16 夜明けの君、アウローラ・カーリタース
ラスボス? 裏ボス? 未来の嫁? 登場です。
王都エーヴィヒカイトから西南に約500km、巨大な湖〈ヴィワラクス〉を見下ろす四階建ての豪邸。ここ商業都市オウミテッラの領主館に勤める代官役、シュヴァイン市長は頭を抱えていた。
そもそも最近の自分を取り巻く一連の問題は、どこが始まりだったのか。
王都との間を結ぶ山道に巣くった一級山賊団ヴロミコ。奴らの存在により行商の行き来が滞り、市民や貴族にも被害が広がっていた。それはたしかに頭の痛い問題であったが、道中に脅威があるおかげで旅人や行商はオウミテッラを素通りすることなく宿泊していくし、冒険者を護衛に派遣したり馬を貸し出したりと、山道を素早く安全に通り抜けようとする者へ向けた商売は以前の比ではない繁盛ぶりを見せていた。
市民の安全を守る代官市長としては不謹慎だが、街の財政を考えれば山賊団ヴロミコを無理に討伐する必要はないとすら考えていたのだ。幸いこの辺りは森と山岳に阻まれ、オウミテッラを利用するルート以外に王都へ向かうにはかなりの遠回りになる。
ヴロミコのアジトから近い宿場町の方は被害も深刻で同情するが、そちらとてこの状況の恩恵で宿を素通りされずにすんでいたのだ。
それがつい半年ほど前だっただろうか。あのB級冒険者の集団にも匹敵する戦力と恐れられた山賊団ヴロミコが、突如姿を消したのだ。噂では王家が関わるような重要な輸送があり、国に雇われた冒険者達により討伐されたとも聞こえてくるが、そのような大掛かりな輸送計画ならば自分の耳に入っていないのもおかしい。そもそもそんな大編隊の行商が通過したという記録もない。
そして山賊の脅威が去った山道が再び賑わいを取り戻すかと思われた矢先、あれが現れたのだ。
グール。
かつてはアンデッドを創造・使役できたとされる妖魔族の王によって大群が組織されたと記録される、ヴァンパイアのなり損ないのような化け物。
腐った死体から自然発生し知能も持たずのろのろと動くゾンビと違い、その動きは俊敏で、待ち伏せや連携を組む程度の知能まで有する。
鋭い爪と牙を振り回す攻撃は皮の鎧程度なら簡単に切り裂き、噛まれた者は痛みにのたうち回ったあげくゾンビになり果てる。
さらにレッサーヴァンパイアなどの上位種が居た場合は、その指揮の元に死を恐れぬ軍隊となり街を飲み込み仲間を増やしていく。
一匹でも見つけたら即座に討伐しなければ、近隣の街は五年と持たず消えることになる。
だが、レッサーヴァンパイアやグールといった強力なアンデッドを生み出せたのは妖魔族の王ただ一人であり、それが討たれた後は当時の勇者達の活躍により殆どが死滅したと記録されている。
僅かに残っていたにせよ、およそ千年もの間この人間族の世界で、どこに潜んでいたというのか。今になって、それも歴代の勇者の多くが活動の拠点としてきた歴史あるこの地域に出現するなど、有り得ていいことではない。
グールが自然発生したとでもいうのか。
この問題はもちろん一都市の代官如きに対応できるものではなく、即座に王家まで報告された。しかしなぜかそこからが長かった。やっと最近になってグールの調査隊が派遣されると聞いた時には、数ヶ月ぶりに安眠できたものだ。
しかしその調査隊というのが、グールなど比較にならないほどの化け物だった。
よりにもよって、なぜ奴らなのか。A級の冒険者や王家の所有する軍隊でも連れてくればいいものを、なぜ。
太古の時代に我々人間族を創造し、この大陸に導いたとされる天上の存在イーオン。そのイーオンに選ばれた、人間族であって人間を超越した存在、勇者。さらにその勇者自らの選定によって集められる6人の豪傑。人間族がこの大陸に進出し妖魔族と戦った時代からおよそ千年もの間、幾度となく繰り返されてきたこの勇者7傑の出現。妖魔族の王が討たれた後も、その世代に必ず現れては人間族の脅威と戦ってきた英雄たち。
しかし、彼らはあまりにも強すぎる。そう、人間族の脅威に対抗すべく、突出しすぎているのだ。あれはもはや我々と同じ人間族などではない。
そして誰にも手出しのできない存在である彼らの、あまりにも目に余る傍若無人な振る舞いは、それこそが人間族の脅威と言えるのではないか。
そのような化け物を二人も寄越されては、もはやグールどころの話ではない。
それなのに、調査の対象となっているグールがこのタイミングで姿を眩ませてしまった。
ついていない。
最近の自分はとことんついていない。なにか悪いものにでも取り憑かれているようだ。
だが……。
それも、そんな状況も、もしかすると。
あのような化け物に支配された人間族を、解放してくれるかもしれない。
つい先日、あの勇者一味の豪傑二人を相手に互角以上の戦いを繰り広げて見せた、あの存在。
あの時はなにやら閃光で目が眩んでいる間に消えてしまったが、あのような者達が居るとすれば、我々にはあの勇者と名乗る化け物の支配から解放される未来もあるのではないか。
あの強さ、そして放たれるおぞましき気配……。おそらく人間族ではないのだろう。だが、それがなんだ。
人間族を名乗る勇者たちの方が、よっぽど恐ろしいではないか。
我々人間族には、あの漆黒の衣を身に纏った者達が必要だ。
あの者達と手を組まなければ、我々に未来はない。
……私はすっかり魅了されてしまったようだ。
人ではない何かに。
「それでいいのよ。あなたの考えは正しいわ」
どこかで鈴が鳴った。
いや、これは“声”か。
「人間族の身でありながら、あのお方の持つ力に惹かれるとは、貴方は見込みがあるわ」
ああ、なんと美しい音色なのだ。
これが声なのか?
このような声を発する存在は、どのような見た目をしているのだろう。
「そうね。貴方は特別よ。この私を見ることを許すわ」
そう聞こえると同時、今まで自分一人しか居なかったこの執務室に、忽然と姿を現した者がいた。
まるで初めからそこに存在していたのに、なぜか今まで気付いていなかったような。彼女がそこに居ることは正しく、自分こそが間違った存在であるかのように思える。
「初めまして。私は妖魔族を導く者。この大陸に夜明けをもたらすもの。天上に終焉を与えるもの。そして、この世界を統べる王の妃となるもの。
私はアウローラ・カーリタース。
あのお方と共に、世界を夜明けへと導くものよ」
そこにはあまりにも美しい、何かが立っていた。
それが少女のような姿をしていたと認識したのは、随分あとになってからだった。
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