痴話げんかの裏側
「はあ!? なんでよ! なんでわかってくれないの!」
「お前こそ頭硬いよな! そうやって融通利かないから彼氏だって出来ないんだよ!」
「かっちーん。もうあったまきた!」
「あったまった?」
「頭に来たって言ってるの! なんでこんな奴と幼馴染なのかな……!」
「そりゃこっちの台詞だ!」
「何よ! このもやし男が!」
「もやしナメてんじゃねぇ!」
ガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミ。
よくやるもんだ。感心するわ本当に。弘樹も和沙も飽きないのかね。
教室の前方の扉の近く。怒鳴りあう二人を見て、俺はこめかみをぐりぐりと押す。
放課後とはいえ、まだ多くの生徒が残っている。目を廊下に向けると、大声を聞きつけて駆け付けた担任の先生が「あ、なんだあの二人か」と呟いて、去っていくのが見えた。「お忙しいところ、俺の幼馴染共がご迷惑をお掛けしております」と内心で謝罪する。ちょっとは静かにできんのか、こいつらは。
『黙れ~痴話げんかなら他所でやれ~』と睨み付けながら、二人に……特に男である弘樹に集中して念を送る。しかし、お互いのことで頭いっぱいになっている奴らに、俺の念力は届かなかった。なるほど、これがバカップルお得意の『二人の世界』という奴か。こりゃ確かにどうしようもないわ。
「やっぱり弘樹くんと和沙ちゃんだったんだ。今日も喧嘩してるの?」
後ろから鼻にかかった甘い声がかかる。振り返ると、時代を逆行するようなおかっぱ頭と眼鏡が目に飛び込んできた。
眼鏡の奥、目じりが下がっていて、彼女のおっとりとした性格を表していた。「昭和の世界からタイムスリップしてきました」と言われても、信じられそうな気がする。それほどまでに時代に抗う女子は、この学校で一人しかいない。俺、弘樹、和沙の幼馴染メンバーに高校から加わった友人。
「古居か」
「やっほー、新ちゃん。いやぁ今日もすごいね、あの二人。うちのクラスにまで響いてたよ」
「マジか」
俺たちのクラスは一組で校舎二階の一番左、古居のクラスは六組で二階の一番右。すなわちこの二人の痴話喧嘩の声は、校舎二階の全体に響き渡っているわけだ。
「うちのもんが迷惑かけちゃってすまん」
俺がうなだれながらそう言うと、なにそれ? 何処のヤクザ? と古居はくすくすと笑う。
「三年間もこの喧嘩を聞いてたら、流石に慣れたけどね。今日は止めに入らないの?」
「止めに入らん」
「どうして?」
「疲れた」
「そっかーおつかれ」
古居が、優しく俺の肩をぽんぽんと叩いてくれる。そのおっとりとした雰囲気も相まって、本当に癒される。あの尖ってる奴らに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいだ。煎じ方知らないけど。
「でも置いて帰ることはしないんだね」
「いや、本当は置いて帰りたいんだけど……」
俺は首を動かしてクラス全体を見回す。まだ残っているクラスメート全員がそっぽを向いたり、この大音量の中で無理やり話をしたり、なにかノートに書き写したりなどしていたが、時々、ちらりと俺を盗み見ていた。
これ、あれだ。『うるさいけど、止めに入って巻き込まれたくないなぁ。おい新多、早く処理しろよ』ということだ。しかもクラスメート全員どころから廊下に立っている他のクラスの奴らまでこちらを盗み見ている。
いや、もうね。解放してよ、俺のこと。中三の九月に言うことじゃないかもしれないけど。そろそろ輪番制にしないですか?
「痴話げんか仲裁係とかいたらいいんじゃない?」
「そんな生物係みたいな感じで言われても……」
「いやもう生物係がやればいいんじゃね? あいつら猿みたいなもんだろ」
「新ちゃん毒舌! 弘樹と和沙は友達でしょ! 友達だよね!?」
「……」
「黙るのが一番駄目!」
嘘嘘と手をひらひらさせて笑う。古居は頬を膨らませてぷりぷりと怒っていたが、「まったくもう」と呟いて、息を吐いた。珍しく真剣な顔つきになって、二人を眺める。
「喧嘩するほど仲がいいっていうのは本当だね。喧嘩できるほどお互いの気持ちを見せ合っているんだもんね」
「そうだな」
「新ちゃんも、私と喧嘩……してみない?」
「嫌だよ、めんどいし」
「………………………………………………………………もういい」
「はあ……。え? なんで怒ってんの?」
「知らない。あの二人のところ行ってくる」
言い終わるや否や、古居は喧嘩している二人の下へ駆け出して行った。その頬がとても赤かったような気がして、相当怒らせてしまったと脳が危険信号を発生する。
しかし理由が分からない。古居はなぜあんなに怒ったのだろう。今の会話の中に彼女の導火線に火をつけるところがあっただろうが。ああ、もうめんどくさいこといっぱいで本当に嫌になるなぁ!
ついでに、聞き耳を立てていたクラスの奴らが「鈍感だ」「本当にいるんだ、ああいう人!」などよくわからない驚きを伝えてくる。
「あーもう、しょうがないな!」
頭をがりがりがりと掻き毟り(未来の俺、剥げてたらすまぬ)、立ち上がる。
近づいていき、改めて会話を伺うと、喧嘩はもう最終段階に差し掛かったようだった。案の定、古居は二人の前で右往左往しているだけで、仲裁に入れたわけではないらしい。俺が古居の横に立つと、弘樹と和沙は顔を突き合わせる。
「新ちゃんが来たから、今日はこの辺で勘弁しといてあげる」
「なんだよ逃げんのか?」
弘樹、煽るな。
「違う! ここじゃ人が多いからうまくやれないだけ! 行こう古ちゃん!」
「うん、そうだね! こんな人たち放っておこう!」
女子二人組は手をつなぎ、荒々しく扉を開けた。振り返り、二人そろってあっかんべーという、子供のような牽制をして、扉を勢いよく閉める。
残されたのは、喧嘩の仲裁に入るはずが、何故か渦中の人間にされてしまった俺と、未だにイライラし続けている弘樹だった。お手上げだといった感じで、左手で目を覆う。
「今回の喧嘩の理由、聞いてもいいか?」
「目玉焼きにソースをかけるか塩をかけるか」
溜息。心底どうでもよかった。
「ちなみに新多は?」
「マヨネーズ」
「……」
――この手の話は決着が着かないことが多いぞ、弘樹。
と、その時、勢いよく扉が開いて、再び和沙が顔を出した。まだこちらも怒りが収まっていないのか、顔を歪めながら、弘樹を睨み付けている。息を大きく吸い込んだ。どんな罵声を浴びせるつもりだ、と何故か俺が身構える。
「晩御飯!」
「食う!」
「ちっ」
再び勢いよく閉められる扉。
そうか。二人とも両親共働きで、家に帰ってくるの遅いから、二人で晩飯食ってるんだった。それにしても、LINEがあるんだからそれで確認すればいいのに。わざわざ聞きに来るなんて……。わかっていたことだけど、和沙は弘樹のこと、大切に思っているんだな。人は大切な人だからこそ、喧嘩するのかもしれない。
そこでようやく古居がなぜ怒ったのか繋がった。
なるほど、そういうことか。痴話げんかの裏側って、暖かいんだ。
「なんか、そういうのいいな」
弘樹はさっきの怒りに震えた表情はどこへやら、急に眼を真ん丸にして、俺を凝視する。
「珍し。なにニヤニヤしてんの?」
――明日がちょっとだけ楽しみになったから……かな?
ラブコメでよくある、主人公とヒロインの口喧嘩みたいなのが書きたかったん。
それだけなのん。