ミミ・キューティ
「嘘!?︎ 何でパラディンに魔女がいるの?……あり得ないでしょう」
パッチリお目目のそばかす少女が、使用人宿舎の一室で呟いた。
彼女はミミ・キューティ。
魔女平和協会によって王城に送り込まれたスパイである。
表向きの顔は王女様付きのメイドだ。
彼女は先程、メイド仲間と共に廊下を歩いていた時に信じられないものを目にした。
すれ違った女聖騎士の瞳が紅く光っていたのだ。
その女性の左胸には虎型の記章がついていた。
虎型の記章はパラディンを示し、紅い瞳は魔女を表す。
(信じられない。魔女なのにどうやってあの地位まで登りつめたの?)
魔女平和協会は今まで何度も聖騎士の中にスパイを紛れ込ませようとしてきたが、その度に失敗してきた。
その大きな要因が、聖騎士に義務付けられた参拝の儀式だ。
悪魔の力を宿した魔女は教会に近づく事ができない。
その為、祈りを捧げる事ができず、直ぐに正体がバレてしまうのだ。
(方法はどうにせよ、これは本当に凄い事だわ……)
魔女平和教会は、魔女達が自らの安全を守るために設立した組織である。
彼らにとって聖騎士の動きを掴む事は何よりも重要だ。
ミミは先天性の魔素を吐き出しにくい体質と、透明化の魔術を見込まれてスパイに選ばれた。
そんな彼女でも聖騎士が行う魔女狩りの全容までは掴めない。
しかし、パラディンならば別だ。
合法的に全ての作戦概要を隅から隅まで把握できる。
もし彼女を味方につける事ができれば、魔女の安全の有り様は大きく変わる事になるだろう。
(何とかして彼女に接触しないと……)
◇◆◇◆
王城の敷地内にはとても立派な教会がある。講堂の広さもステンドグラスの枚数も国内一だ。
「うっ、体が裂ける」
そんな煌びやかな建物を前にしてエリスは強烈な痛みに襲われていた。
内臓が破裂し、苦悶の表情を浮かべる。
(これが祓魔症状か。想像以上に辛いな……)
穢れた魔女が神聖な教会に近づくと、内側から爆発して死んでしまう。
それが祓魔症状だ。
エリスも先程から胃や肺が何度も潰れ、踠き苦しんでいた。
超回復が無ければとっくに死んでいるだろう。
この痛みから解放されるには魔術に頼るしかない。
「ズレろ……」
エリスが一言呟くと、数秒だけ浮遊感に包まれた。
その直後に全身の痛みが消える。
空間魔法を使って五次元方向に体をズラしたのだ。
つまり、今のエリスはあたかもこの場に存在するようで、実際は並行世界に立っている。
故にこの世界の万物と交わる事は叶わず、教会の影響も受けない。
近くの植え込みに手を伸ばすが、不思議と触れられなかった。
真っ直ぐ植え込みに伸ばしたはずの手は、気づくとその真横の空間を彷徨っている。
「完璧だ。これでもう祓魔症状は怖くない」
満足気に目を細めたエリスは、ゆったりとした足取りで教会の中に入っていった。
そのまま、最奥に佇む男性裸像の前に跪いて祈りを捧げる。
「神よ……私の全ての罪をお許し下さい」
◇◆◇◆
その日、王城の廊下を歩いていたエリスは、突然細い通路に引き込まれた。
「ようやく見つけたわ!」
驚くエリスの目の前で、15歳ほどに見える可愛らしいメイドが、嬉しそうに笑う。
見覚えのあるその顔にハッとした。
この前、廊下ですれ違った魔女だ。
(まさか、向こうから接触してくるとは……)
「私はミミ・キューティ。魔女平和協会所属の魔女よ。あなたは?」
弾むような声音で自己紹介する少女。
その内容に思わずを耳を疑う。
(魔女平和協会だと?本当に実在したのか?)
魔女平和協会は聖騎士として仕事をしていれば嫌でも耳にする名前だ。
魔女達が自らの安全を守る為に設立したという自衛組織で、かなりの数が所属しているという。
しかし、その実態は全く掴めておらず、架空の組織ではないかという意見も少なくなかった。
(これは……予想以上の収穫がありそうだな)
気分良く目を細め、後ろ手に短刀を握る。
「私はエリス・ナナトスだ。この名前に聞き覚えはあるか?」
エリスが尋ねると、ミミの顔がサッと青ざめた。
「エリス・ナナトス……魔女殺し!?︎」
驚いたように叫び、身を翻して逃げようとする。
しかし、それより早く首元を掴み、地面に引き倒した。
恐怖に顔を引攣らせるミミに馬乗りになり、その喉元に短刀を突き付ける。
「やめて!私を殺さないで!」
半錯乱状態で喚く少女の口元を抑え、強制的に黙らせた。
「大声を出すな。殺したりはしない……安心しろ」
荒く息をするミミの瞳を覗き込み、少し落ち着くまで待つ。
「いいか?大声を出すなよ?落ち着いて話をしよう」
ミミが小さく頷いたのを見て、ゆっくりと口元から手を退けた。
その直後、
「誰か助けてぇぇぇ!!!」
ミミが再び大声を上げる。
それを聞きつけ、多くの足音が近づいてくるのが分かった。
(この馬鹿!何を考えている!?︎)
予想外の行動に驚いて目を見張る。その意図が全く理解できない。
「おい!一体何のつもりだ!この状況で聖騎士が来たらお前も私もかなりマズイぞ!?︎ 」
必死に言い聞かせようとするが、ミミは聞かない。
「煩い!お父さんとお母さんを殺した癖に!どうせ私も殺す気でしょ!」
そう言って短刀を握ったエリスの右手に噛み付いてきた。
思い切り肉を食い千切られ、血が噴き出す。
「この……!」
痛みで顔を歪めたエリスは、ミミの頬を血で濡れた右手で殴りつけた。
そのタイミングで背後に聖騎士が到着する。
「おい、貴様ら!何をしている!?︎」
エリスが声のした方を振り返ると、そこにたのはマイクだった。
状況が理解できないのか、驚いたように目を白黒させている。
「助けて!こいつは魔女よ!」
エリスが口を開くより早く、ミミが大声で喚いた。
それを聞き、マイクが信じられないという目でこちらを見てくる。
「黙れ!魔女はお前だろう!」
ミミの方を思い切り睨みつけ、短刀を振りかざした。
(……本当は魔女平和協会に関しての情報を聞き出したかったが、こうなってしまったからには仕方がない)
「死ね」
短く呟いたエリスが渾身の力を込めて短刀を振り下ろそうとするが、それより早く背後から衝撃があった。
直後に胸元が熱を帯びる。
気づくと、エリスの体から鋭く尖った刃が突き出していた。
「マイク……何をしている……」
予想外の展開に動揺して短剣を取り落とす。
マイクがエリスの背後から長剣を突き立てたのだ。
そのまま、後ろから首を絞め上げてくる。
「ふざけるな!離せ……!」
身体強化を使ってマイクの手を引き剥がそうとするが、どうしても外せない。
(くそっ。馬鹿力め……)
何とか床に落とした短剣を拾おうとするが、ギリギリで届かなかった。
次の瞬間、全身から力が抜け、視界が点滅する。
少しずつ意識が遠退いていくのが分かった。
「マイク、私にこんな事をしてタダで済むと思うなよ……」
最後に怨嗟の声を吐き出したエリスは、天井を仰ぎ、そのまま血溜まりに沈んだ。
◇◆◇◆
「そこのメイドを捕らえろ」
エリスの体から長剣を引き抜いたマイクは、遅れて到着した部下達に命令して若いメイドを縛り上げさせた。
そのまま、意識を失ったエリスの体を肩で担ぎ上げる。
驚いた事に彼女の傷口は既に綺麗さっぱり消えていた。
(相変わらず、凄い回復力だな……)
破れた衣服から覗く白い肌を見て一瞬ドキリとする。
「いつも偉そうなエリスも寝ていれば可愛いもんだ……」
静かに呟いたマイクが、エリスの横顔をじっくりと眺めていると、部下の一人が恐る恐ると言った感じで尋ねてきた。
「あのぉ……マイク様。なぜエリス様をお刺しになったのですか?同じパラディンですよね?」
その質問に迷わず答える。
「メイドを殺させないためだ。こいつの判断は全く信用ならないからな。無実の者を殺してからでは取り返しがつかない」
エリス・ナナトスは魔女の疑いがあれば、確信がなくても殺す女である。
その判断基準の甘さを巡っては、マイクと幾度も衝突してきた。
「なるほど。それを聞いて安心しました。てっきり、あのメイドの戯言を信じたのかと……」
マイクの返事を聞き、部下の一人が安堵の息を吐く。
「エリスが魔女だという主張か?そんなもの信じるわけないだろ。こいつの魔女への恨みは本物だよ」
はっきりと言い切ったマイクは、後始末を部下達に任せ、ゆったりとした足取りでエリスの部屋へと向かった。
そのまま、ベッドにエリスを横たえる。
エリス・ナナトスは非情な女だ。
その冷徹ぶりは聖騎士間でも有名で、とても評判が良いとは言えない。
しかし、マイクは彼女を嫌ってはいなかった。
同期である彼は、それ以上にエリスの優しい一面を知っている。
彼女はパラディンとして受け取る莫大な給与の殆どを、魔女被害に遭った村や街に寄付しているのだ。
それどころか、休暇時には自ら復興の手伝いに出向き、人々の為に尽力している。
彼女ほど被害者の為に働く聖騎士は他にいないだろう。
幼い頃、魔女に両親を殺されたエリスは、魔女に厳しい分、同じ境遇の人々には優しいのだ。
「不器用なんだよ……お前は」
静かに呟いたマイクは、そっとエリスの頬に触れた。