神の子
(ここが喫茶店・realか)
二十人以上の部下を引き連れたマイクは、閑散とした住宅街で足を止めた。
目の前の喫茶店を睨み付け、部下達に合図する。
マイクの指示を受け、全員が店の周りを包囲した。
「内部の敵は俺が一人で蹴散らす。外に逃げてきた敵はお前らが対処しろ」
「はっ!」
敬礼する部下を横目に扉に近寄る。
金のドアノブをゆっくり回すと、中からゴンゴンと何かを強く叩く音が聞こえてきた。
扉を僅かに開け、隙間から店内を覗き込む。
すると、視界に異様な光景が飛び込んで来た。
氷漬けの壁に、氷漬けの天井。
カウンター席からテーブル席まで、全てが凍り付いている。
その正面に一人の金髪女性がいた。
スラリとした体躯で、こちらに背を向けながら戸棚を叩いている。
どうやら、氷漬けの扉を開けようとしているらしい。
(これは一体どういう状況だ……?)
血塗れの床に転がる複数の死体を見たマイクは、状況を飲み込めずに眉をひそめた。
その瞬間、
カラン。カラン。
床に物が落ちる乾いた音が聞こえてくる。
直後に、
「全く。仕方がないな……」
ブツブツと何かを呟く金髪女性の声が聞こえてきた。
それに釣られてマイクが顔を上げた瞬間、
ズバッズバッ。
女性の指の動きに合わせて戸棚の扉が切断される。
その手元の空間に一瞬裂け目が入ったかと思うと、すぐに消えて無くなった。
それを見てハッとする。
(もしかして、この惨状……こいつが一人でやったのか?)
床に横たわる死体は、一つを除いて首元を鮮やかに切断されている。
「おい、そこの魔女!止まれ!」
マイクの言葉で、戸棚を漁っていた金髪女性がピタリと動きを止めた。
そのまま、ゆっくりとこちらを振り返る。
フェイスベールと頭に被った紫紺の頭巾のせいで、目元しか見えない。
真っ青なアイシャドウに、ハッキリとしたマスカラ。
まるで、小説に出てくる占い師のようだ。
(これだけの数を一人で倒したとなると相当な手練れか……まあ、俺には関係ないがな)
その姿を凝視しながら口上を述べる。
「俺の前では全てが平等だ。そこに強者も弱者もない。人呼んで《神の子》。リーン王国、第四パラディン、マイク・ピアス……ここに推参」
◇◆◇◆
(マイク……)
扉の入口に立つマイクを睨みつけたエリスは、緊張で荒く息を吐き出した。
目の前に立つ小男から途方も無いオーラがビリビリと伝わってくる。
《神の子》、マイク・ピアス。
この世で最も敵に回してはいけない男だ。
その力は人智を超え、法術の範疇に収まらない。
(奴が私の正体に気づいていない事が、唯一の救いだな……)
エリスがそう思った瞬間、
ブワリ。
店内に嫌な風が吹いた。
遅れてマイクの低い声が耳に届く。
「身体強化」
直後に彼の全身を金色の光のベールが覆った。
それに合わせて建物全体がブルブルと震える。
(なんだこれは……?)
エリス自身、これまでマイクが身体強化を使う瞬間を何度も目にしてきたが、こんな光のベールは見たことがない。
「これも魔女の目の影響なのか?」
素早く周囲を見回し、逃げ道を探すエリスの前で、
トン。
マイクが軽く地面を蹴る。
その瞬間、彼の姿がその場から掻き消えた。
まるで、瞬間移動だ。
「消し飛べ」
気付くと、目の前に右の拳を大きく振り上げたマイクがいる。
「なっ!」
驚いたエリスがガードする間も無く、渾身の右ストレートが放たれた。
ズドン。
空気が爆ぜるような音と共にマイクの拳が腹部に突き刺さる。
その余りの衝撃にエリスの足は地面から浮き上がり、体ごと背後の壁に叩きつけられた。
「ガハッ」
一面氷漬けの壁が砕け、エリスを中心に巨大なクレーターができあがる。
(は、速すぎる!?︎)
ゲホゲホと血混じりの息を吐き出したエリスは、膝から床に倒れこみそうになる体をなんとか両手で支えた。
口元の薄布が真っ赤に染まり、鉄のような匂いが鼻をつく。
「なんだ?まだ生きているのか?内臓を幾つか破壊したはずだが……しぶといな」
そんなエリスを見下ろすようにしてマイクが正面に立った。
その右手が腰の長剣に掛かるのが見える。
(ここで奴に剣を抜かせる訳にはいかない)
「……切れろ」
エリスが口の内で小さく呟くと同時に、
ズバン。
マイクの手元の空間が切断された。
しかし、
「おおっと!?︎」
それよりも一瞬早く、マイクが体の位置をずらす。
僅か数センチ横に動いただけだ。
ただ、それだけの動きで空間切断を躱す。
(何!?︎ )
驚くエリスの前でマイクが抜剣した。
「俺に回避行動を取らせたのは、お前で二人目だ。誇りに思うがいい」
直後に凄まじい速さで斬りつけてくる。
身体強化を使用したエリスがすんでの所で真横に飛び退くと、
ズパッ。
背後の壁が真っ二つに裂けた。
その影響でカウンター裏の壁全体がド派手な音を立てて崩れる。
あっという間に喫茶店が吹き抜け状態だ。
そんなこと御構い無しにマイクが、こちらを振り向いた。
その瞳の奥に一瞬殺意の炎がちらつく。
「ズレろ!」
自らの危機を悟ったエリスが後方に大きく飛び退くと同時に、
ヒュン。
目の端で銀色の閃光が煌めく。
次の瞬間、エリスの腹部が熱を帯びた。
真っ赤な鮮血が宙を舞う。
「そんな……馬鹿な……」
気付くと、へそ周りを浅く斬りつけられていた。
服が裂け、脇腹の星痣が露わになる。
(こいつ、五次元方向まで斬り裂けるのか!?︎ )
驚くエリスの眼前でマイクが右の長剣を大きく後方に引いた。
直後にその切っ先がエリスに向かって放たれる。
「終わりだ」
空気を切り裂く神速の一撃。
音すら置き去りにする刺突は、身体強化を使ったエリスの目を持ってしても捉える事は出来なかった。
ズドン。
胸元に強い衝撃があると共に、体が地面から浮き上がる。
心臓を串刺しからの宙吊りだ。
「カァ……」
その圧倒的な強さにえも言われぬ恐怖を覚える。
(ダメだ……スペックが違い過ぎる……せめて、速さだけでも追いつければ……)
絶望するエリスの耳裏でドクンドクンと血管が強く脈打った。
ー 加速しろー
耳奥で、腹の底で、頭の中で、甘い声が囁いた。
それと同時に身体中でドス黒い力が渦巻く。
ー 加速しろー
胸元の長剣を抜こうするが、手のひらに刃が食い込むばかりで、上手く力が入らない。
ー 加速しろー
「……加速……しろ……」
声にならない声でエリスが呟くと、マイクが不思議そうに首を傾げた。
絶対的強者。神の子。
その瞳を覗き込んでもう一度、弱弱しく呟く。
「加速しろぉ……」
その直後に目の奥で弾ける閃光。
身体中から真っ赤な蒸気が立ち昇る。
ー 加速しろー
確かに自分の中で魔力が膨れ上がるのを感じた。
抗いようのない欲求に支配されるように口元が勝手に動く。
「時間操作……己身加速……!」
次の瞬間、剣先に突き刺さっていたエリスの姿が一瞬で掻き消えた。