No.5 ハムスターのようなくしゃみ
色葉は俺の顔を見るなり、すかさず握り締めた拳を振るう。
「ふ、不審者ぁ!!」
しかし何度も黙って殴られる俺じゃないーー
俺はため息を吐きながら、拳を素手で受け止める。
「すぐ手が出るの止めろよ……」
「なんで付いてくるの!?それにこれは都市伝説でもなんでもない!何かの間違いよ!」
あくまで現実を認めようとしない色葉。
しかしこのまま時間を無駄に浪費していては、まもなく紅色葉が死亡する未来が訪れる。
リーベが俺の裾を掴んで警告。
「ライル、そろそろ夜だよ……!急がないと……!」
空が薄暗く、もう時期完全に日が暮れる。
何時何分に色葉が死亡するのかは分からない。
だから尚のこと、急いで安全な場所へ避難する必要がある。
俺は色葉の腕を強引に掴み、連行するように連れ去った。
「ちょっと来い!」
「えっ!?いきなり何するの!?止めて不審者!」
かなり大きな声で色葉は叫ぶ。
「近隣住民に誤解を招くような発言は止めろ!」
時は既に遅く、友達の愛菜が不信そうに俺の前に立ち塞がる。
「貴方どちら様ですか……!?どうみても色葉の保護者って雰囲気じゃないですけど……!」
友達を助けようとするその姿勢は立派だが、悪いが今はこれに付き合っている時間はない。
もたもたしていたら色葉が死ぬーー
「リーベ……!頼む!」
「はいはーい!」
リーベに後のことを頼むと、元気よく返事して前に出る。
そして愛菜と向かい合うように立ったリーベは、ゆっくりと目を合わせーー
右手の平を愛菜の顔前に近づけた。
すると次の瞬間ーー
ドカン!!!
目に見えない空気の塊が愛菜の顔前で破裂し、爆弾のような激しい音を轟かせた。
音を間近で浴びた愛菜は、一瞬で意識を失いーーその場で体制を崩して倒れ込んだ。
「よしっ!」
それを見ていた色葉は、当然慌てて愛菜に駆け寄って抱き抱えた。
「愛菜!ねぇ何をしたの!?」
「ふふふん。これはボクの必殺技なんだ!」
「は!?必殺技!?」
全く状況を読めていない色葉に、俺が簡単に解説する。
「リーベの技は、対象に大きなショックを与え、一時的に意識を奪っていく。”猫騙し”ってあるだろ?あれのトンデモ版って考えてくれ」
言葉通りーーリーベは猫である。
しかし色葉が聞きたいのはそういうことではなかった。
「違う!そうじゃなくて、なんでこんな酷いことするの!?」
「大丈夫その女は無事だ。数分で目が覚める」
「答えになってない!なんで愛菜を襲ったの!?」
「決まってるだろ?お前を『都市伝説』から逃がすためだ」
「だから都市伝説なんていないってーー」
色葉がそこまで言ったところで、再度無理やり手を掴んで強く言った。
「紅色葉!お前はーー『ドッペルゲンガー』を知っているか!?」
「は!?ドッペル……何!?」
「または『バイロケーション』とも言うが、わかりやすく言うとーーお前の”偽物”がいる!」
「偽物!?私の真似してる人がいるって言いたいの!?そんな馬鹿な話信じるわけーー」
「お前の真似してる奴がいるんじゃないーーお前がもう1人いるんだ!」
「何言ってるの!?」
何をどう話しても信じてくれず、一体どのように説明すればいいのか俺も分からなかった。
「予約してあったケーキをお前の代わりに受け取ったり、友達にそれを渡したりなんて真似は、変装やそっくりさんってだけじゃ限界があるだろ!?それら全てを誰にも疑われずにやり遂げるには、それはもうお前本人以外有り得ない!」
「私はずっと貴方に付きまとわれてたの知ってるでしょ!?私はケーキを愛菜に渡せてない!」
「だろ!?しかし現に何者かがお前の代わりに、ケーキを渡してるんだ!現実から目を背けるな!」
今日この日のどこかで色葉が何者かによって殺されることは、未来で既に決まっている。
そんな時に例えドッペルゲンガーがほんとにいるとすれば、繋がる辻褄は必然と予想できる。
「仮にそのドッペルなんとかがいるとして、それでなんのために私の代わりをやってるの!?」
「奴は本物のお前を消したいんだ!その前にまず、お前の居場所を奪おうとしてる……!」
「だからそんなオカルト話信じると思う!?」
「都市伝説に消されたいんなら止めないけどな……!後悔しても知らないからな……!」
俺は都市伝説によって滅んだ世界を知っているーー
人が大勢死に、陽の光さえ失った闇の世界。
ーー終わってからじゃ遅せぇんだ……!そういうものは……!
しかし受け入れられない色葉は、俺の腕を振り払う。
「ちょっと止めてよ!痛いから!」
そして俺から離れようと後ずさりしたところで、背後から別の腕が色葉の腕を掴んた。
「えっ……」
振り返るとそこに立っていた人物はーー
「みーつけた……!」
不気味に笑うーーもう一人の紅色葉の姿だった。
当然そこに鏡がある訳もなく、しかし確かに瓜二つの紅色葉が立っていた。
「あっ……!そんな……!」
目の前に別の意思で動く自分がいて、色葉は一気に恐怖のどん底に落ちていった。
もう一人の紅色葉は、怯える表情を見て更に笑みを強くした。
「オリジナルの私……!」
「嘘……!本当にもう一人の私が……!?」
目の前の恐怖に、足がすくんで動けない。
しかし容赦するはずもなく、不気味な笑みのままジリジリと迫り寄ってきた。
「貴女の人物……!私にちょうだい!」
怯える色葉に掴みかかろうとする刹那。
咄嗟にプリーストの俺は動き出していたーー
取り出していた空き瓶の蓋を開け、中の聖水をすかさず空中に振り撒くように散布する。
本物の色葉を引っ張り上げ、落ちてくる聖水の中に身を入れる。
「捕まれ!」
『オーデ・テレポート《転移の聖水》』
ーー刹那。
リーベもすぐに俺にしがみつき、大量の聖水が俺達三人を包み込む。
空き瓶だけが地面に落下した時にはーー既に俺達がその場から、遠くのどこかへ瞬間転移し終えた直後だった。
カラカラと転がる空き瓶を見た偽物は、ニタァッと不敵な笑みを浮かべて言い残していた。
「……まだまだたくさん遊ぼうね」
ーーーー
ドカーン!!!
激しい爆音と共に、とある公園の噴水が崩壊し吹き飛んだ。
巨大な水柱が立ち、その下で全身水びたしになりながらーー俺とリーベはゆっくり立ち上がる。
「いてて……!また変な場所に転移したか!?」
身体のあちこちを打ち付けたらしい。
「ほんとだよ!もう嫌この聖水!」
リーベはそう駄々をこねながら、人間の姿のまま、猫さながらの全身ブルブルと震わせて水気を落とす。
しかし着ている衣服の水気は大して取れていないが。
俺はすぐに近くの色葉が気がかりだった。
「大丈夫か紅色葉?」
怪我や様態を心配したが、そこには予想外の光景が広がっていたーー
水を全身に浴びていた色葉はーー
濡れたワンピースが透けて見え、下着や肌がはっきり見えている。
ミニスカートもまくり上げられた状態で、こちらの下着もぐっしょり濡れているのが見て取れる。
そして何より、着衣全てが色葉の身体に吸い付いていた。
身体のラインがくっきり現れていた。
ハプニングとはいえ、こんな恥ずかしい目にあった色葉が次にとる行動は決まっている。
「やべっ!」
危機を予測した俺は、急いで手のひらを構えて、繰り出される拳を警戒した。
ーー殴られる!
しかし今回の色葉は怒ることなく、頬を赤面させながらもぞもぞとセリフを口にした。
「……あの」
「……な、なんだ!?殴らないのか!?」
「……いい。後、あんたの話信じなくてごめんね……」
色葉の口から出た台詞は、心からでた反省の謝罪だった。
「い、いや……」
何を言い返したらいいか悩んでいると、色葉は小動物のようなくしゃみを数回繰り返した。
「へっしゅ!くしゅ!」
ハムスターのようなくしゃみに、とりあえず俺は心配の声を掛けることにした。
「……大丈夫か?」
「べ、別に平気よ……へくちっ!」
全身ずぶ濡れで外の風に当たっていれば、いずれ風邪をひいてしまう。
それと透けている着衣のまま外を歩かせるのは、さすがに可哀想と考えた。
神父服の上着を脱いだ俺は、それを色葉の着衣の上から掛けてやった。
「ったく……奴から逃げるぞ!話はそれからだ……!」