聖女
「レイナとは二年前から一緒に検問の仕事をしていましたが、まさか魔女だとは思いませんでした……」
前を歩く衛兵の男が、沈んだような声音で呟いた。
ここはダイナの街中央を走る大通りだ。
道の端には多くの飲食店が立ち並んでおり、客引き達が行き交う人々に声をかけている。
「それは仕方ありませんよ。魔女狩りを生業とする我々でも魔女の正体は容易には見抜けませんから」
衛兵の男と肩を並べながら歩いていたマイクが、相手を慮るように言う。
そして、こちらを振り返って付け加えた。
「……まあ、《魔女殺し》様ほどになると話は別のようですが」
当て付けのような言葉にエリスが顔を上げると、瞳の奥に怒りの炎を宿したマイクと目があった。
どうやら、エリスの先程の行動が余程気に障ったらしい。
(相変わらず、面倒くさい男だな……)
嫌悪感を顔に貼り付け、無言のまま睨み返す。
険悪な雰囲気のパラディン二人に、他の聖騎士達が気まずそうな表情を浮かべた。
それを無視して衛兵の男に幾つか質問をする。
「レイナ・スピカと交流のある女性はいたか?」
「ど、どうでしょう。職場には彼女以外の女性はいませんでしたから、いたとしたらプライベートですが……彼女の口から友人関係の話を聞いたことは一度もありません」
「そうか。それなら彼女の親族に女性はいたか?」
「いいえ、レイナは天涯孤独でした」
原則として悪魔は女性にしか力を貸さない為、男性は容疑者から外していいのだ。
「あの若さで身寄りがないのか……」
交友関係も血縁関係も駄目。
(となると、この男からこれ以上情報を引き出すのは無理そうだな)
そう思ったエリスが深くため息を吐いた次の瞬間、頭が割れるような痛みに襲われた。
「ぐっ、頭痛が……」
突然の出来事に思わず、声を漏らす。
(これは、祓魔症状か!?︎)
覚えのある痛みにエリスが視線を前に戻すと、通りの正面に巨大な建造物が佇んでいるのが見えた。
美しいステンドグラスで飾られた木造の教会だ。
白塗りの聖堂が早夜の闇の中で静かに鎮座している。
(いつの間にこんな近くに……)
「ズレろ」
エリスが小さく呟くと、祓魔症状による痛みがスッと消えた。
前回と同じく、空間操作を使用し、自らの体を五次元方向にズラしたのだ。
(相変わらず、酷い痛みだな)
ゼェゼェと肩で息をしつつ、教会の扉の前に立つ。
衛兵の男が力をかけると、軋んだ音を立てて扉が開いた。
二十人以上の部下を引き連れ、教会の中へと足を踏み入れる。
すると、そこは多く人々の呻き声が溢れる薄暗い空間だった。
壁の四隅に立てられた蝋燭だけが、堂内を淡く照らしている。
「これは……酷い有り様だな」
隣に立つマイクがポツリと呟いた。
彼の視線の先には縦八列、横二列でキッチリと並べられた長椅子がある。
その上に負傷した兵士達が一人ずつ寝かされていた。
長椅子の間を縫うようにして、聖堂の奥へと進む。
すると、
ガチャリ。
教会内に乾いた音が響いた。
エリス達から見て左側の壁にある小さな扉が開き、中から一人の女性が出てくる。
純白の修道服を纏った若い少女だ。
キリッとした目が特徴的で、猫のような愛らしい顔をしている。
見覚えのあるその顔に、エリスはハッと息を飲んだ。
それと同時に、マイクが驚きの声を上げる。
「べ、ベネット様!?︎ 王様付きの聖女である貴女が何故ここに?」
聖女とは神への祈りを繰り返し、癒しの力を得た修道女の事だ。
彼女たちは、手を触れるだけで大抵の傷や病を治してしまう。
その中でもベネット・マーブルの名前は有名で、彼女に治せない病はないとまで言われていた。
若干15歳で王様付きの聖女となった《天使の娘》。
そう呼ばれる彼女とは、王城で何度も顔を合わす機会があり、エリスもマイクも立派な顔見知りだった。
「ふふ、驚きたいのはこちらの方ですよ。まさか一つの事件にパラディン様が二人も駆けつけるとは思いませんでした」
驚嘆の表情を浮かべるエリス達を見て、ベネットが心底楽しそうに笑う。
「それにしても、犬猿の仲であるマイク様とエリス様がご一緒されるなんて一体どういう風の吹きまわしです?」
「実は今回、魔女によって壊滅させられた部隊を率いていたジャック・ラインは私とエリスの共通の友人なのです。彼が意識不明の重体だと聞き、居ても立っても居られず二人で駆け付けました」
「そうですか。それはさぞ心労が絶えなかった事でしょう。しかし、安心して下さい。彼は無事です」
そう言ったベネットが一つの長椅子へと案内してくれる。
すると、そこにはスヤスヤと寝息を立てるジャックの姿があった。
鎧はボロボロだが、彼の体には傷一つ付いていない。
「彼は非常に運が良かったですよ。偶然にも、史上最高の聖女であるこの私が近くの街に巡礼に訪れていたのですから。さもなければ、確実に命を落としていたでしょう。四肢損傷に内臓破裂。とても他の聖女の手に負える傷ではありませんでした」
鈴のような声音で語るベネット。
その顔を覗き込むと、『さあ、私に感謝しなさい!』とはっきり書かれていた。
本来、聖女然として美しい彼女の顔が、自己顕示欲と承認欲求によって醜く歪んでしまっている。
(この性悪女……これでよく聖女に成れたものだな)
呆れるエリスの横で、
「ベネット様!本当にありがとうございます!!!」
感激した様子のマイクが深く頭を下げた。
「うふふ、素直にお礼を口にできるなんてマイク様は素敵な方ですね。エリス様も頭を下げてくれてもいいんですよ?」
ねだるようにしてこちらに視線を送ってくるベネット。
それを無視して堂内を見回すと、治療を終えてスヤスヤと寝息を立てる人々の中に、苦しそうに呻き声を上げている者が何人かいるのが分かった。
どうやら、軽傷の患者の治療はまだ行われていないらしい。
(まあ、聖女と言えど際限なく力を使える訳ではないからな……)
「ベネット様。治療がまだお済みでない者が何人かいるようですが、もしかしてパワー切れですか?」
エリスからの質問にベネットの笑顔がピキリと固まった。
ベネットはどんな重傷患者でも一瞬で治してしまう強力な治癒能力の持ち主だが、一日に行使できる回数が極端に少ない。
通常の聖女なら一日に三十人程の治療を行えるが、彼女はその半分である十五人が限界なのだ。
これはプライドの高いベネットにとって最大のコンプレックスであり、彼女がこの事実を認めたことはない。
「ぱ、パワー切れ?私がそんなこと起こす筈ないじゃないですか……」
ぎこちない笑顔を顔に貼り付けたままのベネットが取り繕うように言った。
「軽傷の患者は私が治療するに値しない。ただ、それだけですよ」