3.殲虹は異世界の魔法を学ぶ。
「…一真に私の家の名前を?」
「あぁ、貸してあげてはくれないだろうか…」
麻美…いや、予言者ティアは、過去の自分を部屋に呼び、ことのあらましを話した。
もちろん、所々に虚偽は含みつつだ。
一真は間違いなく、聖なる魔を放つ者であり、この世界の命運は、一真にかかっている。
ティアがそう言った瞬間、一真は凄まじい勢いで顔をしかめた。
命運が自分にかかっていると言いながら、何故に魔法を封印した?といった心境だろう。
ティアは一真に構わず、話を続ける。
一真が聖なる魔を放つ者であるという事実は、基本的には内密にしなければならない。
諸事情により、一真は魔法を使えなくなった。こっちの魔法を学ぶために、魔導学院高等部の戦技科に転入させたい。
そのためには、一真の経歴を偽称する必要がある。
そこで、一真を麻美の従兄弟…一真=ルイズ・レーヴェルトとして、クラスメートに紹介してほしい。
要約すれば、ティアの話は以上だった。
「…引き受けて、くれるだろうか?」
「もちろんです。予言者ティア様からの直命…父も喜びます」
即答する麻美に、一真は眉をひそめた。予言者ティアは、未来の麻美…つまり、ティアは麻美が了承することを知っていることになる。
(…一人芝居みたいなもんか…いや…)
そう思ったものの、現在の麻美は、ティアが未来の自分であることを知らない…
麻美からすれば、ティアは信仰の対象…神に近い存在だ。
しかし、ティアから見た麻美は…
「…」
過去の自分を前に、ティアは何を思うのだろう…
「…何かな?」
知らず知らずのうちに、一真はティアの顔を凝視していたようだ。ティアは視線を気にし、一真に声をかけた。
「…いや、どんな気分なのかな…って」
「…?」
一真の言葉に、麻美は首をかしげた。しかし…
「…正直、複雑だよ…」
ティアには、一真の意思が伝わったようだ。
「辛いこともある…」
「…」
そう言ったティアに、一真は背を向けた。
「…一真?」
部屋を後にする一真に、麻美は声をかけるが…一真の返事を聞く前に、ティアが言った。
「必要な書類は私が手配する。君達3人はしばらく、学業に専念しなさい」
「あ…はい、了解しました。では…失礼します」
ティアに敬礼し、麻美は一真を追って、部屋を後にした。
2人が去った後、ティアは自分の椅子に腰掛け、呟いた。
「…なんでも、わかっちゃうんだ…」
隠せているつもりだった。
悟られないように、アルカナの魔法まで使った。
それでも彼は、見抜いた…
知っているのに、言えない辛さ…
知っているからこそ、干渉出来る範囲内でしか動けない不自由さ…
過去の自分を…仲間を、危険に晒し、自分は偉そうに命令するだけ…自分だけが、安全が約束されている罪悪感…
「…」
この世界の誰も、それに気付いてはくれない…
ただただ自分を、神のように崇めるだけ…絶対の存在だと、信じるだけ…
…それなのに。
「…凄いなぁ…一真は」
仮面の下の、瞳から…涙が溢れて来る。
今も昔も…一真は誰よりも、人を理解してくれる…
一真に枷を填めた自分にさえ、理解を示してくれた。
そこにあるのは、純粋な優しさ…あるいは、探求心。でも…
『…いや、どんな気分なのかな…って』
そう言った一真の瞳は、澄んでいた。驚く程に、純粋だった。
「…」
それは、唯一の救い…ティアは、未来の一真からの言葉を思い浮かべる。
『この任務は、麻美の人生で1番辛い任務になるかもしれない…少なくとも、オレには耐えられない。でも、過去のオレは力になってくれる』
「…うん…」
一真の言った通り…過去の一真は、麻美を助けてくれた。
これから先も…彼は、きっと…
久城一真が異世界、ヴェルミンティアに飛ばされて来て、早くも1週間が経とうとしていた。
「…」
ここは、王立図書館…ここ数日、毎日…午前中は図書館で過ごすのが、一真の日課となっている。
予言者ティアに言われた通り、一真は麻美の家の姓を名乗ることになった。
今の一真は、久城一真では無く、一真=ルイズ・レーヴェルトとして、麻美の家に居候させてもらっているのだ。
居候初日…居候の身としては、家事手伝いぐらいはしたい。そう思った一真は、麻美の母…アンナに申し出たのだが…
『聖なる魔を放つ者に、家事なんてさせられません!外で遊んでらっしゃい!』
…と、追い出されてしまったのだ。
オレは子供か?と、思いつつ当然、一真は暇を持て余す。
麻美、あおい、ハウルの3人は、それぞれ学校があるし、何よりここは異世界…何をしろと言うのだ。
仕方なく一真は、唯一行き方がわかる、予言者ティアの城を訪れた。
そして、ティアに王立図書館を紹介されたのだ。
『暇も潰せるし、魔法を学べる…そっちの世界で言う、一石二鳥…でしょ?』
今の一真には、願ったり叶ったりの提案だった。
一真はティアに、図書館までの地図と紹介状を貰い、ティアの城を後にした。
図書館に着き、一真は司書に、ティアからの紹介状を見せた。
すると、司書達が一真に敬語を使い始め、一真は巨大な個室に案内された。
涼しく快適な室内…飲み物やお菓子は食べ放題…魔法関係の本が全て収まっている本棚…
「…何書いたんだよ…」
一真は、ティアの紹介状の内容が激しく気になったものの、敢えて考えず、魔法の勉強を始めた。
それから4日…今日は、一真の世界で言う日曜日らしく、朝からあおいとハウルも図書館に来ていた。
「…カズ兄ちゃんが3年生の勉強してる」
スナック菓子を頬張り、ぶどう風味の炭酸水で喉を潤しながら、あおいが言った。
「…仕方ないだろ、こっちの魔法を1から勉強してんだから」
本から視線を上げず、一真は答えた。
「…3年って言うと、そろそろ本格的に魔石と"固有魔法"を使い始める頃ですね」
「…そうなんだよなぁ…」
ハウルの言葉に、一真は顔を上げ、顔をしかめた。
魔石は、説明不要だろう。あおいのファナユフィや、麻美のフェノアールトのことだ。
では、固有魔法とは?
「…固有魔法。それは、全ての魔法使いを数百の属性と血筋、能力などで分け、その魔法使いの本質と資質を…」
「簡単に言えば、呪文の最初に付く言葉だよ」
本を音読する一真を遮り、あおいは簡潔に纏めた。
例えるなら、麻美の…
『"槍帯の名の元に、我に仇なす者を貫け…ピルト=ランベル"』
の、"ピルト"の部分だ。
「麻美姉はピルト、私はティム、ハウルちゃんはリュラスだよね?」
「うん、リュラス…でも、私の場合は少し特殊なんです」
あおいの主属性は水。後は、光、土、雷…
ハウルの主属性は火。後は、闇、風、そして…
「"霊"属性…っていう、魔力とは違う力を用いた魔法を使えます」
「あぁ、ハウルは霊属性を使える子なんだ…昨日、本で読んだよ」
霊属性とは、自然界の物言わぬ者達の言葉に耳を傾ける魔法が属するもの。
それは、木であったり、花であったり、空気…時には死者との対話すら可能となるもの。
(…豊の霊能力みたいなもんだな)
そう一真は納得した。ハウルの言った、魔力とは違う力と言うのも、おそらく霊力のことだろう。
「…ところで、カズ兄ちゃんの属性は?」
「…」
あおいに聞かれ、一真は黙り込んだ。実は、自分の属性がわからないのだ。
一真は自分の後ろに積んである本の中から、1冊の本を取り出した。
「…この、『属性診断』って本によると、魔石が無いと診断出来ないって…」
「…そっか、カズ兄ちゃんは魔石持って無いんだっけ」
ソファーに腰掛けながら、あおいが言った。
「困ったね…魔石って、生まれてくる時に握り締めてる物だよ?」
「マジかよ!じゃあ、完全に無理じゃん…」
あおいの言葉に、一真は唖然とした。しかし…
「…ティア様に聞いてみたらどうでしょう?カズ兄ちゃんの魔法を使えなくしたんですから、それぐらいは何とかしてくれるのでは…」
「おぉ!そうだな、聞いてみるか」
ハウルに言われ、一真は椅子から立ち上がり、ハウルの背中を押しながら、部屋の出口に向かって歩き始めた。
「え…今から行くの!?ちょっと待ってよカズ兄ちゃん!」
スナック菓子を頬張っていたあおいは、菓子を頬張れるだけ頬張り、一真達の後を追って駆け出した。
「…てか、ハウルもオレを『カズ兄ちゃん』って呼ぶんだな…別に良いけど」
「…」
一真に指摘され、ハウルは微かに顔を赤らめた。
「魔石ねぇ…」
ティアの城の、ティアの部屋。あおいとハウルを手前の部屋に残し、一真は1人、ティアの前に立っていた。
「なんとかならないか?」
「…魔石は、生まれてくる時に握り締めている物…つまり、自分の身体の一部なんだよ」
「身体の一部…」
ティアの言葉に、一真は腕組みをして考え込む。
「…私に言えることは、それだけだね」
「そっか…まぁ、何とかなるだろ。サンキューな」
それだけ言って、一真はティアに背を向ける。
「…文句、言わないんだね…」
「…?」
ティアの言葉に、一真は振り向く。
「向こうの魔法を封印したのに、情報はほとんど渡さない…そんな私に、文句も言わずに…それどころか"サンキュー"って…」
「あぁ…まぁ、文句は封印された時に言ったし、情報も十分もらったからな…」
一真の言葉に、ティアは仮面の下で顔をしかめた。
「…あれで十分?」
「お前だって知ってんだろ?この前言ってたし」
言いながら、一真はニヤリと笑った。
「考えるのは、得意なんだよ」
そして、一真はティアの部屋を後にした。
「…魔石は身体の一部…ですか」
ティアの城からの帰り道、ハウルは一真を見上げながら呟いた。
「あぁ、そう言ってた」
「身体の一部…小指とか?」
『…』
あおいの言葉に、一真とハウルは黙り込んだ。
「…具体的な部位はわからないけど…小指は嫌だな…」
「同感です」
2人は揃って、苦笑いした。すると…
「…じゃあ、何処なら良いの?」
『…』
2人は再び、黙り込んでしまった。
「…何処も嫌だな…」
「…何の話?」
一真が答えると同時に、麻美が空から下りて来た。
「よぉ、麻美。仕事は終わったのか?」
「終わったよ。って言っても、君の入学手続きだけどね」
言いながら、麻美は一真の前に着地する。
「あ、マジで?悪いな…」
「ううん、これも仕事だから」
そう言って、麻美は一真に微笑んだ。
「それで、何処に行ってたの?図書館にいるかと思えば、部屋はもぬけの殻だし…」
「ん…魔石が欲しくてな、ちょっと予言者様の知恵を借りに…」
「ティア様の所に?」
「!?」
言うと同時に、麻美のアホ毛がクエスチョンマークの形になった。それを見て、一真は驚き、目を見開いた。
「…行くなら行くって言ってくれれば良かったのに…」
「…」
「…まぁ良いわ、そろそろお昼だし…うちに帰ろう、お母さんがお昼ご飯作ってくれてるから」
そう言って、麻美は歩き始めた。一真達も、麻美に付いて行く。その道中、一真はあおい達に聞いてみた。
「…なぁ、あいつの髪って…」
『!?』
瞬間、一真の口は2人の手によって塞がれてしまった。
「カズ兄…その話題は…」
「トップシークレットです」
「…」
2人の真剣な、鬼気迫る眼差しに、一真はただただ頷くしかなかった。
…その日の夜、一真は自分の心の中にいた。
「…魔石は自分の身体の一部…か…」
呟きながら、一真は封印の台座に向かって歩いていた。
身体の一部…心や魔力もそれに含まれるのなら、肉体よりもこっちの方が魔石に近いような気がしたのだ。
一真は、剣の刺さっていた窪みの中や、台座を隈無く調べてみた。しかし…
「…無いな…」
やはり、見つからない。
一真はしばらく、腕組みをして辺りをウロチョロした後、最初に解放した封印の台座に腰掛ける。
(生まれた時に握り締めている物…つまり、母親の胎内で生成される物質…?)
そう考えてみて、一真は無言で首を振った。
(ティアの言い方から察するに、魔石は今からでも手に入る…なら、胎内で生成されるとは限らない…)
「もっと違う、何か…」
(胎児といえば…赤ちゃんといえば…なんだろう…)
膝に肘を乗せ、両手を重ね、それに額を乗せる。そして一真は、もっと深く…考え始めた。
(赤ちゃんは、握った物を離さない…とか、よく聞く話だ。なら、何処で魔石を握った?母親の胎内か?)
一真は目を閉じ、更に集中する。
(母親の胎内…光の無い…漆黒の空間…手探りで、何かを求める胎児…そこが現実か、夢かもわからずに…)
(…夢…心の中…漆黒の空間…)
「…漆黒…」
一真は、呟くと同時に目を開き、顔を上げた。
目の前に…漆黒が広がっていた。
それは、一真の心の片割れ…漆黒の空間。
「…もし、これが本来の心の姿だとしたら…」
一真は呟いた。
一真が生まれた時、幸太郎によって、梨紅と心が繋がった。
2人の心が1つになったのだ。
(その、1つになった心が、今…あるべき姿に戻ったとすれば…)
一真は勢い良く立ち上がり、純白と漆黒の境界に駆け寄った。
「…光と影…陰と陽…同じコインの裏表…」
呟きながら、一真は漆黒の空間に手を伸ばす。
「…!」
一真の手を、阻む物は無かった。しかし、入れた手は見えない…手首から先が、完全に見えなくなっていた。
「完全な闇…あとは、手探りか…」
一真は深く深呼吸し、意を決したように、闇に飛び込んだ。
「…」
闇は、一真の予想以上に負で溢れていた。
視覚は何の意味もなさない。
何も聴こえない。
何も匂わない。
味もしない。
そして…
「…!」
感覚も、無くなった。
もう、自分が歩いているのかさえわからない。来た道も、行く道も…何もわからない。
今の一真に残されている物…それは、不安や恐怖…負の感情。
(…う…あ…ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!)
絶叫する一真。しかし、声が出ているかすらわからない。
一真の感情が、爆発した。
地球は…どうなったんだ?
本当に皆は無事なのか?
梨紅を泣かせた…オレは最低だ。
異世界って何だよ…
何でオレがこんなことを?
ヴェルミンティア?
聖なる魔を放つ者?
ふざけんなよ…
祭り上げんのも大概にしやがれ…
ラシールの螺旋輪?
何してくれてんだ。
魔法も使えず、どうやって身を守れってんだ。
予言?くだらねぇ…
こんな世界知るか…
帰りたい…
地球に帰りたい…
皆に…梨紅に会いたい…
そして、一真の脳裏に映像が浮かんだ。
燃え上がる椅子…机…教室。
その中心にいる、小さな男の子…
半袖のTシャツに、ジーパン。足下まで伸びた、緋色の髪…
彼を包むのは、金色の炎…
彼は無表情で、ぼんやりと黒板を眺め…
…泣いていた。
1人の女の子が、彼の視界に入る。
彼の名を呼ぶ、女の子が…
「…」
一真は、横たわっていた。
闇の中…涙を流すこともなく…
右か、左か、上か下か…
何処を見ているのかもわからない。
一真は、心すら失いつつあった。
…しかし…
『…一真…』
砕けかけた一真の心…燃え尽きる最後の煌めきの如く、浮かび上がったのは…
「…梨紅…」
梨紅の笑顔…一真が最も守りたい、一真の最も大切な物…
「…梨紅…」
一瞬…ほんの一瞬、最も大切な物を想う気持ちで、一真の右手の感覚が蘇った。
その右手に、何かが触れている。何かが、そこにあった。
一真は無意識に、それを握り締めた。
すると、一真の頭に直接、声が響いて来た。
「我…汝に力を与えよう」
「…梨紅…」
無機質な、機械的な声…しかし、今の一真には、梨紅の声に聴こえた。
「力は2つ…反逆の力…命を護る力…」
「…う…」
一真の身体に、徐々に感覚が戻って来た。勘違いとはいえ、梨紅の存在を感じたのだろう。
「汝…何を望む」
「…」
一真は無言で、ゆっくりと立ち上がり、右手の何かを強く…握り締めながら言った。
「…全部だ」
瞬間、一真の右手が輝いた。
「地球?あいつらが居れば大丈夫に決まってんだろ」
一真が言うと、右手が更に輝く。
「あいつらは無事だし、梨紅を泣かせたのは…帰ったら謝る」
輝きが、闇を押し退け始めた。
「異世界?何でオレが?ヴェルミンティア?聖なる魔を放つ者?上等だ…やってやろうじゃねぇか」
一真の身体が、右手の光を纏って行く。
「ラシールの螺旋輪?問題無いな…こっちの魔法だけで十分だ」
光が、左手の螺旋輪を照らし出す。
「予言者…世界…全部助けてやる。全部助けて…」
一真は右手を振り上げ…
「全部助けて、それから帰る。皆の所に…梨紅の所に!」
右手の光が、金色に変わった。光は一真を包み込み、闇を…空間を、消し去った。
翌朝…目を覚ました一真の右手には、無色透明な菱形の魔石が握られていた。
「…本当に、あれだけの情報で魔石を手に入れたの?」
ティアは、信じられない物を見るように、一真の持つ魔石を見つめた。
「おう。って言っても、あんまり覚えて無いんだよなぁ…」
言いながら、一真は眉をひそめて頭を掻いた。
「朝、起きたら右手に握ってたんだ。とりあえず、ティアに報告しようと思ってな…」
言い忘れたが、ここはティアの城だ。一真は、魔石を入手したことを報告しに来たのだ。
「わざわざありがとう。でも、まだ魔力を込めて無いみたいだね」
「…え?これに魔力を込めんの?」
ティアの言葉に、一真は首をかしげる。
「そうだよ。魔石は、魔力を込めて初めて魔石になるんだから」
「…どのくらい込めれば良いわけ?自慢じゃ無いけど、オレの今の魔力量は洒落にならない程低いと思うぞ?」
本来の魔力量の1割…と、言った所か。
「別に、1度に全部入れなくても良いんだよ。どんな魔導師も、10年ぐらいかけてゆっくり溜めて行くんだから」
「あぁ、なるほど…だから固有魔法は3、4年生からなのか」
一真は納得したように、数回頷いた。
「よし、そんじゃ今から魔力入れようかな」
「ちょっ…この部屋では止めてね?君のことだから、何をやらかすか…」
ティアに言われ、一真はティアの部屋を出た。
(未来のオレ、いったい何をやらかしたんだろ…)
外に出るまでの間、一真はずっと、ティアの言ったことを考えていた。
外に出た一真は早速、右手の手の平に魔石を乗せた。
「…はぁ!」
気合いと共に、一真は右手に魔力を集め始めた。
「…おぉ…」
右手に集まった魔力が、魔石に注がれて行く…その感覚に、一真は驚嘆の息を吐いた。
…しかし…
「…ん?」
すぐに、一真は違和感を覚えた。
魔力を"注いでいる"感覚
が、いつの間にか
魔力を"吸い取られている"感覚
に、変化していたのだ。
だが、今の一真は魔力が少ない…本当なら、既に空になっていても不思議は無いのだが…
「…おい、まさか…」
一真は呟き、あからさまに顔をしかめた。
この世界、ヴェルミンティアの大気は、魔力で溢れている。
それは、一真が魔法に使用した魔力を、瞬時に補填できる程の量だ。
つまり…上限さえ除いてしまえば、一真の魔力は…
「…無限?」
今、魔石に注がれている魔力…それは、一真の魔力では無く、この世界の大気の魔力なのだ。
その量は、無限に近い…
一真という"供給装置"を媒介に、魔石は…世界の魔力を吸い取っていた。
「…」
魔石を見つめる一真の顔に、冷たい汗が滝の如く流れていた。
最初に一真が魔力を注いだ時は、魔石は一真の魔力"だけ"を吸い、ほんのり"緋色"に輝いていた。
しかし…だ。今の魔石は、凄まじい程に、めまぐるしく、その輝きを変えていた。
赤…緑…黒…桃…橙…
白…黄…青…藍…紫…
この世の、色という色全てが、混ざり合ったように感じる。
「………」
魔石が電気を帯び、バチバチと音を発し始めた段階で、一真は恐怖で涙目になっていた。
魔力の供給を止める方法は、浮かばない…考える余裕が、今の一真には無かった。
今の一真に出来ることと言えば、魔石が爆発しても大丈夫なように、左手で自分の顔を守ることぐらいだ。
そして…
「うわっ!」
魔石は、一真が予想していたよりも軽い音を立てて、砕け散った。
「…」
一真は困惑した。どうやら、危機は去ったようだが…魔石まで失ってしまった。
「…ん?」
辺りを見回し、一真は首をかしげた。
一真の周りを、何か…小さい物が飛んでいる。
目を凝らしてよく見れば、それは砕けた魔石の欠片だった。
「…」
一真は不意に、欠片の1つに人差し指を伸ばしてみた。
すると、欠片が指の周りに集まって来た。
「おぉ…」
一真の人差し指を中心に、回転する9つの欠片…
欠片は、元の菱形とは異なる形に繋がり、花のような形になった。
「…これがオレの魔石…」
呟きながら、一真は魔石を掴んだ。様々な色に輝いていた魔石は、最終的に金色に輝き、やがて…光が収まり、緋色の魔石になった。
麻美やあおいの魔石とは異なる、異形の魔石…
「…名前は…」
「クロスと申します。一真様」
「うぉわ!」
一真は驚き、魔石を頭上に放り投げた。
「…っと、危な…」
一真は、落下してくる魔石をキャッチし、マジマジと見つめた。
「…今のは、『高い高い』という物ですか?一真様」
「いや、違うけど…」
一真は魔石…クロスの言葉に、困惑していた。
「魔石の声が聞こえる?」
一真は再び、ティアの元へ戻って来た。それも、全速力で…だ。
「魔石ってのは、喋れるもんなのか?」
「…まぁ、自分の魔石とは、魔力を通わせて会話…みたいなことは出来るけど…」
言いながら、ティアは一真の魔石を見る。
「…一真様。この空間は、一真様の能力を抑制する魔法が…」
「あぁー…大丈夫、わかってるから」
「…」
ティアはしばらく黙り込み、思い出したように言った。
「えっと…10年かけて注ぐべき魔力を、短時間で注ぎ、尚且つ、容量を大幅に超える程注いだことで、魔石が意思を持ち、声を手に入れた…」
「…何それ?」
棒読みで解説するティアに、一真は顔をしかめる。
「昔、君にそう言われたの。君の魔石が喋ることを知った時にね」
「…つまり、オレは麻美にそう説明しなきゃならないのか?」
「一字一句、同じように言う必要は無いと思うよ?私も、うろ覚えだからね」
そう言って、ティアは椅子から立ち上がった。
「魔石は手に入れた。次は、固有魔法の呪文だね」
「…あぁ、そうだった。クロス、オレの固有魔法の呪文は何だ?」
ティアに言われ、一真はクロスに言った。
「一真様の固有魔法は、"破壊と創造"を司る物です」
「…」
クロスの言葉に、一真は無言で首をかしげた。
「…つまり、古代語で"破壊と創造"を表す言葉が、君の呪文ってことだよ」
「古代語…一昨日ぐらいに読んだ本に書いてあった気がする」
言うや否や、一真は目を瞑り、額に手を当て、考え始めた。
「…"デリス"だ、そう!デリス=ラシールのデリスだ!」
一真が言うと、右手のクロスが金色に輝いた。
「え…何?どうした?」
「魔石が君を、主として認めたんだよ。これで、魔石の真の名前を教えてもらえるの」
ティアが言うと、クロスは一真の右手から離れ、宙に浮いた。
「マスター、一真。これから、マスターの心に我が真名を送ります。心に刻み、決して他言しないで下さい」
「…わかった」
一真の返事を聞くと、クロスは一真の額に光を飛ばした。
(我が真名は…クロス・デリス・ヴァンガード)
一真の頭に、クロスの声が響いた。
「…刻みましたか?マスター、一真」
「あぁ、覚えたよ」
「では、改めてよろしくお願いします。マスター、一真」
そう言って、クロスは再び一真の右手に収まった。
「…これで、こっちの魔法を使えるんだな」
「一応…ね」
「一応?」
ティアの言葉に、一真は首をかしげる。
「…正直に言うとね?こっちの魔法は、向こうの魔法よりも使い勝手が悪いの」
向こうの魔法…つまり、一真の世界の魔法は、基本的に誰でも使うことが出来る。
例えば、魔法使いがエアロの魔法陣を生成すれば、全員がエアロを放てる…と言った感じだ。
しかし、ヴェルミンティアの魔法…固有魔法は違う。再び、麻美の魔法を例にしてみると…
槍帯の名の元に、我に仇なす者を貫け…ピルト=ランベル
これを一真が使おうとすると…
槍帯の名の元に、我に仇なす者を貫け…デリス=ランベル
と、なる。
ピルトがデリスに変わるだけで、魔法の効果は全く異なる物になるのだ。
「…じゃあ、他人の固有魔法は使えないってことだな」
「基本的には…ね。魔石を使わずになら使えないことも無いけど、効果は格段に下がるよ」
ティアはそう言うが、一真はそれに納得いかない様子だった。
「あんた、オレにデリス=ラシール使ったよな?」
「あれは、未来の一真の許可があったからだよ。固有魔法は、持ち主の魔石の真名を知っていれば使えるの。あ、もちろんアルカナで他言無用にしてあるよ?」
「なるほど…」
一真は納得したようだ。そんな一真に、ティアは続ける。
「…固有魔法を使えるなら、螺旋輪を除去出来るんじゃないかな?」
「…おぉぉ!いや…それ、あんたが言って良いのか…この際、何でも良いか」
一真は麻美の言葉に歓喜し、螺旋輪を真眼で見つめる。
…だが、徐々に…一真の顔が曇って来た。
「…あの、これ…除去不可…っぽい…」
「うん、絶対に無効化出来ないって一真が言ってたよ」
「はっ倒すぞ!?確信犯かこの野郎!!」
一真は、完全に遊ばれていた。
「凄いよね、それ。退魔力でも除去出来ないし、魔法で除去しようとしても、逆にその魔法を封印しちゃうんだから」
「完全に呪いじゃねぇかよ!こんな最悪な魔法、作ってんじゃねぇよ!」
「…作ったの、君だから…」
ティアの言葉に、一真は絶望する。
「…オレの、馬鹿…」
一真は小さく、自分を罵倒した。
クロスを手に入れてからも、一真の日課は変わらず、図書館通いだった。
翌週の月曜日から、一真は学校に転入することになっている。よって、日曜日まではこの日課が続きそうだ。
「…」
一真はソファーに横になりながら、数百ページはありそうな厚い本を読んでいた。
こちらの文字で書かれた本も、真眼を持つ一真の前では、日本語で書かれた本と同じだった。
「…マスター、一真」
テーブルの上に置かれたクロスが、申し訳なさそうに一真に話しかけた。
「んー?」
「失礼ですが…私には、マスター、一真に栄養と運動が不足しているように思えます」
クロスの言葉は、的を得ていた。
クロスを手に入れてから4日…朝晩は麻美の家でご飯を食べているが、昼は全て抜いている。
更に、朝8時に図書館に入った後、麻美が来る16時までの8時間、ほとんどソファーに座ったままだ。
「このままでは、お体を壊します。司書に言えば、サンドイッチなどの軽食ぐらい…」
「んー…」
一真は本から視線を反らすこと無く、気のない返事をする。
「…マスター、一真?」
「んー」
「マスター?」
「んー」
「マスター!」
「"サイレン…"あ、使えないんだった…」
一真はようやく、本から顔を上げ、顔をしかめた。
「…今、私の声を遮断する魔法を使おうとしましたね?」
「…そんなことするわけ無いだろ」
言いながらも、一真はクロスを見ようとはしなかった。しかし…
「私をちゃんと見ながら言って下さい」
「オレはそんな魔法、使おうとしてません」
一真は安々と、クロスを見て言った。
「…なら、良いです。申し訳ありませんでした」
クロスは不服そうに、一真に謝罪した。
「ん…ところで、今何時?」
「15時52分です。そろそろ、麻美さんが来る頃かと」
クロスが言うと同時に、部屋のドアが開いた。
「一真、お昼食べた?」
入って来たのは、麻美だった。
「何だよその第一声…てか、ノックぐらいしろよ」
「クロス?一真、お昼食べた?」
麻美は一真を無視し、テーブルのクロスを手に取り、話しかける。ちなみに、麻美達3人には既に説明済みだ。
「いいえ、今日も食べてはくれませんでした」
「駄目だよ一真、ちゃんと食べなきゃ」
「んー…」
返事をしながらも、一真は再び、本に目を向けていた。
「…ちょっと、話聞きなよ」
麻美はそう言って、一真から本を取り上げる。
「ちゃんと食べなきゃ、栄養失調になるよ?あと、運動不足!」
「…さっきクロスに同じこと言われた」
麻美の言葉にため息を吐き、一真は渋々、ソファーから立ち上がった。
「そう。じゃあ先ずは、運動不足から解消してみようか」
そう言って、麻美は一真にクロスを投げて渡す。
「おっと!投げんなよ、危ね…え?何?」
クロスをキャッチした一真は、麻美に聞き返す。
「だから、一真の運動不足を解消するの」
「いや、別に良いよ」
「さぁ、行こうか」
「話聞けよ!」
麻美は一真を無視し、一真の手を引いて、図書館を後にした。




