睡蓮3輪 相手への葛藤
「すみません、遅くなりました理子さん」
「あら、遅かったわね。…どうしたの? そんなに恐い顔して」
寝室に戻ってきた奏芽は片手にスケッチブックを持ち、渋い表情で頭を掻いていた。
「未成年相手って…結構辛いんですね。迂闊に手も出せやしない」
言って理子のいるベッドに身を沈ませると、背を向けて体を丸める。頼りなさげなその背に手を伸ばすと、理子は包むように奏芽を抱き締めた。
「私で良いじゃない。きっとその子、どれだけ貴方が世話してあげても1円も返してはくれないわよ?」
「別に金が欲しい訳じゃないんですよ、俺は…何ですかね、違うんです」
言って更に身を縮めると理子は上半身を起こし、奏芽の頬に口付けた。
「ねえ…つまらないわ、貴方の仕事早くして」
「…ああ、そうだった。理子さん、1つお願い聞いてくれますか?」
「あら、何かしら? 私に出来る事なら何でもしてあげるわよ、奏芽の為だもの」
「理子さんに付ける…キスマークアート、あの女の子に見せても良いですか?」
「…なぁ――んだ、女の子の為のお願いなのね」
先程自信たっぷりに見せてやると言ったキスマークアート。その許可を客から取っていないのを思い出しての願い事に、理子はあからさまに落胆して見せた。
しかし、常連である理子の扱いにはある程度慣れている。
奏芽は腹に回されていた手を解か一撫ですると、理子の体をベッドに倒しその胸元をきつく吸い上げた。
「ぅんっ……」
微かに身を震わせ反応する理子をそのままに、その辺りに幾度も痕を付け重ね、やがて浮かび上がった睡蓮を食み舐め上げた。そして多少息荒く、理子を見下ろす。
「睡蓮…1輪、サービスしますから」
優しく微笑んで頬を撫でると、1度くすりと笑いその手に擦り寄った。
「女の子の前なら私を抱かなくてすむから?」
「理子さんに男が出来てからはもう抱いていないでしょう」
「そうねぇ……。分かったわ、奏芽のお気に入りちゃんの為に、ね」
「ありがとうございます、理子さん。後でもう1輪サービス付けますね」
「あら、随分と奉仕上手になったじゃないの」
用件はすんだとばかりにベッドを降り、煙草に火を着け肩を竦める奏芽。
害の塊と言うべき煙を肺一杯に吸い込み、数秒経ってまた吐き出す。
「…別に、……」
ふと、呟いた。だが直ぐに黙り込み、煙草で口に蓋をする。
人が困惑する事を、奏芽はよく無意識にする。特に意味がある訳ではないと知っているが、常連である理子にも対処しきれない事が多々ある。
先程の反論するような声で突然黙り込んでしまった奏芽に今度は理子が肩を竦めていると、新たに煙を吐き出した奏芽がまた口を開いた。
「別に、あの女の子の為でも在りませんよ。最初に出来るだけ衝撃的なの見せておけば、自分から恐がって帰ってくれるかも知れないでしょう? 結局残る事になったって、隣りに預けやすくもなりますし」
「あらぁ……?」
真剣な、だが苦笑の混じるその言葉に理子は指先を顎に当て傾げ綺麗に微笑むと、まるで不思議な物を見るように目を細めた。
「変ねぇ…話が合わないわよ、奏芽? 自分で気に入って連れて来たんでしょう?」
「間違えないで下さい、気に入ったんじゃなくて気になって話掛けたんです」
「気になってって…ふふ、まるで恋をする小学生のようね。言葉は難しいものよ」
「…そうですね」
どう説明しても捉え所のないその考え方に自然とため息が漏れる。
けれど、そうかもしれない。普段無口で、しかも自分から人に話し掛ける事等ない為、確かに周囲から見れば由香を特別視しているように見えるだろう。だが実際はどうなのだろう。
会って半日の経たない相手に特別な感情を?
そこまで考えて、奏芽は緩く頭を振った。いくら自分から話し掛け且つその由香にだけ饒舌になったとしても、それは野良猫を見つけ撫でるのと同じ様な感情だろう。
自分でも分かりもしない感情を適当に処理し短くなった煙草を灰皿に押し付けると、鈍い音をたてて開き始めたドアに目をやった。