深夜水溶液17
水面にはネオンの光が映っていた。その様はまるで光の万華鏡のようだ。幾重にも色が重なり、青から赤へ、赤から緑へその色を変化させていく。健次のRXー7は徐々に減速して料金所を通り過ぎた。心なしかアクセルの踏み方が上機嫌だ。
「どこ行くん?」
「ん? ちょっとな」
健次はそう言うと嬉しそうに鼻を鳴らした。また健次のサプライズが始まったらしい。
「ふーん……。まぁええわ」
私は平静を装いながら俯いた。本当はすごく嬉しい。どうあがいても口元が緩んでしまう。
こうして二人でドライブするのは久しぶりだ。思えば今年に入ってからは私の単独移動が多かった気がする。
「お前、今年はずっと忙しないなぁ」
「ん? まぁな。でもええんちゃう? 暇は嫌やし」
「ハハハ、お前らしいな」
健次と話しているとすごく落ち着く。彼の声のトーン、息づかい、匂い……。その全てが心地よかった。一番身近で最も大切な人。それが隣にいてくれる。それだけで幸せだ。
「ほら、着いたで」
健次はそう言うと埠頭の隅っこに車を停めた。
「ここどこ?」
「晴海埠頭や」
晴海埠頭。確か銀座の近くだった気がする。(未だに都内の地理に疎いから詳しくは分からない)
「ほら、行くで!」
「うん」
それから私たちは一緒に夜の湾岸を歩いた。水面は黒く、ただただ光を乱反射させている。水に映りきれない光は闇に吸い込まれ、東京の夜の中へ消えていった。
「昔一緒に鴨川に行ったなぁ」
「せやなぁ。懐かしいな……。あんときはお前めっちゃ思春期やったやろ?」
健次は茶化すように言うと優しい声で笑った。
「まぁなぁ。一四やったししゃーないやん? ほら、ウチも栞もガキやったから」
「ほんまにな。ま……。俺もお前らのことは言えんけどな」
本当に懐かしい。十四歳の私はどうしようもないくらい子供だった。世間知らずだったし、身勝手だったと思う。
「お、ここらがええかな?」
私が思い出に浸っていると健次が何を見つけたような声を上げた。
「月子、ちょっと目瞑ってくれ」
「ん? なんやなんや」
私は言われるがまま目を閉じた。
「したら行くで……」
そう言うと健次は私の手を握った。硬い指先、そしてセブンスターの匂い。それを感じると一気に身体が火照ってきた。
「どこ行くねん?」
「いいから、いいから」
健次の手の温度を感じながら暗闇を進む。肌寒い外の空気とは裏腹に暑く感じる。
「よーし! 目ぇ開けてええで!」
私はその声を合図にゆっくりと瞼を開けた。洪水のように光が目になだれ込んでくる。
虹色のネオン、天を突くほど高いビル群、ネオンを全身で受け止める水面。それらが目の前に広がった。ヴィヴィットな色彩。それは東京の夜を溶かした大きな水たまりのようだ。
「綺麗やな」
私は酷くつまらない感想を口にした。語彙力もひったくれもない。単純で素直で嘘偽り無い感想。
「やろ? この前ドライブしとって見つけたんや。お前こんなん好きやろ?」
「うん。好き。たまらんわ」
素直に嬉しいと思う。この景色も、それを見つけて私に見せようとした健次も。
夜がだんだんと深くなる。光も音も深夜に溶け込んでいくようだ。溶けきらない光だけが行き場を失う。どこへも辿りつけない光。可哀想な夜のガラクタ。
そっと健次が私の肩を抱き寄せてくれた。長馴染み。そんな時間だけの関係だけれど悪い気はしない。始まらない関係。だから終わらない関係。それがとても居心地が良かった。
結果だけ見ればこれは栞から奪い取った幸せなのだ。そこにはどんなに取り繕っても悪気や悪意があったと思う。
好きで好きでたまらない。だから奪ってやる。そんな邪な考えがいつも私を突き進めるのだ。邪で自己中心的で利己的な考え。それが私の本来の姿なのだと思う。
だから思う。そんな醜い私を受け入れてくれた栞や健次は大切にしなければと……。
健次と一緒に眺める東京湾の夜景は最高に美しかった。どうしようもなく人工的な光だったけれど、それがよかった。
人工的で人の欲望をたたえた水面。それはまるで深夜に人の欲望を溶かした水溶液のようだと思う。
「なぁケンちゃん」
「ん? なんや」
「絶対武道館行こうな」
「ああ、行こうな」
そんな言葉が自然と零れた。その言葉も闇に吸い込まれていく。
きっとこれからも私は欲望に身を委ねて前に進むと思う。そこには当然のように悪意が込められるはずだ。でも悪意があるから前に進めるのだ。悪意が私を高い場所へ運んでくれるのだ。
せめて自分の欲望には正直に生きよう。改めてそう思った。もしそれで身を滅ぼすならそこまでの人間だったということだ。
そんな私の思いを余所に東京の夜は更けていった。太陽が眠り、月が踊る。そんな時間を楽しむように――。
鴨川月子 深夜水溶液 終




