5.彼女らは囁かれる。
…そして、放課後の部室である。
「…暖の見舞いは良いのか?」
日本史の宿題をしながら、正義が言った。
「あぁ、もう退院してるだろうし」
「…何?」
正義は顔を上げ、一真を見た。
「今朝、学校来る前に病院行って治して来たからな…凉音妹の件もあるし、なんとかすんだろあいつなら」
「…なるほど、凉音妹の治療は成功したのか…」
「良かったねぇ♪愛ちゃんもきっと喜…」
恋華の言葉を遮って…
「邪魔するわよ!」
部室の扉が勢いよく開かれ、物凄い形相の愛が飛び込んで来た。
「あ、愛ちゃん…どうしたの?」
恋華が愛に聞くが、愛はそれを無視し、一真の元へ真っ直ぐやって来た。
「どうした?…ぅおぅ…」
「カズ…あんた、いったい何したの?」
一真の胸ぐらを掴みながら、愛は言った。
「…何が?」
「友美の事よ!」
「妹がどうかしたのか?」
「しらばっくれんな!」
「うあ!」
愛は、一真の胸ぐらを掴んで持ち上げる…が、
「…」
身長差がありすぎて、立ち上がった一真に、ぶら下がっているような状態になってしまった。
「…座れぇ!!」
「なんなんだお前…」
今の状態だと、愛があまりにも可哀想なため…一真は、大人しく座ってあげた。
「…で?妹が何だって?」
「…本当に知らないの?」
「だから、何を?」
「…治ったのよ、友美…」
「…はぁ!?」
迫真の演技とは、まさにこの事だろう…一真は完璧に、『何も関わって無い人』を演じていた。
「だってお前…不治の病がどうのこうのじゃねぇの?医者はなんて?」
「知らない…医者は、奇跡だって…」
「…」
唖然とした表情もお手の物だ。
「…友美は、魔法使いが治してくれたって言ってたわ…」
「へぇ、魔法使いねぇ…(やべ…凉音妹に他言すんなって言うの忘れてた)」
一真は顔をしかめそうになったが、ポーカーフェイスで乗り切った。
「この辺で魔法使いなんて、カズぐらいしかいないでしょ?」
「まぁな…でも、不治の病を治す魔法なんて、オレには使えないぜ?」
一真は左右に両手を広げ、お手上げのポーズを取って見せる。
「…ならあんた、どうやって友美を治すつもりだったのよ?」
「いや、回復魔法をどうにかして強化して…何回かに分けて凉音妹に使うっていう…」
「…そういえば、友美を治したやつは…私が頼んだやつに頼まれたって言ってたらしいけど…」
(あ~あ、ぬかった…)
「…カズ、友美を治してくれたのは誰なの?どうやって治してくれたの?」
愛は、一真の胸ぐらから手を離し…一真の両肩に手を乗せた。
「私はただ、お礼を言いたいだけなのよ…大切な妹を救ってくれた恩人に…」
「…」
愛の、懇願するような眼差しを受けた一真の胸中は、複雑だった…
自分が治したと言った所で、運命が変わる訳では無い…
でも、万が一という事も、無きにしも有らず…
だから…
「…オレは知らない…」
一真は、愛にそう言った。
「…そう…」
愛は一真の肩から手を離し、うつ向いた。
「…部活の邪魔して悪かったわね…」
愛はそう言って、踵を返し、部室から出ていった。
「…一真、なんで言わなかったんだ?」
「そうだよ!カズ君が治してあげたんでしょ?」
正義と恋華が一真に言うが…
「2人とも、久城君を責めちゃ駄目だよ…きっと何か、言えない理由があるんだと思う…」
意外にも、2人をなだめたのは沙織だった。
「…ありがとう、山中…」
一真は机に両肘を付いて、1度…大きく息を吐いた。
「…全部話すよ…包み隠さずに」
一真は…梨紅以外の3人に、『この世の理』と『道程の導』について話し始めた。
(…絶対におかしい…)
部室棟の階段を降りながら、愛は考えていた。
証拠があるわけでは無いが、愛は友美を治したのは一真だと、確信していた。
(…なんで隠すの?)
愛は、一真が真実を隠す理由を考える…
…そこへ
「…後ろめたい事があるから…さ…」
「!?」
突然、しわがれた声が聞こえた。愛はそれに驚き、振り返る。
「…?」
が、しかし…そこには誰もいない。
「…教えてあげよう…真実を…」
「誰!?」
愛は再び振り返る…
しかし、やはり誰もいない…
「…私は…囁く者、ウィスプ…」
「ウィスプ…」
「…あいつが…君の大切な妹に…何をしたと思う…?」
「…知ってるの?」
「知ってるよ…全部……………知りたい?」
「…」
愛は、黙って頷いた…
愛は…
悪魔の囁きに、耳を傾けてしまったのだ…
「…って訳なんだよ」
一真の説明が終わった。
昨日の夜の出来事全てを、20分程で説明したのだ。
「…わかってくれたか?」
そう言って、一真が恋華達を見回す。うつ向いていた恋華と沙織は、同時に顔を上げ、一真の顔を見て言った。
「「ううん、全然…」」
「…うん、そう言うと思ってた」
2人の返答は予想済みだった一真は、改めて正義に聞いた。
「正義はどうだ?お前なら、オレよりわかりやすく説明出来ると思うんだけど…」
一真は正義に期待していた。最近、優等生キャラが薄れて来てはいるが…彼は紛れもなく、飛び級で大学を卒業済みの、優等生なのだ。
「…」
正義は無言で腕を組み、目を閉じてうつ向いていた。
やがて、ゆっくりと組んでいた腕をほどき、顔を上げ、目を開き、一真を見た。
「…」
しばらく、真顔で一真の顔を見ていた正義は、唐突に言った。
「…サッパリわからない」
「散々引っ張ってそれか!?溜めがなげぇよ!」
一真の期待は、あっさり裏切られた。
「…そう言えばさぁ、正義君?」
今まで黙っていた梨紅が、正義に声をかけた。
「なんだ?今城」
「一昨日言ってた階段の事件って、どうなったの?」
「…あれ?てか、昨日の件はもう終わり?」
「だって聞いても誰もわからないんだし…聞くだけ無駄じゃない?」
「…あぁそうかい、わかりましたよ、そっちの話を続けて下さいよ、邪魔してすいませんでしたよ」
ふてくされた一真は、長机に突っ伏してしまった。
「…それで、どうなったの?」
(無視されたぁぁぁ……)
梨紅に無視され、一真は心に深い傷を負った。
「…これと言った進展は無いが…どうかしたのか?」
「うん…実は一昨日、お父さんに聞いてみたんだけどね?」
「…何を?」
突っ伏した状態で、一真が言った。
「『人間の耳元で何かを囁いて、その人間を殺そうとする魔族や魔物がいないか』って事をよ」
「…で?」
「『いる』んだって、そういう魔族が」
「…マジで?」
一真は無言で、上体を起こした。
「今城、続けてくれ」
正義は警察手帳を取り出し、情報をメモする体勢を取る。
「うん…魔族の種族は『ウィスプ』…人間の頭の中に入り込んで、その人間の悩みに付け込み、殺人衝動や自殺衝動をかきたたせ、死んだ人間の『死ぬ直前』の感情を食べる魔族よ」
「…何?って事は、階段から落ちた人間はみんな自殺…」
「ううん…ウィスプにはもう1つ、魔物や魔族と人間の数を調整する役割があるの」
…つまり、こういう事だ。
魔族や魔物、神や天使が死ぬと、魔法使いや退魔士…つまり、人間に転生する。
逆に、人間が死んだ場合…その人間の一生のうちで、良い行いが多ければ天使、悪い行いが多ければ魔族に、転生するのだ。
そして、魔族や魔物、天使の数と、人間の数の、比率が決まっているのだ。
それを合わせるために、ウィスプが人間界にやって来て、人間を殺し、魔界に転生する人間を増やす…
「…手当たり次第に数千人の人間を殺そうとして、実際に死んだのが数十人…って事か?」
「そうよ」
正義の質問に、梨紅は肯定した。
「ふざけた話だな…てか、その…ウィスプ?そいつら、殺した人間が魔界に転生するかどうかわかってやってんのか?」
「ううん…ウィスプの知能は恐ろしいまでに低くて、そんな事まで考えられないだろうって…」
「マジで手当たり次第かよ…」
一真は顔をしかめる。
「…その『ウィスプ』の被害者達がこの町周辺に固まっているのは何故だ?」
正義が言った。
よく考えれば、本当におかしな話だ。
均衡を保つにしても、世界中でやるのならば…まだ、わからなくもない。
何故…貴ノ葉に集中しているのだろうか。
「…ウィスプは魔族だけど、他の魔族や魔王に雇われる、珍しい魔族なの…だから、ウィスプの雇い主の命令なんだと思う」
梨紅は、自信無さそうに答えた。
「…この辺りに、どうしても殺さないといけない奴がいるって事じゃないか?」
一真が言った。
「…どういう事?」
「魔族と人間の数の均衡を保つために、ウィスプが派遣されて来たんだろ?でも、ウィスプが人間を殺した所で、魔物や魔族が増える事は無い」
「なんで?」
「そんなん、『オレ達』が『退魔』やってるからに決まってんじゃ……あ…」
「…って事は、ウィスプが狙ってるのは…」
この場にいる全員が、顔を見合わせ…正義達3人が同時に言った。
「一真と今城か!?」
「久城君と梨紅!?」
「カズ君と梨紅ちゃん!?」
そして、一真と梨紅は答えた。
「…いやいやいやいや!」
「…3人もだよ?」
「「「…え?」」」
3人は、首をかしげた。
「…なんでオレ達まで?」
3人を代表して、正義が言った。
「だってお前ら、退魔出来んじゃん」
一真は答えた。そう…今となっては、正義も恋華も沙織も…退魔の仕事が出来るのだ。
「…ねぇ、だったら暖君がウィスプに殺されかけたのって…」
「…一歩間違えば、あたし達が暖君みたいになってたって事?」
沙織と恋華が言った。
「…ウィスプからしたら、当たりに『かすった』ってわけか…」
「…まさに、『下手な鉄砲、数うちゃ当たる』…だな」
「…違うよ、結局当たってないじゃん」
梨紅が珍しくツッコミを入れた。
「…とりあえず、暖君に感謝ね」
「…損な役回りだな、あいつ…」
「そうだね…この中で唯一の一般人なのに…」
うつ向く3人…しかし、
「…ウィスプを退魔する事は出来ないのか?」
暖が不憫だという話の流れをぶったぎり、唐突に正義が言った。
「どうかな…一応魔族だし、難しいとは思うけど…」
「不可能では無いんだな?」
「うん…ウィスプは本当に小さい魔族で、1mmも無いぐらいの大きさなんだけど…退魔力を目に集めれば、ウィスプの周りに黒いモヤモヤが見えると思う」
「退魔力だけを集めるのは、オレや恋華には難しいんだが…」
「ん~…まぁ、とにかく力を目に集めてみなよ、一真と沙織も」
梨紅に言われ、4人はそれぞれの力を目に集めた。
「…この部屋には、特に異常は無さそうだな」
部室を見回し、正義が言った。
「こんなんで、本当に見えんの?」
一真が、顔をしかめながら言った。
「見えるよ?…って、一真…目が緋色になってるよ?」
「え、マジで?…いや、お前こそ目が蒼いぞ?」
どうやら2人は、部分的に"紅蓮化"と"天使化"の状態になっているようだ。
「…で?この状態で町を練り歩く訳?」
「いやぁ…沙織達は大丈夫だと思うけど、私達は…ねぇ?」
緋色の目と蒼色の目…変な目で見られる可能性大だ。
…そこへ、
「…」
部室のドアが、再び開かれた。
「!?」
一真達5人は、驚いた…
目に力を集めていたため、偶然にも見えてしまったのだ…
ドアを開けた人間が見えないぐらいの、大量の黒いモヤモヤを…
「…」
無言のまま…一真達は目に力を集める事をやめた。
「!?」
黒いモヤモヤが見えなくなり、ドアを開けた人間が特定出来た。
だからこそ、一真達は再び驚いた。
黒いモヤモヤに包まれていたのは…
「…愛ちゃん…」
恋華が言った。
そう…そこに立っていたのは、紛れもなく凉音愛だった。
「…」
愛は言葉を発する事無く、ただ真っ直ぐに…
「…?」
一真を…睨み付けていた。
「…」
愛は、ポケットから2本の判子を取り出した。
「…"巨大化の判子<大>"」
そう言って、片方の判子をもう片方の判子に押し付けた。
すると、押し付けられた方の判子が、鉄パイプぐらいの太さと長さになった。
「…」
一真を睨み付けたまま、愛は身構える。
一方、一真は…
「…」
身構えはしない物の、身の危険は感じているようで…冷や汗を流している。
「…殺してやる…」
愛の、一真への第一声がこれだった…
「…遠慮しとく…」
一真は、ひきつった笑みを浮かべながら言った。
「…よくも…よくも友美を…」
愛は、一真に向かって殺気を放ち始めた。
しかし、一真は動かない…動いたのは、一真以外の4人だった。
4人は部室の端へ逃げ、成り行きを見守るべく、無言のまま一真と愛を見続ける。
(こいつら…)
一真は4人を一睨みし、再び愛に視線を戻した。
「…妹がどうした?治ったって話なら、さっき聞いたけど?」
「黙れぇ!!」
もの凄い剣幕で、愛は叫んだ。
「全部わかってるのよ…あんたが友美に何をしたのか…あんたの正体が何なのか!」
「…」
愛の言動をサッパリ理解出来ない一真は、ただ無言のまま、愛を見ているしかなかった。
「あくまでしらをきるつもりなら、構わないわ…今すぐあんたを殺して、友美には人間として死んでもらう!」
「!?」
そう叫んだ愛は、長机に飛び乗り、一真に向かって駆け出した。
「"衝撃の判子<撃>"!」
そう言って、愛は一真に鉄パイプのような判子を突き出した。
「"プロテクション"!」
一真は、守護の魔法陣でそれを防ぐ…が、
「!?」
衝撃に耐えきれず、魔法陣ごと窓を突き破り、外へ吹き飛ばされてしまった。
「マジかよオイ…"ソアー・フェザー"!」
一真は空中に魔法陣を精製し、その上に着地した。
魔法陣が収縮し始めると、一真の脚部が緋色に光り…一真は、宙に浮いた状態で静止する。
「…ふぅ…」
落下の心配がなくなった一真は、一息つき、部室の窓を見上げた。
「…」
一真の視線の先には、部室の窓から一真を睨む愛がいた。
「…あれ?」
しかしすぐに、愛は一真の視界から消えてしまった。
(…梨紅?凉音、今何してる?)
(え?えっと…しゃがんで、もぞもぞやってるよ?)
(…その『もぞもぞ』を具体的に教えていただけませんかねぇ?)
一真がテレパシーを使い、梨紅にそう言った所で…
「…」
愛が立ち上がった。
「…なんだよ…何したんだよ…」
不安そうに一真が言うが、愛には聞こえない。
…そして、
「…えぇ!?」
愛は何を思ったか、部室の窓から飛び降りたのだ。
「ちょっ…え?」
一真が、愛を受け止めるべく飛んで行こうとするが…
「…」
愛は、一真同様に空中に静止していた。
(…梨紅?凉音がしゃがんだ時、何か言ってなかった?)
(言ってたよ?)
(何て?)
("飛行の判子<飛>"って)
(最初に言えよ!めちゃめちゃ重要な情報じゃねぇか!)
一真がテレパシーで梨紅に叫ぶ。しかし…もう、そんな余裕が無い事を…一真はすぐに、思い知らされる。
「…カズ…私、あんたには感謝してたんだ…」
空中に浮かぶ愛が、一真に言った。
「感謝?」
「うん…球技大会の時、カズが言ってくれたから…私、クラスに友達が出来たんだ」
「…」
無言で愛の話を聞く一真…いや、訂正しよう…一真は、愛の話を聞いているわけじゃない…
ただ…球技大会の日、自分が愛に『何て言ったのか』を、思い出そうとしているのだ。
「高校に入って初めて、学校が楽しいって思えた…それに、友美の事も…」
愛は、悲しみに満ちた表情で一真を見つめた。
「嬉しかった…友達が出来て、友美も治って…これ以上無い程幸せだった…」
「…」
一真は、思い出すのを諦めた…
「…だけど、あんたは…」
愛の目に、再び殺意の色が見え始めた。
「…オレがなんだよ?はっきり言ったらどうだ?」
「あんたは…『魔族』だった…」
「…はい?」
一真は首をかしげた。
「何の冗談だよ…オレは人間を辞めたつもりは無いぞ?」
「まだ言うか!いい加減に白状しなさいよ!」
「って言われても…」
一真は顔をしかめる。
「それにあんたは、友美まで『魔族』に…」
「待て待て待て待て…」
顔をしかめるを通り越し、一真は苦笑いした。
「凉音妹を『魔族』に?んでオレも『魔族』だ?凉音、妄言も大概にしろよ」
「黙れ!全部知ってるのよ!ウィスプが教えてくれたんだ!」
「!?」
(ウィスプ!?)
一真と梨紅が、同時に驚いた。
「凉音、騙されるな…魔族はオレじゃない、『ウィスプ』の方だ」
「ウィスプが魔族?カズ、どうせならもっと『まし』な嘘をつきなよ」
「嘘じゃねぇよ…てかお前、オレが魔族でウィスプが魔族じゃないって、何を基準に決めてんだよ?」
「ウィスプは嘘をつかないもの、ウィスプの言う事は全て正しいのよ」
「…」
一真はもう、唖然とするしか無かった。
(…おい、洗脳されてねぇ?凉音のやつ)
(きっとまだ、愛ちゃんの頭の中にウィスプがいるのよ…ウィスプが直接、愛ちゃんの考えを操作してるんだわ)
(頭の中って…どうやって退魔すんの?しかもウィスプって、1mm以下の大きさなんだろ?)
「…カズ、せめてもの情けよ…」
テレパシーでの会話の最中、愛の言葉が一真に届いた。
「…苦しまないように、殺してあげる…」
「…!?」
そう言うや否や、愛は一真に向かって飛んで来た。
(速ッ!)
一真は真上に上昇し、愛から離れようとする。
「逃がすかぁ!!」
愛は、その手に持った肌色の鉄パイプ…もとい、巨大な判子の中に、ポケットから取り出した普通の大きさの判子を次々に入れて行く。
「…何だ?」
「冥土の土産に教えてやるわ…この巨大判子は、中に入れた判子の字も使えるのよ」
「…つまり、衝撃以外のも使えるようになったと?(てか、冥土の土産って死語じゃね?)」
「そうよ…"銃撃の判子<銃>"!」
愛は、空気に判子を押して行く…
判子を押された部分の空気が、一真に向かって飛んで来た。
「はぁ!?」
一真は体を捻ってかわすが…
「…痛ぇ!」
空気弾の1発が、左足の甲を貫いた。
「マ…ジかよ…空気に判子とか、反則だろ…」
「避けたの?抵抗しないで死ねばいいのに…」
一真を見上げる愛の顔は、恐ろしい程に冷たく…
それを見た一真は、初めて…幸太郎以外の人間に、恐怖した。
「…本気なのか、こいつ…」
一真は、自らの左足から垂れる血をそのままに…顔を青くして、愛を見つめていた。
「今度こそ殺すよ…"銃撃の判子<銃>"!」
愛は空気に判子を押し、弾を放つ…
「"プロテクション"!」
一真は咄嗟に、守護の魔法陣を精製し、空気の弾を防いだ。
「"ヒーリング"!」
続けて、一真は左足の治療を開始する。
しかし…
「…その盾、邪魔ね」
「!?」
守護の魔法陣の真下には、既に愛がいた。
「"斬撃の判子<斬>"」
そう言って、愛は一真の魔法陣を突いた。
「い!?」
魔法陣は縦に真っ二つにされてしまった。
更に愛は、一真の心臓に向かって判子を突き出す。
「うぉ!」
間一髪の所で、一真は体を回転させ、心臓を守った。
が、一真の左腕に、<斬>の判子がかすってしまった。
「ぐぁ!!」
一真は右手で左腕を抑え、止血しようとするが…
「"銃撃の判子…」
愛の追撃が迫る。
("フェイズ・ジャンプ"!)
一真は咄嗟に、頭上に位相跳躍の魔法陣を精製し、中に飛び込んだ。
「…あれ?」
愛は、標的である一真を見失った。
一真は、部室に飛んでいた。
「いぃぃぃでぇぇぇ!!"ヒーリング"!」
壁に寄り掛かり、左足と左腕に回復魔法を使う一真…
「一真!大丈…」
「バカ野郎、でかい声出すな…」
「えぇ!?あんた今…」
「…ちなみに、大丈夫じゃない…マジで殺されそう…」
苦笑いする一真…しかし、その目は笑っていなかった。
「…梨紅、それに正義達も…オレがあのバカと戦ってる間に、ウィスプを退魔する方法を考えてくれ…」
真剣な顔で、一真は言った。
「そんな…考えるのは一真の仕事じゃない!」
「考える余裕が無ぇ!!お前なぁ!オレ今『マジでくたばる5秒前』だったんだぞ!?」
「わかった、任せろ」
正義が言った。
「…正義?」
「オレ達4人が、責任を持って考える…お前は、凉音に集中してくれ」
「…サンキュー、正義…」
左足と左腕の回復を終え、一真は立ち上がった。
「…一真、何か作戦とかあるの?」
「作戦ねぇ…とにかく、本気でやるしか無いな…"紅蓮化"使ってみるかな?」
「…気をつけてね…」
「あぁ…"ソアー・フェザー"!」
梨紅に見送られ…一真は再び、窓から飛び出して行った。
「…あ、いた…」
下の方に一真を見つけた愛は、一真と同じ高さまで降下して来た。
「逃げたのかと思ったわ」
「失敬な…『戦略的撤退』と言ってほしいね」
そう言って、一真は苦笑した。
「…悪いけどオレ、簡単には死なないぞ?全力で抵抗させてもらうから」
「そう…勝手にしたら?どっちにしろ、私はあんたを本気で殺しに行くから」
愛は、巨大判子を握り直した。
「…本気には、本気で答えるべきかな?」
一真は愛に聞いた。
「そんなの当然よ」
「そっか…ならオレも、本気でやるしかないな」
一真は愛を睨み、両手の拳に力を入れて…言った。
「…"紅蓮化"!」
「!?」
愛の顔に、鳥肌が立った。
それが、恐怖による物なのか、感動による物なのかは、定かでは無い…
しかし、おそらく愛は…恐怖と感動の両方を、感じていたと思う。
それだけ、今の一真は神々しく…そして、恐ろしかったのだ。
「…」
緋色の長髪に、緋色の双眼…体から溢れ出るその魔力は、魔族のそれと何ら変わりない…
…これが、"紅蓮化"だ。
「…正体を現したわね…」
愛が一真を見て、ニヤリと笑った。
「正体ねぇ…まぁ、この姿じゃあ『魔族』って言われても仕方ないか…」
一真は、自分から溢れ出る緋色の魔力を見て、苦笑いした。
「…さぁ…やろうぜ?」
「!?」
一真の、好戦的な笑み…それは、普段の一真からは想像の出来ない物であり…
「…『魔族』め…」
愛が、一真が魔族である事を確信(実際は違うのだが)するのに、十分だった。
「…やってやろうじゃない」
愛は、判子を頭上でクルクルと回し、構え直した。
「先手必勝!!」
そう叫びながら、愛は一真に向かって突っ込んで行った。
「…"レイジング・ファイア"」
一真は、愛に向かって伸ばした右手から、巨大な火の玉を出した。
「!?」
愛は驚き、その場で急停止する…が、火の玉は愛の目前に迫りつつあった。
「…"吸引の判子<吸>"」
しかし、愛は冷静だった。落ち着き払い、火の玉に向かって判子を突き出した。
「…!」
今度は、一真が驚いた。あんなに巨大な火の玉が、瞬く間に判子に吸い込まれて行き、消えてしまったのだ。
「…やるじゃねぇか」
そう言って、一真は再び…好戦的な笑みを浮かべた。
一方…正義達は、一真の変化になど構っていられなかった。
「さて…どうやってあの『ウィスプ』を退魔しようか…」
一真に、任せろと言ってしまった手前…正義は今更、無理だとは言えないのだ。
「…頭の中にいる、1mmの『魔族』なんて…どうやって退魔すれば良いの?」
恋華が言った。
「…前に一真が、牛魔王を倒した魔法…"ディバイン・バスター"ってやつがあるだろ?あれで凉音の中の『魔族』だけを…」
「そんな細かい事、一真に出来るとは思えないけど…」
正義の案を、梨紅が即座に否定する。
「…なら、"バスター"で愛ちゃんごと退魔して、愛ちゃんは後から回復魔法で…」
「当たった瞬間に跡形もなく消し飛びそうじゃない?」
「…そうかも…」
沙織の案も駄目なようだ。
「…カズ君が、新しい魔法を考えれば良いんじゃないかなぁ?」
恋華も案を出すが…
「…考える余裕が無いから、私達が考えてるんじゃない?」
「あ、そっか…」
やっぱり梨紅に否定された。
「…今城には、何か考えが無いのか?」
正義が梨紅に言った。
「…一応、考えてはいるけど…」
梨紅は腕組みをしながら答える。
「一真が新しい魔法を作るのは、余裕が無いから無理…"バスター"は強力過ぎて、愛ちゃんが危険…残りは"ホーリエ"だけど…」
「…何か問題があるのか?」
「…"ホーリエ"は"意思"を持った魔法だけど…その"意思"は今…」
ホーリエの意思…つまりエリーは、現在…閻魔界で奉公中なのだ。
「…なんとかして、『ウィスプ』を愛ちゃんの外におびき出すしか無いわ…」
梨紅は指定席に座り、長机に両肘を乗せ、両手を重ね、額を乗せた。
「"エアロ"×20!」
「"銃撃の判子<銃>"!」
「"ウィンド・ストライク"!」
「"防壁の判子<壁>"!」
2人の戦いは、ますます激しい物になっていた。
「"ファイア"!」
一真が真言魔法を使い、左手から火の玉を放った。
「そんな小さな火の玉…バカにしてんの!?」
そう言って、愛は判子を火の玉に叩きつけようとする。しかし、
「…"ブレイク"」
「な…」
判子は空を切った…一真の放った炎が5つに分裂し、尚且つ愛に向かって飛んで行く。
「ちっ!」
愛は舌打ちし、バトンの如く判子を振り回し、火の玉を打ち落としと行く。
「…熱っ!?」
…が、分裂した火の玉の1つが、愛の右足に命中してしまった。
「詰めが甘いな、凉音?」
一真はそれを見て、ニヤニヤと笑っている…まるで、本物の魔族のようだ…
「く…小細工使いやがって…」
痛みを堪えながら、愛は一真を睨み付ける。
「…治さないのか?」
「…何?」
一真の言葉に、愛は顔をしかめた。
「いや、右足…火傷したろ?」
「…だから?」
「治せよ」
「はぁ?」
愛は顔をしかめつつ、一真を睨み付けた。
「何言ってんの?…こっちはあんたの命狙ってんのよ?」
「ならお前、そのままオレと戦うわけ?」
「仕方ないじゃない、気を抜いた私の自業自得よ…」
「でも、手負いのお前じゃオレは殺せないぜ?」
「…」
愛は考えていた。こいつは何を言ってるんだろう?敵である私に、怪我を治せと言って来た…
「…あんた、自殺願望があるの?」
「無ぇよ!いきなり何言ってんだお前!?」
「なら、私が回復してる間に攻撃するとか…」
「しねぇよ!何処までひねくれてんのお前!?」
ますますわからない…
「…"治癒の判子<治>"」
混乱しながらも、愛は自分の右足に判子を押し付けた。
「カズ…あんた、私を殺す気が無いの?」
「無いよ?」
一真は即答した。
「な…なんで?本気でやるって言ったじゃない!手加減なんかしてんじゃないわよ!」
「手加減なんかするかぁ!!んな事したら死ぬわ!!」
「???」
愛は訳がわからなかった…殺す気は無いが本気だと、一真は言っている…
「…なんで殺す気が無いの?」
率直に、愛は聞いた。
「そんなの…お前が死んだら、『友美ちゃんが』悲しむからに決まってんだろ」
「!?」
(…友美のため?私が死んだら、友美が悲しむから…)
「…!」
一真は見た…紅蓮化状態のため、目に魔力を集めた時と同じ状態にあるのだが…確かに今、一瞬だけ…愛の体から『黒いモヤモヤが消えた』のだ。
「…こんな事してたら、『友美ちゃんが』悲しむぞ!」
「!?」
愛に、明らかな動揺が見える…一真はそれを、見逃さなかった。
「『友美ちゃんを』泣かせて良いのか!?」
「うぅ…あ…」
「『友美ちゃんを』悲しませて良いのか!?」
「や…やめ…」
「『友美ちゃんを』!!!」
「やめてぇぇぇぇぇ!!!!!!」
愛はそう叫び、頭を抱えてその場に丸まってしまった。
「…!」
愛の叫びは、梨紅達の耳にも届いた。
部室内の4人は、窓に駆け寄り、上空の一真達を見上げる。
そこには、緋色の長髪を風になびかせる一真と、耳を塞いで悶絶している愛の姿があった。
(ちょっと一真、あんた何したの?)
梨紅が一真にテレパシーを飛ばす。
(いや、妹の話になるとウィスプから解放されそうになるから…ちょっと言葉責めを)
(え?それって、愛ちゃんの精神がウィスプに抵抗してるって事だよね?)
(そうっぽいけど…)
一真は梨紅にテレパシーを送りながら、考えていた。
確かに、このまま続ければウィスプは愛から出ていくかもしれない…
だが、愛の精神は大丈夫だろうか?
下手をすれば、精神崩壊もあり得る…
…ならば…
(…エリー、聞こえるか?)
(………何?)
(うわ、凄い不機嫌…)
梨紅が思わず顔をしかめた。が、一真はそんな事を一切気にせずに言った。
(エリー、ちょっとこっちに戻って来い)
(…戻れる物なら戻りたいわよ…)
泣きそうな声で、エリーは答えた。
(急いでんだ…ちょっとナイトに代わってもらえ)
(オレに擦り付けるのか…)
(ちょっとだけだって)
(…4人でテレパシーだと、ごちゃごちゃだね…)
全くである。
(…それで?君は私に何をさせようと言うの?)
エリーが言った。
(凉音の頭の中に入って、オレと梨紅の精神を凉音の頭の中に導いてくれ)
(…)
サラッと即答する一真。しかし、それはあまりにもとんでもない事だったらしく…
((…))
ナイトとエリーは、黙り込んでしまった。
(…何?出来ないの?)
(…いえ、出来るわ…出来るけど…もう、仕方ないわねぇ…)
エリーはしぶしぶ了承した。
「"ホーリエ"!」
一真がそう言うと、右手から白い球体が飛び出した。
「頼むぞ?」
「わかってるわよ」
エリーは、愛に向かって飛んで行った。
「!?」
愛はエリーを、一真からの攻撃だと思ったらしく、判子で打ち落とそうとするが…
「遅いわよ」
「あっ…」
エリーは、難なく愛の耳の中へ入って行った。
「よし!(エリー、大丈夫か?)」
(えぇ、耳の中は綺麗よ?しっかり手入れされてるわ)
(知ったこっちゃねぇよ!そんな事聞いてんじゃねぇ!)
(うるさいわね…ちょっと待ちなさいよ、結構大変なんだから…)
そう言って、エリーが一真を諭す。
(…よし、これで良いわ…それじゃあ今から、君たち2人を彼女の『精神世界』に送り込むわよ?やる事はわかってるのよね?)
(あぁ、ウィスプと戦ってる凉音の精神の手助けだろ?)
(そうよ…でも、はっきり言って君がこの手段を考えつくとは思わなかったわ…)
(…どういう事だよ?)
(話は後よ…行ってきなさい)
(おぅ)
(…え!ちょっと待っ…)
梨紅の静止が、エリーの耳に届く事は無かった…




