生まれ変わりについての考察
さて、姪っ子が、最近生まれ変わりに興味があるということなので、そのことについて私の考えをまとめようと思います。(いつか、伝える機会があれば、伝えようと思います)私の考えが正しいとか間違えているとか、真理なのか真理ではないのかということは、分かりません。今、私が考えている生まれ変わりについての考察です。
私は、自分の本質は、肉体にはないと思っています。本質というか、私を私と感じている部分とでも言いましょうか?心と言ってもいいと思います。魂と一言で言ってしまった方が早いかもしれません。
生まれ変わるということは、一度死んで、また新しく生まれるということだと思うのですが、私が思うに、自分の本質は死なないと思うのです。死ぬのは肉体だけ。
たとえば、死んだ母の体は、焼いてしまい、残ったのは骨だけ。それも、お墓に埋めてしまいました。でも、母の本質は残っていて、生きていた時と同じようにあると思うのです。
肉体は無いので、昔のように世話を焼いてもらうことはできません。大好きだった栗ご飯も、たけのこご飯も作ってはもらえませんが、昔と同じように、いや昔以上に、見守ってくれていると思うのです。
たまに夢に、昔と同じように肉体がある時の状態で登場してくれます。でも、夢は起きたら消えてしまいます。やはり肉体、触れる物質としての母ではないのです。
本質になった母が、その後どうなっていくのかは、分かりません。もう一度人間として生まれ変わるのか?それとも、本質の状態のまま長いこと過ごすのか…。個人的なことは分からないのですが、色々な可能性があるのではなないかと思います。
以前、あるセミナーに参加した時に、自分のメンターを選ぶというワークがあり、自分の母方の祖母を選んでいたことがありました。その時すでに祖母は亡くなっており、10年くらい経っていたと思います。そのワークでは、何か問題解決をしたいときに、そのメンターに解決方法を尋ねたりするものでした。もちろん、本当に肉体をまとった祖母が現れるわけではなく、目を閉じて、メンターと会うことをイメージするだけなのですが、それでも適切は解答を与えてくれたりするのでした。
それで、ある時、いつも通り祖母をイメージの中で呼び出したところ、「私は次に行くことになったので、これでお別れします」と言われてしまいました。そして、祖母の代わりに派手な会ったこともないような金髪美女がメンターになってくれました。それを見て、といっても自分の単なるイメージの中ですが、祖母は次のやることが決まったのだと感じました。それが、地球の人間として生まれ変わることなのか、いわゆる「あの世」で何かやるべきことがあるのか、他の惑星の生き物として生まれ変わったのかは分かりませんが…。
ちょっと自分の体験に話がそれましたが、私が言いたかったのは、本質の部分は死なないということです。なので、本質部分は生まれ変わることはないけど、肉体部分は生まれ変わるということでしょう。
世の中には自分の前世を知っているというか、覚えたままで生まれてきたり、生まれてきたときは忘れてしまっていたけれど、途中で思い出したりする人がいるようです。また、特に理由がないのに、小さいときから怖いものがある場合、その怖い思いをした原因が前世の場合もあるそうです。
それを治療するために、「退行催眠」といって過去に遡って原因を突き止めることがあるのですが、その退行催眠中に前世を思い出すこともあるようです。興味があれば、色々な本がありので、読んでみると面白いと思います。ちゃんとした証拠がある生まれ変わりについて書いてある学者の人たちの本から、証拠はないけれど、自分の前世について語っている本まで、たくさんあります。
とは言え、反論しようと思えば、何とでも言えます。何といってもこの地球上で生きたままで、誰も生まれ変わりを肉体の目を通して観察したことはないのですから…。
とすると、生まれ変わりがあるのか無いのかは、究極的には、少なくともこの肉体が動いているというか生きている間は、どちらを信じるか、信じたいかの問題になると思うのです。
ですから、もし、知り合いの人たちと意見が合わなかったとしても、それで喧嘩をする必要はないのです。信じるものが、違うだけなんだと考えればいいのです。そのうえで、さあ、どっちを選ぶかですが、私が「本質は生き続ける」を信じるのは、その方が安心できるからです。死んだら、全てが終わりなんて考えると怖いのです。それに、私の本質はこの宇宙というか全てのもの(目に見えるものから見えないものまで)作り出した存在の一部だと信じているからのです。そして、その大元の存在の一部である私が無くなっちゃうことは、できないと思うのです。
今の人生だけで終わりと考えると、どうして長生きして、お金持ちで、俗に言う成功者で人生を終える人と、生まれたばかりですぐに死んでしまう赤ちゃんがいる理由は、どうしてなんだろうかって思うじゃないですか。この差は偶然なんでしょうか?それとも、何か原因があるのでしょうか? もし、原因があるとするならば、今生だけでなくて、もっと何か別の原因があると考えるのが普通ですよね。
どうして、自分は日本という安全な国に生まれることが出来て、ボスニア等の紛争地域に生まれなかったのか?偶然なのでしょうか?その疑問に答えるためには、やはり生まれ変わりを信じるほうが、説明がしやすいからです。
でないと、そもそも、この宇宙はどうしてこういう風になっているのでしょう?どうして人間が存在しているのでしょう?どうして、人間には個性があるのでしょう?大きな石の塊のようなものがポンっと一つ浮かんでいる空間が、宇宙でもいいわけですよね。
でも、この宇宙は様々なものがある。それは、様々なものがある方が、都合がいいからあるんじゃないかと思うんです。それで、様々なものがあると都合がいいことって何かなって考えると、比べることができるからじゃないかなって思うんです。もしくは違いを経験すること。お腹が痛いときとお腹が痛くない時があるから、その違いが判るように、日本とボスニアの違いを経験しているんじゃないかと思うんです。
つまり、色々経験するために宇宙がヴァラエティに富んでいるのならば、そうさせたいと思っている大元の存在があるはずなんです。で、じゃあ、人間の本質というか魂は、どうして存在させられたのか…。言い換えると、大元の存在はどうして宇宙をつくったのかという疑問に行きつくわけなんです。これも、真理かどうかはわからないけど、私はこう思っているって話ですが、先ほどの色々経験するためにっていうのがポイントなんだと思います。
もし、自分が生まれて、気づいたらたった一人で、何もない部屋の中にいたとしましょう。親も兄弟も友達もいないので、親に甘えさせてもらったり、兄弟や友達と遊ぶ経験もできません。もちろん親や兄弟、友達もいないから、その人たちとの喧嘩も経験しなくて済みます。そうなったらどうでしょう?あまりにも今の自分の人生とかけ離れているので、想像するのが難しいですね。それでも考えてみると、ツマラナイというか、退屈なんじゃないかと思うんです。
もし、今日風邪をひいて、学校を休んで、親も出かけてて、家で一人で寝ているとしても、昨日までの経験があるので、それを思い出して、嬉しくなったり、悲しくなったりすることができますが、それもできないのです。部屋にも何も存在しないので、何かを見ていることもできないのです。つまらないですよね。大元も同じ状態だったんじゃないかと思うんです。
一人じゃ経験できないので、分身を作ったんじゃないかって思うんです。でも、本当の意味で分離したんじゃなくて、分離したフリです。だって、もし分離したら、大元も人間の姿にならないと経験できないですよね。大元がいても、誰も話かけてくれないし、作ったのを見ているだけになってしまう。だから、全てを経験できるように、分離したフリだけで、本当は、くっついている状態を作り出した。さすが大元は天才です。そして、人間どころか宇宙に存在する全てを体験できるようにしたんだと思います。
だから、魂は大元とくっついている部分があるんだと思います。そして、大元の経験したいという遊びが終わったら、また、一つの存在に戻るんだと思います。遊びのための部分として魂を作ったのなら、魂に色々な経験をしてもらいたい。そして、一番経験して欲しいのは、自分とは何かを知るという経験なんだと思います。
では、大元とは何でしょう?これも、私の考えの域を出ませんが、私が思うに愛なんだと思います。「愛」という言葉は難しいかもしれません。一つの言葉にたくさんの意味がある言葉がありますが、この「愛」という言葉もその一つです。ここで私が使っている「愛」に一番近いのは、思いやりでしょうか…? それが、大元の性質で、それを自分で体験したいがために多くの魂を作って、自作自演で遊んでいるのが、宇宙の本当の姿なのではないかと思うのです。
そう考えていくと、運って何でしょうね。あの人は運が良いとか悪いとか。宝くじに当たったら運が良いとか。色々言われていますが、本当のところどうなんでしょう。私は、自分は何だろうという思いが昔からあったので、占いも好きでした。それで、勉強しました。タロットというカードで占う方法は、わざわざ学校にまで通って勉強したぐらいです。でも、タロットよりも興味があったのは、占星術でした。
生まれた時と場所は、私にとって偶然なのか必然なのか分からないけど、それによって私を運命づける何があるのか? それが分かれば、それに基づいて生きていこうって思っていました。多分。何が自分に向いているか分かれば、それをやって、この世を楽々生きていこうと思っていたんでしょうね。結局、そういう風に進みませんでしたが…。
勉強してみて分かったことは、運の良し悪しは、分からないってことです。あの人は運が良いねって大多数の人が言っていることが、真理ではないってことです。占いで分かるのは、その人の持っている個性だけです。その個性を良い方に使うのか、悪い方に使うのかは自由意思にゆだねられています。そして、占いで運が良いと書かれている場合は、その占いの本が書かれた国や時代の常識(宇宙の真理ではなく、あくまで人間が決めた価値判断)の中で、良いと思われている状態になりやすい個性の持ち主のことを「運が良い」と書かれています。
女性は外で働いてバリバリ仕事をするよりも、家のことだけできる方が幸せと思われている国や時代では、自分の能力を活かして仕事をする能力のある個性を持っている女性は、運が悪いとなるでしょう。でも、女性も自分の能力を活かして活躍する方が幸せだと思われている国や時代では、運の良い個性の持ち主だということになるのです。またまた脱線したので、元に戻しますが、そのように人間は色々な個性があって、どれが良いとか悪いとかなく、違いがあることが大切だってことです。それによって色々な経験をすることが出来る。その経験の中で、愛の経験をするために生まれてきたってことなんだと思います。
だから、私というものは、死なないとはいえ、嫌な人生だったら自殺してもいいのかというと、そういうわけでもない。自殺は逃げになるのだから、しっかり体験しようと思ったことが経験できないまま終わっちゃったのだから、続きからやるしかない。もちろん、生まれ変わった時に、全く同じ続きをやることはできないけど、魂レベルで同じ経験をすることになるのだと思う。
イジメが辛くて自殺しても、本当はそこで、自分の伝えたいことをきちんと伝えることで、いじめ問題を解決するべきなのに、それをやらずに逃げてしまえば、同じようにまた、伝えなければいけない状況に追いやられると思います。朝起きると、また前の日だったみたいな感じでしょうか。それを延々と繰り返すと分かっていながら、その状態を続ける方が厳しいと思います。
この世に生まれる時に大方の人間は前世の記憶とかすっかり忘れて生まれることができるので、自分が同じ課題をやるループにはまっていることにも気づかないでいられるので、半狂乱にならなくて済むのかもしれませんね。
とはいえ、今生だけでも、本質的には同じ問題が違う所で勃発することは多いです。宿題を先延ばしにするのを止めたいけど、やめられない。手伝いを頼まれて、直ぐにやった方がいいと思うけど、先延ばしにしてしまう。
好きな人ができたけど、告白するのを先延ばしにしていたら、自分の親友からデートに誘われて、二人で出かけてしまった。こんな風に、違う問題に見えながら、本質的なところは同じことが起こります。これは、まだ解決していないよっていうことのサインなんだと思います。
そう言われると、宇宙の大元は意地悪な存在だなと思ってしまいそうですが、大元と自分は、元々一つの存在なのですから、自分が望んでいることだとも言えるのです。ええ!こんな嫌なこと望んでないよ!と、思うかもしれませんが、それは、魂レベルの私ではなく、今生の私の意識だけが思っていることなのです。
魂の部分は、これを乗り切ることに真の喜びがあることが分かっているのです。色々な課題を乗り切った人を、「悟った人」と呼びますが、彼らは日本の21世紀に幸せだと思われている状態、つまり、お金持ちで、健康で、長生きで、美しかったりカッコよかったりして、配偶者も子供もいて、宝くじを買ったら3億当たってなんてことはありません。
もしかしたら、俗に幸せと言われる条件の一つか二つくらいなら当てはまるかもしれませんが、全てを手に入れているわけではありません。それでも、彼らは他人が大変な状況だと考えることが、大変だと思っていないのです。私はもちろん悟っていないので、どういう心の状態なのか実際の経験はしていないのですが、幸せというか、もしかしたら、幸せという言葉が当てはまらないかもしれないのですが、心が穏やかで満ち足りている感じになるためには、何かを達成している必要がないんだと思うんです。
だから、今この瞬間、自分の主観で幸せを感じることができるし、それこそが、大元の願いなのかなって思うんです。それを色んな状態で体験するために生まれ変わりが起こるんじゃないかなと思うんです。そう考えると、他人の幸せと自分の幸せを比べるとか出来ないし、ましてや、幸せは心で感じるものだから、心の目盛りがないから、そもそも比べることができないはずなんです。そんな出来ないことに全力出しているよりも、自分に集中した方がなんぼかいいのではないかと思うんです。