今、挟まれる栞9
「んー! 美味しい!」
栞は揚げたての天ぷらを頬張った。
「美味しいね。ここ選んで良かったよ」
きつね色の衣。蓮根の天ぷら。
「本当によく予約できたねぇ。ここ数ヶ月待ちって書いてあったよ」
栞は感心するように言うと天ぷらに塩を振った。
「うん。直木賞発表の少し前に予約しといたんだ。まぁ、予約いっぱいで年末になっちゃったんだけどね」
「もしかして受賞のお祝いで予約してくれたの?」
「まぁ……。それもあるかな。ちょっと落ち着いて話もしたかったしね」
この場を設けた理由。それは受賞のお祝いやクリスマスのためだけではない。いや、逆にそれらの理由はついでみたいなものだ。大事の前の小事。そのための京懐石だ。
この店を選んだのにもそんな理由があった。栞にとって京都が特別な場所だから。彼女が幼い日に過ごした場所。そして深い傷と絆を残した場所。その空気の中で話したかった。
京都での経験。それが今の栞を形作ったのだと思う。ときには傷ついたり、友達と笑い合ったり。そんな日々が『川村栞』と培ったのだ。
どうしてそこに僕は居れなかったのだろう? そんな嫉妬みたいな感情を持つほどに彼女の語る京都で過ごした日々は輝いていた。鴨川のほとり。そして隣には幼い歌姫。そんな情景が浮かぶ――。
それから僕たちは二ヶ月間の穴を埋めるように互いの近況をとりとめも無く話した。僕は仕事の話を。栞は今回の旅の話を。(まぁ、僕の話は単なる事務作業なので主は栞の旅行記だ)
「こんなに日本中旅したのは初めてだよ……。講演会って緊張するよね」
「ハハハ、そうだよね。僕だったら絶対人前でスピーチなんか出来ないよ」
「私だって得意じゃないよ……。あれは営業さんが勝手に持ってきた仕事だから」
栞の口ぶりには感謝と不満の両方が込められているように聞こえた。感謝は金銭的なものと貴重な経験。不満は疲労感と緊張だろう。
「でも……。無事に終わって良かったね」
「うん。とりあえずはね……」
とりあえずの一段落。今年の仕事納め。そんな感じだろう。僕と違って栞の仕事は波があるのでたまにこういうタイミングがやってくるのだ。
「ねぇ、栞」
僕は意を決して話を切り出した。栞は「なぁに?」と柔らかい口調で答える。
「ずっと先送りになってたから今日ここでで伝えてくてさ」
と僕は前振りをした。そしてポケットから小箱を取り出す。
「はい! ずっと渡しそびれてたけど……」
そう言って小箱を彼女に差し出した。分かってはいたけれど緊張で手が震える。
「ありがとう。開けてもいい?」
栞は小箱を受け取ると上目遣いに僕の顔を覗き込んだ。僕と同じように指先は震えている。
「うん。開けてみて。気に入ってくれるといいんだけど……」
それから栞はゆっくりと小箱を開いた。空色で星形の小箱。
「どう……かな?」
僕は恐る恐る栞に尋ねる。
「うん。すごく可愛いよ」
ああ、良かった。と心の中で叫ぶ。どうやら栞の眼鏡にかなったらしい。
「あっ! でも高かったでしょ!?」
「いやいや。値段のことは気にしないでいいよ」
緊張してから喜んで、喜んでから値段を気にする彼女がたまらなく可愛かった。この子は高給取りのくせに未だに庶民派なのだ。(もしかしたら高給取りの自覚がないだけかもしれないけれど)
「本当にありがとうね。すごく嬉しいよ。つけてもいい?」
「もちろん! つけてみて!」
そう言うと栞は左手の薬指に指輪をはめてくれた。ずっと空席だったその場所が埋まる。そんな感覚を覚える。
「綺麗だねー。うん! 水貴くんセンスいいよ!」
栞は指輪と僕をべた褒めしてくれた。テンション的には僕が書いた小説を褒めるときと同じような気がする。
「喜んでくれて僕も嬉しいよ。じゃあ……。指輪も渡したし本題を」
僕はそう言ってから栞の方に向き直った。栞も察したのか再び緊張した面持ちになる。
「栞、遅くなったけど……。結婚しよう。絶対に幸せにしてみせるから」
僕は身を震わせながらプロポーズの言葉を口にした。語彙力の欠片もない。気の利いた台詞でもない。稚拙で作家先生に掛けるにはあまりにも愚かな言葉。
でも……。そんな言葉でも栞はまっすぐに受け止めてくれた。「はい、こちらこそよろしくお願いします」と。




