ワタリガラス15
忍野さんと出会ってからの日々はあっという間に過ぎていった。彼と一緒に大学で過ごした時間は特に短かったと思う。まぁ、私が入学した段階で彼は四年生だったので当然だとは思うけれど……。
忍野さんとは彼が卒業してからもよく一緒に出かけた。週末には喫茶店や彼の部屋に入り浸って、互いの楽譜や歌詞を見せ合いっこした。それだけ近い関係だったのにプラトニックだったのはおそらく互いに兄妹のように思っていたからだと思う。年齢的なものというよりそれは精神性がそうさせたのだ。言い得て妙だけれど、忍野さんは私の実の兄以上に兄らしかったのだ。
当時から彼はよく「若者の音楽活動をサポートする仕事がしたい」と語っていた。彼自身もバンド活動や作詞作曲をしていたけれど、それ以上に他人のサポートが好きだったのだと思う。彼はそういう人間なのだ。自分で何かを成すより他人を喜ばせたり育てたりすることが好き。そんな人だった。
私は短い大学生活の中で生きる術とそれなりの人脈を築いた。私の通っていた大学で……。というよりもそれは忍野さんやその周りの人間たちとの間で育まれていった。類は友を呼ぶ。とはよく言ったもので、気がつくと私の周りは音楽に関わる人たちで溢れていた。作詞作曲者、楽器のエキスパート、プロモーションのプロ……。そんな人たちと普通に親密になっていったのだ。
私はそんな生活を数年送り大学を卒業した。卒業する頃には実家ともすっかり疎遠で、両親は私がどうなろうが知ったことではないような顔をしていた。その証拠に私の卒業式には両親は来なかった。きっともう彼らにとっては自分たちの子供ではないのだろう……。そう感じる。
でも別に嫌だとか寂しいだとかは感じなかった。始めからこうだったのだ。高級官僚の両親、将来有望な兄、空気のような祖父(ちなみに祖父は私が大学在学中に逝去した)。彼らから見たら私は異物そのものだったのだろう。
私が大学を卒業した頃、忍野さんが会社を立ち上げた。終生、私がお世話になる会社だ。
その頃には私も忍野さんを社長と呼ぶようになった。まぁ……。彼は私の兄で上司みたいなものなので呼び名が変わっただけだけれど。
インディーズレーベルとしてスタートしたその会社はお世辞にも順風満帆とは言えなかった。老朽化したテナントの事務所に古女房のような社員。残業に残業を重ねても微々たる給料。もし私の旦那がこの会社の社員だったならきっと転職を進める……。そんな環境だ。控えめに言って最悪だと思う。
それでも楽しかったのは社長の人柄だろう。まぁ……。当時は必死すぎてそんなこと思ってる余裕なんてなかった。
でも……。そんな毎日の全てが夢のようだった。あまりにも非現実的で浮世離れしていた。
すっかりいい歳になった今でもそう思う――。




