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蒼の夜明け

作者: RAMネコ

──まずいまずいまずい!


 何がまずいかって後がなかった。

 試験は間近だ。

 予習はした。

 復習もした。

 だが──不安だ!

 心が押しつぶされそうだった。

 1G環境下だったならこういうとき、「足が重くなる」のだろう。

 だが重力は6分の1だ。

 月面では重くなるだけの重量はなかった。

 質量は変わらないが、地球で72kgなら月で12kgだ。

 地球あがりの新入生はそのことを忘れがちで、走って事故がおこりがち。

 新学期の名物だ。

 八島城は新入生と違い、低重力慣れした上級生だ。

 地球軌道艦隊付付属高等学校の二期生。

 一期生の重力事故が名物であるように、二期生にも名物があった。

 それこそが、八島城の頭を悩ませ、数値にあらわれない重さを生む正体。

 二期生には、月軌道を利用しての、模擬訓練が課される。

 訓練艦を自分の手で操り、考え、大戦相手を打ち負かすのだ。

 無論、実戦本物の機動爆雷や赤外線レーザを撃ち合うわけではなかった。

 訓練艦は、実際に月軌道を周回させる。

 しかし兵器の運用は、電界内の仮想空間だけの話だ。

 だがしかしこれは──テストだ。

 相応しい実力に成長しているかを確認するための、あるいは生徒をふるいにかけるためのものといってよかった。

 能力に不足があるものは切り捨てられた。

 八島城の成績成果は、ふるうザルの網からすり抜けそうなくらい小粒だ。

 つまり、切り捨てられそうだった。

 そうならないためには、実力を証明する必要があった。

 模擬訓練での勝利だ。

 月軌道上で、模擬空間で対戦相手を倒し、勝利判定をもらうことだ。

 ただ、一つだけ、大きな問題があった。

 試験が『今日』であることだ。

 月面マスドライバの振動が消え、周回軌道へ乗りつつあった。

 対戦相手の情報は完全に秘匿されたまま、正反対のマスドライバから射出されたはずだ。

 八島城には二つの選択しがあった。

 減速して敵を後方から迎えるか、増速して敵の背後を突くか。

 読み合いがあいこであればレースだ。

 相対速度差を利用した運動エネルギ兵器は、あまり効果的に、使えないことはないが、使い難い。

 相対速度はほぼ同じだ。

 今からの加速では、速度も稼ぎづらいし、推進剤の消費も無視できないのだ。

 地球より遥かに重力の弱い月では、重力加速もあまり、地球ほどには望めない。

 となれば有用と考えられるのは、高加速度のだせるRCガン──ロケット・コイル・ガン──、赤外線レーザの二択か。

 RCガンは運動エネルギ。

 赤外線レーザは熱エネルギ。

 運動エネルギの対処法としては、推進剤噴射のクッション、運動ベクトルを合わせた加速で衝突エネルギを減らす、レーザの迎撃がある。

 レーザに対しては、プラズマシールドを展開して熱を拡散吸収する。

 レーザとプラズマシールドは同時に使えない。

 プラズマシールド展開中はレーダにかからない。

 電磁波をプラズマが吸収するからだ。

 レーザとプラズマシールドは同時に使えない。

 頭に叩き込んでいる、八島城の知識だ。

 定石は、周回速度限界まで減速したデブリのスクリーンに相手を突っ込まませることだ。

 後ろへの攻撃を考えて、RCガンを撃つのは容易い。


(さぁ、どうする)


 八島城は『何かする』のではなく、『何も知らせない』ことに注力した。

 追いかけっこだ。

 時間はたっぷりある。

 待つのは、八島城の得意とすることだ。

 じっと待ち続けることに耐えられるものは少ないということを、八島城は知っていた。

 のんびりと待つ。

 それだけのことが、とても難しいのだ。

 だが、


「負けられない」


 冷めた心に、熱い灯火があった。

 それは小さく、それは揺らぐが、けっして消えることがない。

 宇宙なんて。

 重力底にいられなくなった連中の吹き溜まりだ。

 まっとうな人間がおとずれる場所ではない。

 誰が好き好んで、壁一枚の死の世界に住むというのか。

 重力、空気、放射線。

 危険で満ちた世界だ。

 人間の体は宇宙に適応していない。

 しかし。

 それでも、そんな世界にしか居場所のない、哀れな連中がいるのも事実。

 八島城もその一人だ。

 重力底にいられなかった。

 だからもう、あるいはまた、失えない。


──ビィィィプ!

──ビィィィプ!

──ビィィィプ!

 

 その時である。

 センサが警報を発した。

 引っ掛けたセンサは、全天式複合光学センサ。

 船体から突き出す二本の、ロブスターかエビの眼のような受光センサだ。

 全天式複合光学センサは、全天に存在する天体の光源を遮る『影』を見つけ出し、AIが自動照合にかけ判別する。

 見つけ出したのは、『正面上方』から緩やかな重力加速を続ける、『接近する二つの影』だ。

 相対速度10km/sオーバ!

 月周回速度で相対するには、ありえない速度で二つの影は突っ込んでくる。

 

 AI判定・小直径運動エネルギ爆雷。


 大量のデブリ散塊で押し包むのではなく、軌道制御スラスタを断続的に噴かし自己誘導する、スマート爆雷だ。

 センサは、爆雷がスラスタから推進剤を撒き散らすのをとらえた。

 補足されていた。


「緊急加速!」


 叫び、八島城は艦を加速させた。

 推進剤が高熱の尾を引く。

 秘匿せいなんてものは捨てていた。

 それは反射的な判断。

 小直径運動エネルギ爆雷二発との相対。

 相対速度・高。

 小直径運動エネルギ爆雷に自己を加速する術はなく、あるのは自己誘導のためのスラスタ群だけ。

 熱および電波兵装は、プラズマシールドで遮蔽されている。

 少なくともこれらの誘導装置で直撃コースはとられないはずだ。

 小直径運動エネルギ爆雷の誘導装置は、月をスクリーンとした、光学式だ。

 加速。

 小直径運動エネルギ爆雷に軌道修正を強要し、推進剤ぎれを狙っていた。

 よく見られていた。

 残せば、スリープモードで潜伏される。

 引きつけ、修正不可能のまま小直径運動エネルギ爆雷を月面に落とす。

 相手の股の間をくぐり抜けるのだ。


「……」


 あたらない。

 あたりっこない、と八島城は信じた。

 直撃すれば敗北だ。

 八島城はあたらないという前提で、計算AIに軌道要素を放り込む。

 小直径運動エネルギ爆雷は、ミサイルと違う。

 自ら加速して、気圏戦闘機を追い越して直撃するようなことはできない。

 大筋において、投射した艦の軌道によるものだ。

 二発の小直径運動エネルギ爆雷は、月面地表へと衝突していた。

 回避に成功だ。

 計算の結果、その二発は、月に対して大きな楕円軌道を描いていた。

 ラグビーボールと似た輪郭だ。


(なるほど読めた)


 敵艦はおそらく、リニアカタパルトの射出と同時に加速、月面に沿う経済周回軌道をそれて高度に変えたのだ。

 減速と180°ターンをおこなうだけの余裕を高度として保存するために。

 降下を始めれば、月の重力で再加速可能だ。

 加速よりも難しいのはむしろ減速。

 月面を周回する時間に差が生まれたのは確かだ。

 尻からの追いかけっこではない。

 トーナメント。

 正面からの一騎打ち。


(何と豪快で大胆!)


 八島城は内心、、まだ見ぬ対戦相手に拍手していた。

 豪快で派手な戦い方。

 対戦相手は自身の腕に、よほどの自信があるらしい。

 小直径運動エネルギ爆雷は、二発ごとき投射したところで弾切れにはほど遠い。

 まだ、何度も正面から挑んでくる。

 いやっ!

 やるという確信が八島城にあった。


「ふぅ……」


 とにもかくにも。

 相手の第一撃はしのげた。

 あるいは手加減されたか、様子見か。

 回避のために加速したせいで、月周回軌道がやや伸びている。

 

「まずいかな」


 上を取られている形だ。

 宇宙戦において、上をとるという行為にあまり意味はないと考えられがちだ。

 しかし八島城は今、二つの不利に晒されていた。

 一つ、月を腹にした軌道をとっていることで、上面から、光学的に極めて目立っている。

 太陽光を反射する月はとても明るく、通過するものをくっきりと浮かべあげるのだ。

 二つ目は、一つ目の真逆。

 月を背にしていることだ。

 つまり、八島城は相手艦を宇宙のスクリーンの中から見つける必要がある。

 光学センサが対等であれば、宇宙と月、どちらを背景にしているほうが有利かは明白だ。

 ならば、同高度に上昇するか?

 現実的ではない。

 リニアレールガンからの投射初期と違って、すでに月の周回軌道にのっているのだ。

 訓練船の推進剤は、いかに低重力の月といえど、贅沢に消費できるほどの量は積んでいない。

 とはいえ今のままでは、キャンバスの上にたれた赤い絵の具だ。

 どうあがいても先に発見される。

 それを避けるためには、月面スクリーンから離れることだ。

 八島城は悩む。

 相手艦の未来予測軌道と、自艦の軌道を何度も再計算して重ね合わせた。

 月を挟んでの一騎打ちのシミュレーションだ。

 しかしどれも相手艦に先手を打たれる。

 早期発見からの早期攻撃。

 先手を打たれるのは致命的だ。

 先手をとられるとは、相手を数秒でもこちらの対応より速いということ。

 後手で撃ったところで、その前に撃破される。

 幸運が重なれば、見つからない可能性もなくはないが、八島城は初っ端から幸運という変動要素は計算から除外した。

 どうする。

 次の対峙まで時間は少ない。

 月は小さく、八島城は決断しなければならない。

 タイムリミットはせまった。

 良くも悪くも、八島城は決断しなければならない。


(飽和投射で勝負するか?)


 相手艦に合わせての全力投射。

 軌道予測が正しければ、あたらないこともないかもしれない。

 ……はずだ。

 一撃に──かけるのか。


「地球、か」


 運に任せているようでは敗北する。

 八島城は地球出身だ。

 送還されたあとのことを考え、吐き気がした。


 地球。

 地球。

 地球。


 アオクウツクシイチキュウ。


 ……。


(ん?)


 八島城は、ふと、不思議に思う。

 月は、地球の衛星だ。

 蒼く、ぐねぐねとした雲の惑星は身近だ。

 夜の面は暗いが、昼の面は──明るい。

 こちらとあちらの軌道を再計算。

 すると、短時間の加速で、太陽を背に、相手の艦を地球の昼面にだせることを見つけた。

 強力な太陽光と太陽風の源を背に隠れれば、それを見つけるのは極めて困難。

 上手くいけそうだ。

 月にこだわりすぎず、恒星と惑星を利用できれば……。

 ただ一つ、問題があった。

 短時間の加速といっても、メインブースタ、姿勢制御スラスタのほとんどを限界加速させての、短時間ということだ。

 それは、残る推進剤のほとんどを消費することを意味していた。

 しくじれば、月の外へと飛び出すことはないにしても、ゆっくりと月の重力に引かれ落ちていくことしかできなくなってしまう。

 賭けだ。

 しかし軌道合わせに時間をかければ、相手にも悟られてしまう。

 センサのAI処理速度を上げるために、サーチエリアを制限。

 顔を覗かせる地球に限定した。

 一手を打つ速さと正確さが、勝敗をわけるだろう。

 八島城は0.1秒でも制するために、オートマチック化のためのパラメータを入力した。

 そう複雑なものではない。

 軌道要素を相手艦の未来予測軌道線、発見と同時に全火器全力投射をAIに一任するだけだ。

 準備と許可は人工知性に与えた。

 実行は機械のほうが、人間の神経ネットワーク経由よりもずっと速い。

 悲観的に準備し、楽観的にことへ挑む。

 考えても仕方があるまい。

 考えたところで、やることは決めっているからだ。

 ならば簡単なことであろう。


──そして。

 

 月に、蒼い夜明けがおとずれた。






「少し寒いな」


 八島城は頬を突く風に寒さを感じた。

 あたり前か。

 そこは、施設全体が空調管理された月とは、違うのだから。

 乾いた、『地球』の風だ。

 月から降ろされた。

 月の定期シャトルに乗り、地球の軌道エレベータで重力底の地上へ。

 背負うバックには、荷物あ詰めてある。

 つまりは追い出されたわけだ。

 最後のチャンスを、八島城は掴めなかったのだ。

 月軌道での模擬戦に敗北。

 負けたのだ。

 評定はでた。

 だからこそ地上へ戻された。


「……」


 地球は、妙に体が重く感じた。

 1G環境は随分と久しぶりだった。

 気怠い重しが体にのっていた。

 模擬戦の一撃。

 地球を背後にした対戦相手を狙う瞬間は、対戦相手に見抜かれていたのだ。

 倒される瞬間。

 負ける瞬間。

 それはとてもあっさりとしたものであり、ほんの一瞬のことだった。

 仮想空間上では、八島城の艦は、二発の小直径運動エネルギ弾の直撃を喰らい、船体が三つにへし折られ大破。

 当然、八島城は死亡判定だ。

 だがどういうことか不思議と、やれた瞬間の絶望というものはなかった。

 負けた。

 相手が上手であった。

 八島城に、地球の底に落とされた絶望感はなかった。

 なぜならば、八島城は博打をしないのだ。


「さて、と」


 もう次は考えていた。

 人間は生きているだけで腹が減る。

 いつまでも立ち止まってはいられないのだ。


──だから。


 生き方は一つではないと、信じて。

 流れる涙を振り切った。

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