疑念
「どうしよう?中へ入って止めた方がいいのかしら?」
訓練官として若手の指導に当たるというエリスの後ろ姿を見送った黒髪メイドは、主人の部屋の前で酷く迷っていた。
『ワンワンワン!!!』
先程からけたたましく聞こえてくる犬の鳴き声。
エリスが部屋を出て行った直後から始まり、既に30分近く続いている。
(エリス様からは何があっても部屋に入るなと言われているけど……流石にこれは放っておけないわよね?)
そう思ったメイドがゆっくりと扉を開けると、中は真っ暗だった。
ベッド脇で鈍く光る深蒼の眼光。
メイドが一歩部屋に足を踏み入れた瞬間、室内の犬の鳴き声がピタリと止んだ。
◇◆◇◆
(ああ、眠い……)
その日、夜勤明けのマイクは、欠伸を噛み殺しながら王城の一角を歩いていた。
ダイナから帰って来て3日。
碌に寝た日はない。
毎日、朝方まで訓練漬けの日々だ。
『マイク・ピアス、次に会うまで首を洗って待っておけ!』
思い出されるのは金髪の魔女に投げ掛けられた言葉だ。
ここ数日、彼女の存在が頭から離れない。
(奴の魔術は危険だ。俺以外の聖騎士が遭遇したら確実に命を落としてしまうだろう……)
空間を切り裂く攻撃魔術に、自らを加速させる付与魔術。
致命傷すら一瞬で完治する回復魔術と、彼女の戦い方にはまるで隙がなかった。
魔女の魔術は一人一つ。
彼女だけ二つも三つも持っているとは思えない。
(一体、奴の魔術は何だったんだ?それさえ分かれば、次会った時に確実に仕留められる気がするんだが……)
ここ最近、この事についてずっと考えているが全く思い付かない。
(やはり、誰かに相談するべきか?)
頭を悩ませたマイクが、広い廊下をゆっくりと歩いていると、不意に前方から甲高い声が聞こえてきた。
「きゃあああああ!!!」
耳をつんざくようなその悲鳴に、思わず足を止める。
(女性の悲鳴?何事だ!?︎ )
驚いたマイクが声のした方に向かって走っていくと、前方に半開きの扉が見えてきた。
見慣れた周囲の景色に息を飲む。
(ここは……エリスの部屋か?)
他に駆けつけて来た聖騎士はいない。
腰の剣柄に手を掛けたマイクが、半開きの扉から中を覗き込むと、カーテンで締め切られた薄暗い空間が目に飛び込んできた。
一つ息を吸い、思い切り扉を開け放つ。
すると、陽光が差し込み、室内の全貌が明らかになった。
窓際のベッド付近に血塗れのメイドが倒れ込んでいる。
驚愕の表情のままピクリとも動かない少女。
その上に金毛の大型犬が跨り、血肉を貪っていた。
(間に合わなかったか……)
見慣れた魔物の姿に、ゆっくりと緊張を緩める。
死んだメイドには悪いが、正直、緊張感を持って接する程の相手でもない。
「俺が彼女にできる供養は、これ以上死体を荒らさせない事だけか……」
静かに呟いたマイクが、素早く抜剣すると、それまで死体に夢中だった金毛犬が初めてこちらを振り返った。
その瞳が自分の姿を捉える前に、長剣を振り抜く。
身体強化を使った神速の一刀。
スパッ。
一切の抵抗なく魔物の頭が床に落ちた。
それを確認し、長剣を鞘に収めかける。
しかし、相も変わらずその場に立ち尽くすエレクトリカルドッグに違和感を覚え、動きを止めた。
次の瞬間、
シュルルル。
数千本の筋繊維が編み込まれるようにして金毛犬の頭部が再生される。
「何?瞬間回復だと!?︎ 」
その様子を見て、思わず自らの目を疑った。
つい先日、目にしたばかりの能力。
(心臓を刺しても死なない魔女に、首を刎ねても死なない魔犬。最近は不死身の能力が流行っているのか?)
首を捻りつつも、超速の一撃を放つ。
抜刀術の要領で前足を斬り落とすと、右手一本で首を絞め上げた。
『ギャァァァン!!!』
甲高く鳴いたエレクトリカルドッグが体表面から高電圧の電気を発するが、全く意に介さない。
そのまま、首を絞め上げると、金毛犬がストンと意識を失った。
(所詮は下等の魔物か)
その体を雑に投げ捨て、静かに見下ろす。
マイクが城内で不死身の怪物を目にするのはこれで二度目だ。
一度目は不死身の巨大蜘蛛から王直属の楽器隊を守った時。
その魔物の主人はミミ・キューティという名の使用人で、既に処刑されていた筈だ。
しかし、
(……瞬間回復ほど強力な力を持った魔女が複数いるとは考えにくい)
現状ではそれも怪しくなってきた。
「ミミ・キューティとは別に……もう一人魔女がいるのか?」
ミミ・キューティと一連の騒動は無関係で、実は不死身の魔物の主人は別にいた。
ミミに自らの罪を着せ、まんまと捜査から逃れた元凶は未だに城内に潜んでいる。
再び不死身の魔物が現れた現状を見る限り、これ以外の考えが浮かばない。
(真相が如何にせよ、この件は早急に聖騎士長に報告する必要があるな)
そう決意したマイクが、室内を見回した瞬間、恐ろしい考えが頭をもたげた。
ー 瞬間回復ほど強力な力を持った魔女が複数いるとは考えにくい ー
マイク自身が数秒前に思った事だ。
しかし、マイクはつい先日、不死身の魔女に会っている。
《金髪の女》。ダイナの街で戦った超危険人物。
(まさか……奴がこの城内にいるのか?)
冷や汗を垂らしつつ、部屋の隅々まで目を通していく。
綺麗に片付けられた部屋の中で、足元の死体と、ベッド脇の食器皿だけが浮いていた。
床に置かれた皿を手に取り、眉をひそめる。
「これは……誰かがあの魔犬に餌やりをしたということか?」
明らかに犬が食べたと思われる肉料理。
その残りカスが皿の周囲に飛び散っていた。
(魔物に餌やりなど、一体誰が何の為に?)
普通に考えれば、この部屋の主であるエリスの仕業だが、彼女がそんな事をするとは思えない。
怪訝に思ったマイクがベッド脇に膝をついた瞬間、
ダッダッダッ!
不意に外から廊下を走る足音が聞こえてきた。
それを耳にし、咄嗟にベッド下に潜り込む。
その直後、部屋の前で足音が止まった。
続けて、部屋の入口付近から焦ったような女性の声が聞こえてくる。
「くそっ!心配になって戻ってみれば、このザマか……」
特徴的なアルトの声音に乱暴な口調。
声の主がエリスだとすぐに気づいた。
(もしかしたら、魔犬に餌をやった主か金髪の魔女が来るかと思ったが、流石にそんな上手くはいかないか……)
深々と溜息を吐いたマイクが、ベッドの下から出ようとした瞬間、不意に気になる言葉が聞こえてくる。
「また、私のせいで死者を出してしまった……私の魔力が戻るまでにあと何人死者が出るか……」
尻すぼみに小さくなる声。
その内容に思わず、耳を疑った。
(ん?聞き間違いか?……今、私の魔力と言ったように聞こえたが?)
次の言葉を聞き逃すまいと、極限まで神経を集中する。
しかし、その場で踵を鳴らしたエリスは、無言のまま部屋を出て行ってしまった。
徐々に遠ざかる足音を聞きながら、ゆっくりとベッド下から這い出る。
室内の様子は何一つ変わっていない。
「一体、何がどうなっているんだ?」
混乱する頭で呟いたマイクが、軍服に付いた埃を払い落としていると、ズボンの裾の部分に一本の髪の毛が付いているのが分かった。
手で摘み上げ、静かに見つめる。
透き通った艶のある金髪。
エリスの髪の毛だ。
《金髪の女》を彷彿とさせる。
その瞬間、何故だか一つの記憶が甦った。
『助けて!こいつは魔女よ!!!』
不死身の魔物達の主人として処刑されたミミ・キューティが叫んでいた言葉。
その恐怖に歪んだ顔をはっきりと覚えている。
『そんなもの信じるわけないだろ』
当時、マイク自身がバッサリと切って捨てた言葉だ。
薄暗い室内を見渡し、今一度呟く。
「エリスが魔女など……信じるわけないだろ……」