青い影
エリスの両親は優秀な聖騎士だった。
多くの魔女を殺して王国に多大なる貢献を果たしたが、エリスが五歳の時に報復されて命を落とした。
相手の魔女は当時10歳ほどの子供だったという。両親は油断している間に首を切り落とされたのだ。
その後、エリスは祖父母に引き取られて聖騎士となった。
法術を学んだのは魔女と魔物を皆殺しにするためだ。
(それなのに……)
「なぜ私がこんな事をせねばならんのだ?」
今現在、エリスはパーティ会場の隅でポツリと佇んでいた。
両肩の露出した赤いドレスを着ており、全身がスースーとする。
普段、軍服や鎧しか纏わないエリスにとっては、とても着心地の悪いものだ。
頭上には巨大なシャンデリアが輝き、大理石の床の上には料理でいっぱいのテーブルが幾つも並んでいた。
エリスが一人でシャンパンを飲んでいると、遠くから彼女に関する噂話が聞こえてくる。
『あれがあの《魔女殺し》なのか?スッゲェ美人だな……』
『でも、性格は最悪なんだろ?』
『ああ。今回も手柄のために女子供を大量に殺したって話だ』
『そりゃ酷ぇな。何で平和勲章を貰えたのか甚だ疑問だ』
パーティの参加者達が有る事無い事を勝手に話していた。
エリスが一瞥すると、周囲の人々がそそくさと離れていく。
入れ違いにジャックが近づいて来た。
「どうだいエリス。パーティを楽しんでいるかい?」
「まさか。居心地が悪くてかなわんよ」
顔をしかめるエリスにジャックが好奇の視線を送って来た。
「その割には大胆なドレスだな……完全に男達の注目の的だぞ?」
ジャックの言葉で周囲の視線を意識し、柄にもなく頬を染める。
(な、何だ?めちゃくちゃ見られてるじゃないか……)
「も、もういい。私は帰る」
足早にその場を去ろうとしたエリスだったが、慣れないヒールのせいでバランスを崩してしまった。
そのまま床に倒れこみそうになるが、正面にいた男が空中で抱きとめてくれた。
「す、すまない。ありがとう……」
珍しく汐らしい声で謝罪を口にしたエリスが顔を上げると、そこにいたのはマイクだった。
「エリス。大丈夫か?」
エリスの顔を覗き込み、心底心配したように尋ねてくる。
先ほどジャックが変な事を言ったからだろうか、無駄に自らが女であることを意識してしまう。
(ちょっ、胸に手が当たってる……)
マイクに正面から抱き止められたエリスは、その立派な双丘を彼の腕に押し付ける形になっていた。
「あ、ああ。大丈夫だ。少しバランスを崩しただけだ。助かったよ」
お礼を言いつつ、慌てて後方に飛び退く。
それを見て、ジャックが意地悪そうに笑った。
エリスの内面を完全に見透かしているという顔だ。
恥ずかしさで体温がぐんぐんと上昇していく。
(だから嫌なんだ!パーティに参加するのは!)
胸の内で強く叫んだエリスが照れ隠しにシャンパンを煽っていると、不意に視界がブレた。
目が回り、強烈な吐き気が襲ってくる。
(うっ……何だ?酒を飲みすぎたか?)
必死で足元に力を入れようとするが、どうしても上手くいかない。
ドクン。
次の瞬間、心臓に強い痛みが走り、意識が遠退いた。
その場で何度もたたらを踏み、やがて糸の切れた操り人形のように地面に崩れ落ちる。
あっという間の出来事だった。
視界を闇に覆われたエリスの耳に、パーティの喧騒だけがいつまでも響いていた。
◇◆◇◆
気づくとエリスは何もない薄暗い部屋に寝巻き姿で立っていた。
夢を見るといつもこの場所に来る。
目の前には酷く疲れた顔をした銀髪の少女がいた。
彼女はエリスの守護精霊であるエイルだ。
法術は守護精霊を呼び出し、自らの身に宿すことで初めて使えるようになる。
『ごめんね……ごめんね……』
エリスの足元に抱きついたエイルが、何度も謝罪を口にした。
「どうしたエイル?酷い怪我だぞ?」
傷だらけの少女をそっと抱きしめる。
彼女の体は小刻みに震えていた。
「何に怯えているんだ……?」
初めて見るエイルの姿に戸惑いを隠せない。
彼女は本来、明るくハツラツとした少女だ。
『ごめんね……本当にごめんね……あいつの侵入を防げなかった』
尚も謝罪を繰り返すエイル。
その言葉を聞き、部屋の隅にもう一つ人影があることに気づいた。
素っ裸の青肌の男がこちらに背を向けて体育座りをしている。
「馬鹿な。一つの精神世界に二人の精霊が存在するなどあり得ない……」
驚きで辿々しく呟くエリスを見て、エイルが悲しそうに首を振った。
『違うの!彼は精霊じゃないの!……悪魔よ!』
聞き慣れた筈の彼女の声が酷く耳障りなものに聞こえた。
『……!!!』
その後も何かを必死に伝えようとしてくるが、既にエリスの耳はそれを受け付けようとしない。
(悪魔……だと?)
ゆっくりと意識が覚醒していくのを感じる。
静かに崩れていく夢の世界で、青肌の男がこちらを振り返るのが見えた。
次の瞬間、エリスの唇が熱を帯びる。
気づくと青肌の男が目の前にいた。
角も翼もない美麗の偉丈夫だ。
いつの間にか唇を奪われている。
口先から何か熱いものが流れ込んできた。
ドス黒い力。禍々しくも圧倒的力だ。
(ああ、飲みこまれる……)
恍惚の表情を浮かべたエリスは、そのまま深い闇に引きずり込まれた。
◇◆◇◆
エリスが目を覚ますと、そこは王城に与えられた自室のベッドだった。
いつの間にか寝巻き姿に着替えさせられている。
どうやら室内にはエリス一人だけのようだ。
「うっ、左の脇腹が痛むな……」
上体を起こしたエリスは、素早く上着をめくりあげ、自らの脇腹を眺めた。
見慣れた星型の黒い痣を見つけ、強烈な吐き気を催す。
(あり得ない。私が魔女になるなど……)
法術が精霊の力を借りるように、魔術は悪魔の力を借りる。
この星痣はエリスの内に悪魔が宿っている証拠だ。
しかし、エリスは悪魔を呼び出す儀式など行っていない。
悪魔も精霊も特定の手順を踏んで人間側から頼み込まなければ力を貸してくれることはないはずだ。
エリスが聖騎士に成る時も教会で降臨の儀式を行った。
だから、エリスにはエイルがついている。
「なんで、こんなことが……」
次の瞬間、深く絶望したエリスは転げ落ちる様にしてベッドから降りた。
そのまま、ベッド脇に置かれた長剣を掴み、力任せに振り回す。
(あり得ない!こんなの何かの間違いだ!!!)
真っ赤な絨毯も立派なクローゼットもズタズタになるまで斬りつけた
この広く豪勢な部屋はエリスがパラディンである証だ。
魔女を殺すことが専門の高位の聖騎士。それがエリスだ。
肩で荒い息をし、首筋に長剣をあてがう。
「魔女は殺さないと……」
深くため息を吐いたエリスは、覚悟を決め、思い切り指先に力を込めた。
しかし、腕は一向に動かない。
気づくと、両目から涙が溢れ出していた。
やがて、体の震えで立っていることもままならなくなる。
(まさか、自分がこれほど弱い人間だったとは……)
静かに剣を取り落としたエリスは、ゆっくりとその場に膝をついた。
天井を見上げ、瞼を閉じる。
その後、しばらく動くことができなかった。