ワタリガラス8
一九七〇年九月。私は退屈な青春を送っていた。空は青く、海は蒼い。そんな当たり前なことに飽き飽きしていた。でも私の青春とは裏腹に世間はかなり荒れていた。三月には赤軍派によるよど号ハイジャック事件が起きたし、高度経済成長の対価としての公害問題が浮き彫りになっていた。
言い方を変えれば日本という国が豊かになった時代。そう言い換えることもできるかもしれない。日本国民から戦争の記憶が遠のき、その代わりに反戦の意識が高まっていったように思う。その意識の具象化としての安保闘争。そのための学生運動。そんな時代だった。
しかし……。そんなことは当時の私には関係なかった。この歳になってみると懐かしく感じるけれど、それは「ああ、そんなこともあったね」程度の話だ。リアリティーがない。まるでテレビの向こう側の出来事だ。
一八の私にとってのリアルはただ一つだ。それは音楽であり同時に文学だった。作詞作曲をして自ら歌う。ただそれだけが現実世界にいる実感を与えてくれた。幼少期からそれは変わらない。ずっと音楽だけが私の拠り所だった。
別に家庭環境が荒んでいたわけではないと思う。むしろかなり良い家庭環境だったはずだ。両親とも公務員だったし、兄も国立大学にストレートで合格していた。無難よりずっと良い環境。そんな家庭だったに違いない。
おそらく私は西浦家にとって突然変異体だったのだろう。親類を見ても私に近しい感性を持つ人間は皆無だったし皆一様に優秀だった。世間的に成功を収めることが優秀と定義するのであればだけれど。
思い返すと幼少期には様々な習い事をさせられた。水泳とかそろばんとかそんな世間一般的な習い事だ。半ば強制的にさせられた習い事でも私はそれなりに楽しむことはできたと思う。
そんな習い事の中には私を夢中にさせる物がいくつかあった。ピアノとギター。おそらくそれが私の音楽活動のルーツなのだ。鍵盤と弦。それが全てのスタート地点だった。
水泳やそろばんは一年ぐらいでやめてしまったけれど楽器だけは何年も続けられた。指先に伝わる感覚は歳を重ねるほどに洗練され、次第に自分と楽器との境界線が曖昧になるほど身体に馴染んでいった。それはもう中毒だと言ってもいいかもしれない。音楽中毒。音こそが私の身体を作っている。
だから私は自然と音楽で生きていきたいと思うようになったのだ。不安定な世界だと知りながらもそこでしか生きられない。そんな風に思った――。
彼と出会ったのはそんなときだった。初対面の彼の顔は今でもよく覚えている。




