深夜水溶液1
夜空には三日月。水面には無数の人工的な星々。
目の前に広がる光の情景は無慈悲なほど人工的で涙が零れそうになる。
鴨川で見たあの温かい光とはまるで違う。
東京湾。その大きな水たまりは塩の飽和水溶液のようだ。まぁ……。溶けているのは塩だけではないようだけれど――。
「……。というわけよ。来月は都内でマンスリーマンション借りとくからよろしくね」
西浦さんは書類の詰まった青色のファイルを私に差し出した。
「分かりましたぁ。なんか持ってくものありますか?」
「そうね……。まぁ着替えと生理用品ぐらいは持ってくなさい。家具類はいらないわ。こっちで手配するから」
この手の話になるとこの人はいつも事務的だ。まぁ、イベント企画会議のときの鬼の形相よりはずっとマシだけれど……。
「分かりました……。じゃあ準備しときますね」
「お願いね。それはそうと……。月子、あなたいつになったら東京に引っ越すの?」
やれやれ。また始まった。この人は何が何でも私を東京に住ませたいらしい。
「その話はこの前済んだやろ? ウチは京都から出る気ないから……」
「はぁ……。まぁいいわ。今回は出張って形で。でもね……。いつまでも関西ってわけにもいかないわよ?」
私は「はい」とだけ返した。本心は「知ったことか!」だけれど……。
今年も府内に夏がやってきた。鴨川の川縁は例年通りカップルで埋め尽くされている。鴨川を見つめるカップルたち。そこに府内の人間は少ない……。そこに居るほとんどは府外の観光客のはずだ。確認しなくてもそれぐらいは分かる。ここは私が生まれ育った街だから――。
鴨川に夏が来るたび中学時代の記憶が蘇る。初めての失恋。親友の引っ越し。素人のど自慢大会での優勝。そんな幼かった頃の記憶がフラッシュバックする。
あれからもうすぐ一〇年になる……。そう考えると酷く歳を取ったような気分になった。私も彼もあの子もみんな一〇年経ってしまったのだ。
一〇年。言葉にすると呆気ないけれど長い時間だと思う。その間、私は歌い続けてきたし、彼はギターを弾き続けてきた。
そして何よりあの子だ。あの子は私よりかなり先にいる。ペンを握り、原稿用紙に向かい合い、たくさんの物語を紡いでいる。
そんなあの子のことを思うと誇らしい反面、焦らずにはいられなかった。彼女は確実に夢の実現に向かっている……。私よりずっと先にいる。
その焦りに拍車を掛けるような知らせが届いたのはちょうどその頃だ。鴨川の夏が陰り始めた。そんな日だった――。




