで楽しめるはずもなく、むしろさっきみたいに不愉快な思いをすることのほうが多い。
適当に料理をつまんでお腹を満たした私は、独りになれる場所を探して屋外に出てみた。
今日は校庭もパーティー会場として開放されていたが、明かりが届きにくい場所は人気が少なく、独りで過ごすにはうってつけだった。
そんな空間で夜空を見上げると、バカみたいにまん丸なお月様がお気楽そうに浮かんでいた。
ただ浮いているだけなのに、みんなに好かれるアナタが羨ましいわ。
「別に悪いことはなにもしてないけど、人を嫌いになる理由ってそれだけじゃないものね」
私は月に向かってそんな言葉を投げかける。
同級生も、先輩後輩も、教師も、両親も、婚約者も、みんな嫌い。
貴族も、学園も、しきたりも、パーティーも、みんな嫌い。
そして私は、自分自身のことが一番嫌いだ。
「ぜーんぶ、ブチ壊しちゃいたい」
と、そんな言葉をつぶやいた時だった。
ふと横に視線を向けると、私と同じく庭の隅で月を見ている男子がいた。
小柄で幼く見えるその顔はまったく見覚えがないので、恐らく新入生だ。
そんな彼の横顔は、哀愁漂う月のように見惚れてしまうくらい美しかった。
(これだけ美形なら、さぞみんなに愛されるんでしょうね)
そう感じる一方で、彼も私と同じく今は独りで退屈そうにしている。
彼にもパーティーを楽しめない理由があるのだろうか。
ちょうど退屈していた私は、野良猫に餌付けをするような気分で、彼へちょっかいをかけてみることにした。
「パーティーより月を見るほうが楽しい? それとも気取ってるのかしら。小さな色男さん」
「えっ? ご、ごめん! 気に障ったなら別のところに行くよ……」
私に目をつけられた彼は、怯えた様子でたじろいでいる。
そんな姿を見せられると、ますますかまいたくなってしまう。
「気に障るなんてとんでもない。私はご機嫌よ。退屈ならお話でもどう? それとも、悪役令嬢とはおしゃべりもしたくない?」
「悪役、令嬢……?」
彼が怯えているのは私の噂を知っているからだと勘ぐっていたが、どうやら違うらしい。
「あら、知らないの? 私ってば、この学園じゃ悪役令嬢なんて呼ばれているのよ。別に悪いことなんてなにもしてないけど、こんな見た目と性格だから悪役に見えるみたい」
「酷い話だね。そんなに悪そうな人には見えないけど」
どうやら少しは話す気がありそうだ。
私の告げた言葉も素直に信じているようだし、根が優しい人なのだろう。
「そういうアナタは、私なんかとは比べ物にならないくらい善良そうなお顔をしているけれど、パーティーはお嫌い? 随分と退屈そうに見えたけど」
「まあ、ね……人と話したり、誰かを誘って踊ったりするの、苦手だし」
なるほど。彼は奥手すぎて華やかな舞台が楽しめないタイプようだ。
コミュニケーションが苦手という点だけで言えば、私と同類かもしれない。
「見た目通り気弱なのね。私が悪役令嬢なら、アナタはさながら弱虫令息ってとこかしら……せっかくの機会だし、アナタのお名前を聞かせていただけるかしら? 私は、ロベリア・フォードラインよ」
「……ルッツ・アディノートだ」
アディノート――世俗に興味がない私でも聞いたことがある家名だ。
確か地方に領地を持つ伯爵家だった気がする。
「いいとこのご令息じゃない。ご長男?」
「そうだよ。僕が家督を継ぐとは限らないけど」
なんとまあ。立ち振る舞いや服装に品があるとは思っていたが、想像以上のお坊ちゃまだ。
本来なら男爵家三女の私なんかが声をかけるのもはばかられるのだろうが、気弱なルッツは地位を振りかざすようなタイプでもないのだろう。
「容姿と地位に恵まれたアナタなら、ちょっと勇気を出して誰かに声をかければキャーキャー言われそうなものだけど、そうしようとは思わないわけ?」
「きっと僕なんかと一緒にいても、楽しくないって思われるよ。愛想もないし、喋るのだってうまくないし……」
「あら奇遇。私も愛想はないし、口を開けばみんなから嫌われるわ。だけど、アナタとのおしゃべりは楽しく思えるわよ。まるで怯える野良猫ちゃんを餌付けしているみたいな気分なの」
「そういうこと言うから嫌われるんだよ」
「自覚してるわ。アナタも私のことを嫌いになった?」
「いや、むしろ君くらい思ってることをハッキリ言ってくれる人のほうが、安心してしゃべれる気がするよ」
それは予想外の反応だ。
似た者同士、相性がいいということかしら。
「私としゃべっていて安心するだなんて人とは初めて会ったわ。随分と変わってるのね」
「それはお互い様だろ」
「フフ、確かに」
そこで会話が途切れると、ルッツは再び月に視線を向ける。
月光に照らし出された儚げで美しいルッツの姿は、まるで絵画に描かれたようだ。
それからしばらく間を置いて、ルッツはぽつりとつぶやく。
「君は、独りでいるのが寂しい?」
寂しい、か。思いがけず考えさせられる質問だ。
まあ、今は気分がいいし、彼くらいには本音を言ってもいいかもしれない。
「どうかしら。気に食わない人としゃべるのはイヤだから今まで独りでいたけど、アナタに声をかけようと思うくらいには、寂しいと思っているのかもね……そういうアナタはどうなの?」
するとルッツは、しばし考えてから答えを口にする。
「僕も人としゃべるのは苦手だから独りでいたけど、君としゃべっていて気が楽になるくらいには、寂しいと思っているのかもね」
苦笑いを浮かべ暗に自らの寂しさを訴えるその態度は、行き場のない野良猫のようで本当にかわいらしく思えてくる。
随分と懐いてくれたようだし、もう猫のように愛でたいくらいだ。
「アナタも寂しいの? それじゃあ私がギュってして慰めてあげましょうか? ついでにナデナデしてあげてもいいわよ」
「えっ!? いやいやいや! 頼んでないから!」
「えー、いいじゃないちょっとくらい。どうせ誰もいないんだし――」
と思っていたが、一応周囲を確認してみると、他の誰かが近づく気配がした。