ワタリガラス16
私は立ち上がると壁の傷を撫でた。傷の上にうっすらと埃が積もっている。
「あの頃はまだ僕も子供だったからね……。とはいえ物に八つ当たりしたのは失敗だったよ」
社長は首を横に振った。
「フフフ、まぁ……。でもあれは広瀬くんも悪かったですよ? ほら彼ってカッカする人だし」
「ふむ……」
心なしかそう言う社長の顔は強ばっていた。過去の失敗、若気の至り。その象徴である壁の傷を見ていると居たたまれなくなるのだろう。
あの日のことは今でもはっきり覚えている。いや、むしろあの日以上に覚えている日なんてないかもしれない。それほどまでにあの出来事は印象的だった――。
翌週。私は単身で大阪に異動した。今までとは違う場所でのリスタート。そのための新天地。
大阪の事務所は酷い有様だった。いや、事務所とさえ呼べないと思う。ヒビの入った壁に黄ばんだ書類の山。あとはただの台になっている机。そんな感じだ。倉庫だってもう少しマシだと思う。
まぁいいだろう。これぐらい面倒な方がやりがいがある。そう自分に言い聞かした――。
我ながら馬鹿なことをしたと思う。今までの環境を捨ててのリスタート。しかもたった一人の女の子のためだけにするのだ。業界に入ってから馬鹿げたことは一通りやってきたつもりだった。でもこれほど思い切った行動は初めてだと思う。
致し方ない。これが私の生き方なのだ。馬鹿げていて。レールの上に乗れないような生き方しか出来ない。それはずっと昔から分かっていたことだ。
ふとレイのことを思い出す。思えば私がレールを外れたのはあの大きなカラスのせいだ。艶やかで真っ黒な羽根と嘴。そして大きな羽根音。それらがなくなったせいで私は道を踏み外したのだ。
改めてレイに伝えたい。
「あの日、死んでくれてありがとう」と。
西浦有栖 ワタリガラス 終




