9.MBSF研究会は不本意ながら彼を見送った。
一真が呪文を唱え始めると同時に、一真の身体が純白に輝き始めた。
「ぐぅ!!」
そのあまりの眩しさに、ラバラドルは顔をしかめ、一真から顔を背ける。
「ラバラドル様…」
そんなラバラドルの元に、リエルがやって来た。リエルもラバラドル同様に、眩しさに顔をしかめている。
「リエルか…すまん、策が潰された。だが、まだ策は…」
「引きましょう」
「…何?」
リエルの言葉を聞き、ラバラドルはリエルを睨みつける。
「…敵に背を向けろと言うのか?この俺さ…」
「ラバラドル様」
ラバラドルの言葉を遮り、リエルは続ける。
「これは"逃げ"ではありません。"戦略的撤退"です。十分に戦力を整えてから…」
「黙れ!!」
ラバラドルは、殺気を込めた魔力をリエルに向かって放つ。しかし、それも一真の退魔力に吸収されてしまった。
「…くそぉ…」
「…焦る必要はありませんよ」
悔しそうに歯をくいしばるラバラドルの頭を、リエルが優しく撫でる。
「もっと強くなってから…もう一度来れば良いんです。あなたはまだ、お若いのですから」
「…」
ラバラドルは無言で、リエルの手を振り払った。
「…帰るぞ…リエル」
「かしこまりました、ラバラドル様」
そう答え、リエルは空中に漆黒の楕円を生成した。
その中に、ラバラドルが入り込む。
「…」
リエルは最後に、もう一度だけ一真の姿を見て、無言で楕円の中に入って行った。
リエルが入ると、楕円は消えて無くなった。
「…"輝く光は魔を払い…汚れた心…浄化せん"」
呪文を唱えながら、一真はリエル達の消失を確認していた。
「"汝…過ちを悔いるならば"」
そして、同時に思った。
(…残りの魔物も連れて帰れよ)
そう…帰ったのはリエルとラバラドルの二人だけであり、他の魔物…ざっと二、三千匹の魔物が、まだ結界内に残っているのだ。
「"懺悔せよ…聖なる光の元に"」
そして、一真が今唱えている呪文…
「"光よ…悔い改めし魂を"…"導け…新たな世界へ"」
この呪文の正体…
「"光よ…悲しき者達を"…"救え…懺悔の名の元に"」
それは…『広範囲退魔魔法』とでも言おうか。一真は、結界内の魔物を全て、一撃で退魔しようとしているのだ。
…そして、今…
「…"コンフェシオン"」
詠唱が、終わった…
気が付くと、梨紅は心の中にいた。
「え…」
しかし、そこに広がっていたのは、昨日までの光景では無かった。
純白だった空間が、漆黒に侵されていたのだ。
「…」
梨紅は唖然とするしか無かった。だがよく見れば、漆黒の侵食はある一線をもって防がれていた。
防いでいるのは、光の格子。そして…
「一真…」
その格子の向こう側に、一真はいた。
「…むぅ…」
エリーは一真の左目を覗き込み、唸る。
「…どう?見覚えは?」
「…十中八九、全知の眼の紋章よ…」
一真の問いに、エリーは眉をひそめながら答えた。
「どうなってるのかしら…"真眼"は形の無い能力のはずなのに」
「"覚醒"したのさ」
梨紅の背後から、声が聞こえた。
「梨紅…って、おぉ!ナイトじゃん!無事だったのか」
「あぁ…梨紅の中に避難させてもらっていたんだ」
状況を呑み込めない梨紅を他所に、ナイトは一真に歩み寄る。
「おそらく、その左目は"全知の眼"の"端末"だな」
「うん。そんな感じ」
一真は即答したが、エリーは首をかしげる。
「"端末"?」
「つまり、この眼と全知の眼は繋がってるんだ」
一真が言うには、先程の純粋な退魔力による攻撃を受け、一真の体内の魔力が全て、純粋な退魔力になってしまったのだ。
真眼…いや、全知の眼は天界の宝物。
その二つが、純粋な退魔力によって繋がり、真眼は全知の眼の端末として覚醒した…と、いうことらしい。
「なるほど…じゃあ、今の君にはこの世の全てが解るのね?」
「いや、オレが望まない限り情報は来ない」
「?」
「全知の眼の莫大な情報が、人間の小さな脳みそに入るわけがねぇだろ?まぁ、身を守る術ってやつさ」
言いつつ、一真は格子に寄り掛かる。
「…質問は終わりか?」
「そうね…あまり納得はいってないけど、もう時間も無いし」
「…時間が無い?」
エリーの言葉に、梨紅は首をかしげた。
「…エリー、オレ達は席を外そう」
「…そうね」
言いながら、二人は格子から離れる。
「じゃあな、一真。達者に暮らせよ?」
「またね」
「あぁ、サンキューな二人とも」
一真の返事を聞くと同時に、二人は姿を消した。
辺りが、急に静かになる。一真も梨紅も、しばらくは無言のままだった。
「…時間が無いって…またねって…何?」
沈黙を破ったのは、梨紅だった。
「…"コンフェシオン"の後始末」
「後始末?」
「オレが使った"コンフェシオン"は、強力過ぎた。本来なら、あの半分の威力で魔物を消し去ることが出来たんだ」
だが、一真は全力で放った。全力を出さざるをえなかったのだ。
「オレの中に蓄積した純粋な退魔力…その全てを出しきる必要があった。"コンフェシオン"の半分の退魔力でさえ、純粋すぎてオレの身体じゃ耐えられないんだ」
「…」
梨紅は黙って、一真の話を聞いている。いや、無言で話を促しているようにも感じる。
「でもそれは、"世界"にとっても同じ事だった」
「…世界?」
「"コンフェシオン"の半分なら、この"世界"は耐えられる。でも、残りの半分には耐えられない…一ヶ所で核爆発を何回も起こすイメージだ」
つまりは、世界の崩壊…
「…で?」
「で?って…まぁ、世界の崩壊はさすがに嫌だから、"コンフェシオン"の残り半分を"時空の狭間"に流す」
時空の狭間…簡単に言うなら、異世界へ続く道だ。一真は説明しなかったが、おそらく梨紅は、それを感覚的に理解したのだろう。
「魔法が使えない一真が、どうやって?」
「コンフェシオンの力を使う。強力だからな、少しいじるだけで簡単に時空に穴が空く」
「…それで、なんで"またね"なのよ。それに、なんでここがこんな状態になってるのかも…全部説明してよ」
「…」
一真は一瞬考え、早口で説明を始めた。
「まず、コンフェシオンを時空の狭間に流すには、発動の核であるオレが時空の狭間に行く必要がある」
「…?」
「つまり、オレもこの世界から流される」
「…あんた、また自己犠牲で…」
「違う」
自分を睨む梨紅の言葉を遮り、一真は首を振った。
「自己犠牲をするなら、コンフェシオンの半分を体内に留めてたさ。これは、オレも"生きる"ための唯一の手段なんだ」
「…でも、一真はこの世界から…」
「…世界は違っても、オレは生きてる…で、絶対にこの世界に戻って来る」
そう言って、一真は光の格子越しに笑った。
「何日…何ヶ月…何年かかるかはわからないけどさ…絶対に帰るから」
「…私に待ってろって言うの?何年も?」
「え…待っててくれないわけ?薄情なやつ…」
ため息混じりに、一真は言った。すると…
「む……!?」
「…」
梨紅が突然、一真の唇に自分の唇を重ねて来た。
光の格子ごしに向き合う二人…
格子に阻まれながらも、口付けを交わす二人…
自分から口を離したのは、梨紅だった。
「…待ってるよ、何年でも」
「…」
一真は、梨紅の行動に驚きを隠せずにいた。
「…ありがと」
一真は微笑みながら、そう言った。
「…それは、キスした事に対しての?」
「違うわ!!」
顔を赤らめる一真を見て、梨紅は笑った。
「あ、そういえば…他の世界だと、テレパシーも通じないの?」
「あぁ~…無理。この格子からこっち側は、オレが異世界に持って行くことになるから…」
「そっか…」
残念そうにうつ向く梨紅。だが、すぐに顔を上げ、言った。
「一真、目を閉じて」
「え?キスならさっきしたじゃん」
「殴るよ?」
「…」
一真は顔をしかめ、梨紅に言われた通り、目を閉じた。すると…
「む…」
「…」
二人は再び、口付けを交わした。しかし、今回は一瞬だった。
「…魔力が無きゃ、向こうで魔法使えないでしょ?」
「…そっか、梨紅の魔力なら、オレのよりはまだ退魔力に耐性があるんだ…」
一真は驚いた。梨紅は一真に、自分の魔力を口移しで渡したのだ。常に純粋な退魔力と共にあった分、梨紅の魔力は純粋な退魔力の中でも存在出来る。
「…何気に頭良いな、お前」
「何気にって何よ」
「悪い…マジで助かった」
苦笑いしながら、一真は言った。そして…
「…そろそろ時間か…」
「!」
梨紅は一瞬、その場から飛び退いた。光の格子から先が、梨紅の心から離れ始めたのだ。
「一真!!」
梨紅は格子の隙間から、離れて行く一真に手を伸ばす。
「…」
一真はその手を、悲しげな表情のまま、掴んだ。そして…
「…行ってくる」
手を離した。それに対して、梨紅は…
「…待ってるから…ちゃんと、帰って来てよ?」
今にも泣きそうな表情で、それでも笑って送ろうと、無理に笑顔を繕って…言った。
「…必ず戻る」
一真は言った。それは、約束であり…誓いだった。
…そして、一真は旅立つ。
「!!!」
梨紅は現実に戻って来た。
「…梨紅、どうしたの?」
沙織が、梨紅の顔を覗き込みながら言った。
「え…」
梨紅は、泣いていた。両目から、静かに…涙が溢れていた。
「…なんでもないよ」
そう言って、梨紅は涙を拭う。しかし、拭っても拭っても…涙は止まらない。
梨紅は思った。多分、この涙は止まらない…ずっと一緒にいた彼が、自分から離れて行く事に…自分は、耐えられない…
一真と離れたくない…
一真と一緒にいたい…
一真が…好きだから。
…でも、それは叶わぬ願い。一真はもう、行ってしまうのだ。
だから梨紅は、一言だけ…一真に言った。
「…いってらっしゃい…一真…」
『え…』
その言葉を最後に、梨紅はその場で泣き崩れた。
梨紅の言葉とその行動に…沙織達は、話のほとんどを理解したと思う。
沙織…暖…正義…恋華…愛…豊…勇気…
七人は同時に、空を見上げた。
「…」
コンフェシオンの中心で、一真は泣いていた。
右の緋色の瞳から、涙を流し…しかし、左の金色の瞳からは、涙は流れていなかった。
(…いってらっしゃい…一真…)
一真に、梨紅の声が届いた。
それは、最後のテレパシー…一真はそれに、微笑んだ。
「…あぁ…行ってくる」
そう答え、一真は目を瞑る。
そして…一真の姿が、見えなくなった。




