心と身体 外伝 婚約へ
本作の前に短編作品「はじまり」を読まれることをお奨めします。
私は自分が人形と呼ばれている事を知っている。
その見目のせいだけではなく、感情をあまり表に出さず、愛想がなく、そして教養科目を一通り淡々とこなしていく姿がまるで動く人形のようと。
その話を特に否定するつもりもない。
別に殊更拒むつもりもないけれど、家にとって利のない相手をわざわざこちらから相手にする必要は感じない。
向こうから近づいてこないのはむしろ望むところ。
そうしていると周囲の人達は徐々に私を遠巻きにするようになり、いつしか氷の人形と呼ばれるようになっていた。
私は人形で構わない。
愛嬌でもって高く売り込むことを教育されている妹と違い、能力でもって高く売り込むことを教育されてきた私。
私はそのように育てられたのだ。
物心ついた頃から有利な縁談を得ることを最優先とされ、習い事は出来て当然、出来なければ恥と教えられた。
礼儀作法、ダンス、詩歌や絵画、編み物、縫い物、刺繍等の嗜みは当然。
どの国にも嫁げるようにと、周辺各国の歴史や言語の読み書きは勿論、商人にも嫁げるようにと算術や、その他おおよその教養範囲は一通り学園に入る前に叩き込まれた。
そして相手に希望を持たないことも…
私は家の利になるならどのような相手でも嫁ぐ…
能力を活かして夫の為になり、有利な立場を確立し、我がレーヴェンタール家に恩恵をもたらさなければならない。
それが私に課せられた義務。
そんな道具として育てられたのだ。
数少ない友人は言う、エリーゼは凄いと。
どうしてそれだけ出来るのかと問われ、幼い頃の話をするとそれはエリーゼだから出来たのだと。
そんなことはないと謙遜しつつ、心に小さな痛みが刺す。
それが何かは解らないけれども…
そんな私に婚約の話が舞い込んできた。
ヨーゼンヌ侯爵夫人から頂いたお話らしい。
大恩ある侯爵夫人の推薦に加え、婚姻の見返りもお相手の能力も高い願ってもないお話。
お父様に喜ばしい結果を報告できるよう、間違いの無いように立ち回らなくては…
婚約前の初顔合わせの日…
当方側の仲人に連れられ指定された場所へと赴くと、既に私のお相手とされる、金髪に青い瞳、長身で細面な優しそうな微笑みをした美丈夫がそこに居た。
第一印象は、格好良い人だと思った。
社交界で名を上げるには、それなりに見目も重要になってくる。
それに、少なくとも第一印象から嫌悪感を抱くことが無いという事は、私個人としても好みのタイプと言っていいのだと思う。
そう思っていると私を見たその人は少し目をしかめさせたようだった。
ああ、この人もですか…特に感慨も無く、ただそう思った。
私の通う学園の卒業生だというこの人は、私の人形という話をどこからか耳にしているのかもしれない。
それならそれで説明不要で手間が省ける。
けれど、その次の瞬間、私を見るその瞳が優しいものへと変化した。
え?なに?
その反応に戸惑っていると、彼が口を開いた。
「初めまして、エリーゼ・レーヴェンタール嬢。リーンハルト・アーベラインと申します。貴女の瞳に見惚れて、つい見つめてしまいました。何卒ご容赦下さい」
…と、そして頭を下げた。
え?あ、あの、見惚れ? え?え!?
「あ…あの、いえ、こちらこそ…いえ、あ、あの、わ…わたくし、レーヴェンタール家が長女、エリーゼと申します。この度の婚約の申し入れ誠に有り難く存じます」
慌ててカーテシーで返答する。
立会人から即される前に自ら名乗り合うなんて前代未聞だ…
しかも、自己紹介も滅茶苦茶…なんてこと…
慌てて互いの仲人がそれぞれの紹介を始めた。
それ自体は予め聞いていた範囲から大きく外れたものは無い。
当家が受けることになる利も、この人の立場も聞いていたとおりだ。
そのうちに落ち着いて話も弾んでくる。
頭の良い人だなと思った。
話題も多くて、とても話しやすい。
そして、常に和やかな雰囲気を漂わせ、優しい微笑みを絶やさず私をしっかりと見て話してくれる。
仲人に子供の話を出されて二人で赤くなってうつむいてしまい、話が途切れた時以外は…
妹と違ってそちらの教育は受けてないのです…仕方ないでしょう。
しばらく歓談を行った後、立会人からしばらく二人だけでお話ししてみると良いと提案され、それぞれの仲人を連れ席を外された。
そこで他人の居る場では聞きにくかった事を聞いてみた。
「貴方はわたくしの噂はご存じなのですか?」
と…
「氷の人形…ですか?学園には知った者も居りますから、そういうお噂は耳に」
「そうですか」
やはりご存じ。
「ですが、貴女はそのようなものではない」
「え?」
予想外の返答と断言に少し戸惑う。
「貴女の瞳は綺麗で優しく強く、それでいて何か悲しみを抱えているように私には見える… 失礼を承知で言わせて頂きたい。それが何なのかを私は知りたいのです。聞かせて頂けませんか、貴女のこれまでを」
悲しみ?私に?そのようなこと、今まで誰にも言われたことは無いし、私も思っていない事…
それでも真剣な彼の瞳に真っ正面から見つめられると何故か心の中まで見透かされているようで、私は少しずつこれまで育った環境を話し始めていた。
家のこと、学園のこと、私の役目、その為に私が受けた教育のこと…
これらは政略結婚の相手に話すには相応しい内容とは言えない。
むしろタブーな内容が余りに多い。
それでもこの人に聞いて欲しくて、一つ一つゆっくりと話す私の言葉を彼はずっと黙って聞いてくれていた。
「…これが、私なのです。もしご不快なら…」
ここで次に続く言葉を言いよどんだ私に、彼はたった一言だけ言ってくれた。
「よく頑張ったな」
そして、優しく微笑みながら私の肩をぽんと優しく叩いてくれたのだった。
頑張った…
その言葉が私の心にすとんと落ちてくる。
そうか…私は…頑張ったんだ…
誰かに私を認めて欲しくて…
私自身を見て欲しくて… いっぱい…頑張ったんだ…
心の奥底に届いたその言葉は、溢れる想いとなって込みあげてきた。
私、頑張ったよね。
そしてそれは瞳から溢れる大粒の涙と化して…私は初めて声をあげて泣いたのだった。
どれだけの間、泣いただろう…
気付くと彼に手を握られていた。
ひょっとして泣いている間中、ずっと手を握られていた?
「あの…手………ありがとう…ございます…」
それに気付いた私は、頬を赤く染めたまま顔を上げ彼の顔を見た。
すると、彼は優しい瞳で私を見つめながらこう言ってくれた。
「私の… いや、俺の妻になってくれるか? アーベラインではなく俺の妻に。 レーヴェンタールとしてではなく、エリーゼとして俺の妻に」
もう、その問いへの私の答えは決まっていた。
「はい、喜んで。 わたくしをあなたの妻にしてください」
『夫の為に』
それが義務ではなく、望みへと変わった瞬間。
本編1000ユニークアクセスどうもありがとうございました。
引き続きよろしく御願い致します。
7/22 エリーゼへの呼称が貴方となっていた箇所を貴女に修正