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どろんこまみれの月に願って

作者: あわき尊継

マグネットというサイトの三題噺企画へ投稿していた作品です。

もっと色んな方に読んでいただければと思い、こちらへ転載しています。


お題は「満月」「ロマン」「泥」。

 水溜まりへ勢いよく飛び込んだ長靴が泥をまき散らした。

 無邪気な笑い声、こちらを呼んで手を振る娘にハイハイと返事をし、少しだけ歩く速度をあげる。

 昨日まではむわっとした空気にワイシャツの内側が汗ばんだものだが、昨晩からの雨ですっかり涼しくなっていた。幼稚園からの帰り道、丘の上にある公園を通っていくのが娘は好きだった。


 朝日(あさひ)。私の娘。


 まだまだ小さくて、目を離すとどこかへ行ってしまわないかと不安になる。

 いつもは近所に住んでいる親戚の家で私が帰ってくるまで面倒を見て貰っているが、今日は以前からの予定通り早めに仕事を切り上げ、自分で娘を迎えに行き、家へ戻っている最中だ。


 丘の上の公園、とは言ったものの、土がむき出し斜面に二つ割りにした木を埋め込んだ階段が続いていて、周囲にはさほど整備もされていないだろう大きな木々と、道から外れた草地には誰のものかリアカーと農作業でも出来そうな鍬やバケツが置いてある。

 一度も人が触っているのを見たことはないが、もしかすると部分的に私有地だったりするのだろうか。


 公園にたどり着くと、小さなメリーゴーランドがようやく置けそうな程度の広場がある。

 ようやく休める。そう思った。

 蔦を絡ませた屋根の下には丸い木の机があり、同じく木の椅子がいくつか置いてあるのだ。丘の少し手前にあるコンビニで買ってきたおにぎりと総菜に飲み物。本当はどこか良いお店にでもと考えていたのだが、娘はこの公園で食事をしたがった。


 荷物を起き、机の上におにぎりを並べていく。

 いの一番におかかとツナマヨを持っていかれ、私は残ったこんぶと梅と味噌を頂く。

 お茶を自分に、オレンジジュースを娘の前へ置いて、真ん中に総菜とお箸。先に手を洗うんだよ、とおにぎりを開けようとしていた娘に言うと、しぶしぶそれを置いてくれたから、私は小さな身体をえいやと持ち上げてすぐ近くにある水道へ向かった。

 娘と一緒になって笑い、水道から出てきた水が冷たいとまた笑い、お店で買っておいた消毒も出来るウェットティッシュで丁寧に娘の手を拭く。帰りはまた、せがまれるまま持ち上げてお姫様を椅子までエスコートした。

 手を合わせて。


 いただきます。


 二つだけの声が重なった。


    ※   ※   ※


 妻はとても力に溢れた人だった。

 どうしてこの人はこんなにも力一杯で、輝いているんだろうと、彼女と初めて出会った高校生の時に私は思った。


 作家を志し、学生時代からアルバイトで貯めたお金を使って海外旅行までして、一時は留学するなんて話もあったから、当時既に片思いをしていた私はとても慌てたものだった。

 普通に大学への進学を決めた理由を知ったのは、ずっと後になってから。


 文芸サークルに入り、学生向けの小さな賞を取って、出版社の企画へ応募して最終選考まで残って。


 いつだって明るく笑い、思い立ったら試験前夜でも飛び出してしまう。なのに小説の内容は甘ったるい恋愛ものばかり。ロマンチストだったのだろう。ところが彼女の力強さが溢れてしまうのか、乙女心をくすぐるだろうシーンは気合が入りすぎて空回りしたりする。

 私は、そんな彼女の小説が大好きだった。


 休日には丘の上にある公園で小さなノートパソコンを広げて、充電が切れると下のコンビニで食事を取りつつコンセントを間借りする。パートのおばさんとは親しかったようで、今でも続けているその人と会うと、私と娘に元気よく挨拶をしてくれる。


 彼女は重たい病を抱えていた。

 ゆっくりと身体を蝕んでいく、どうしようもない、病。

 二十歳までは生きられないと聞いた。

 けれど、私はその僅かとも言える時間を、彼女の隣に居たいと願った。


 だったら、子どもが欲しい。私のすべてをその子に託す。

 伝えきれないことは、アナタが教えてあげて。


 プロポーズの返事がそれだった。

 大学を中退し、私が社会人として勤め始めると同時に結婚し、彼女は毎日のように丘の上の公園に通って小説を書いた。けれど、もうどこかへ応募する為ではなかった。


 二十歳までに死ぬと言われた彼女は、二十四歳まで生きた。

 最後まで、力一杯生き抜いていた。


    ※   ※   ※


 食事が終わって、再び手を洗い終えたら、私はカバンから小さな本を取り出す。

 本人はコピー用紙でいいよ、なんて言っていたけど、やっぱり小説は本の形になっているべきだ。


 ひらがなとカタカナだけで書かれた、彼女の小説。

 私と、娘の為だけに作られた物語。


 遠く、街並みをまっすぐに抜けていく電車を見た。

 丘の上から望む景色は木々で切り抜かれているけれど、広い平地が続いているからどこまでも家屋が連なっている。


 娘は、朝日(あさひ)へ、と書かれた本を開いた。


 手紙ではない。

 言葉を残すのなら、物語がいいと彼女は言った。


 幼稚園を卒業する時、小学生になった時、高学年になった時、中学生に、高校生に、初めて恋をした時、親友が出来た時、喧嘩をした時、仲直りをした時、夢を見つけた時、大きな失敗をした時、恋人が出来た時、別れた時、結婚する時。

 お母さんよりも、ずっと大きくなってくれた時。

 子どもが出来た時。


 いっぱい、いっぱい、彼女は物語を残してくれた。

 自分の、ありったけの言葉で、すべてをぶつけるようにして。


 夢中になって物語を読んでいく娘を見る。


 太陽の名を彼女は与えた。

 自分とは違う、本物の光を放つ人になって欲しい。


 そんなことはないと何度も言った。私にとって、彼女の光もまた本物だった。


 新しい物語を読み終えた娘と、しばらくボール遊びをする。

 雨でどろんこまみれになるのもお構いなしに。私も明日同じスーツを着ていくのは諦めて、どんどん活発になっていく娘に目を回しそうになりながら、息を切らせて遊んだ。


 お茶を飲みに机へ戻った時、出しっぱなしにしていた本に気付く。

 手を拭き、栞の挟んだページを開く。


 『おかあさんがしんで、いちねんがたったとき』


    ※   ※   ※


 昼間の元気はどこへやら。

 お墓参りを終え、家に戻るまでの間、娘はずっと私にへばりついて離れなかった。

 家へ着く頃には眠ってしまっていたから、どこかで目を覚ますか、明日の朝にでもお風呂へ入れてやらないとな考えつつ、バルコニーへ出た。


 夜空は少し曇っていて、薄雲の向こうに黄色い光が見えた。

 写真立てを脇に置き、小さく言葉を漏らす。


 なあ、俺は上手くお前の思いを伝えてやれてるかな?

 なあ、あの子はどんどん大きくなっていくぞ。いつか、俺たちが出会った時みたいになるのかな?


 なあ――、なあ――、


 ガラス戸がスライドする音でぼんやりしていた意識を覚ます。

 朝日(あさひ)が起き出してきたらしい。

 おとうさん、と呼んで隣に座る。私も、うん、とだけ答えて、一緒に空を眺めた。あ、と娘が言った。


 おかあさん。


 小さな、これからもっと大きくなっていく手が指さす先を見る。

 雲の晴れた夜空に浮かぶ、一欠けもない月の名を、先に逝ってしまった愛する人の名を、娘を抱いて口にする。


満月(みつき)


 今は泣こう。

 そして明日、また朝日は昇る。

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