8.手のかかるお姉さん
ひとつ思いついたので準備をしていると、部屋の扉がノックされた。呪文書に夢中のポーリンさんは自分のベッドに腰掛けたまま反応しない。気付いてないわけはないが、私がいるから大丈夫だと思ってるんだろうなあ。
「はい?」
「おくつろぎのところ失礼いたします。領主代行の侍女でございますが、入ってもよろしいでしょうか?」
私が返事すると丁寧な女性の声が返ってきた。私はベッドから立ち上がるとポーリンさんの手から呪文書を取り上げた。
「ちょ、リュナちゃん?」
「どんな方かわからないんですからとりあえず丁寧に応対しておいた方が良いですよ。助けてもらった身なんだし。――はい、今開けますね」
文句を言ってくる彼女を小声でなだめて立たせる。
「失礼いたします」
私がドアを開けると、シンプルなドレスを着た女性が立っていた。後ろに騎士団の制服を着た男の子が、大きな布包みを抱えて続いている。
「お邪魔いたします。着替えをお持ちしましたわ」
私は荷物が無事だったので着替えもあるが、他の人はほぼ着の身着のままということで、全員に着るものを支給するなり貸すなりするようにと、ヴィオーラ様のご指示らしい。私が借りていたのと同じ作業服的なもの……シンプルなシャツと膝までのズボンに上着、の一揃いがポーリンさんに渡された。私は自分のものがあるからとそれは遠慮して、借りた服をお返しする。お洗濯は無理でもせめてブラシくらいはかけたいんだけど、ブラシすら持ってねえ! っていうね。家と一緒に焼けたからね……。
「荷物もすべてなくしてしまわれたのでしょう? もしご入用なものがありましたら、どうぞ遠慮なさらずにお申し付けくださいね」
「ありがとうございます。何から何まで……」
命を助けてもらっただけでもありがたいのに、親切どころの話じゃない。この世界の服って入手コストが高いんだよ、値段的にも手間的にも。
前世だったらその辺の量販店で買うような庶民の普段着が、百貨店でマネキンが着ているカジュアルブランドのスーツを買うくらいの値段になるといったらその感覚を分かってもらえるだろうか。しかも、既製服を売る文化はまだ存在しないので、オーダーするか自分の家で作るか、古着を買う(古着でも高い)か、である。
「じゅうぶんおくつろぎくださいね。船内もほぼ自由に歩いてくださって構わないとのことですわ。ただ、警備の者が止めた場合は指示に従ってくださいまし」
恐縮する私に彼女はにっこりと笑いかけた。その笑顔も実に上品だ。せっかくなので聞いておくことにする。
「あの、お言葉に甘えて……個人的な書き物をしたいのですが、机をお借りできるところはありませんか?」
ポーリンさんの呪文の問題で、やりたいことがあった。とりあえず彼女に見られない方がいいだろう。
「そうですわね。図書室ではいかが? 机に仕切りがありますから、手紙などをお書きになるのにはいいのではないかしら」
「ちょうどいいですわ。場所を教えていただけますか?」
「この子をお部屋の前に待たせておきますから、準備ができたらお申し付けくださいな。案内させましょう。お願いね、トラン」
「はい、エベレ夫人」
荷物持ちに来ていた男の子がはきはきと答えた。ふむふむ、この子はトランで、この侍女さんはエベレ夫人なのね。
「助かります」
「このトランに行先をお伝えいただいておけば、夕食の支度が整いましたらそちらへ呼びにやらせますわ。私も夕食には同席させていただきますので、またのちほどお目にかかりましょう」
「リュナちゃんが全部対応してくれるなら、私まで立たなくてもよかったじゃない」
エベレ夫人を送り出して戻ってくると、読書タイムを邪魔されたポーリンさんがむっとしている。
家族でもない他人が部屋に訪ねてきたのに読んでる本から顔も上げないのは普通に失礼で非常識というか、自分の方が圧倒的に立場が上である場合しか許されない態度なのだが……まあ、冒険者だしなあ。
冒険者というのはちょっと特殊な職業で、社会の秩序から少々外れた存在というか、あまり身分とか立場とかにとらわれないところがある。ダンジョンの中で身分をかさに着ても何の役にも立たないしね。実力が何よりもものをいうし、実力さえあれば多少のことは見逃される。若いうちからひたすら荒事に徹して依頼人とのやり取りも最低限、という生活をしていたために、社会の常識に疎いまま大人になった人も多い。
「さっきの方、騎士見習いの子を荷物持ちに連れてたでしょう? そういう身分だってことです」
「そういう身分って?」
「だから、自分ひとりでじゅうぶん持てる荷物を、わざわざ人に持たせて歩くようなご身分の女性だってことですよ」
「侍女なのに?」
「ヴィオーラ様クラスの方に仕えている侍女なら、たぶん本人も貴族の奥様とかお嬢様ですよ」
対応は気を付けた方が安全だ。少しだけ話したヴィオーラ様のお人柄からして、その侍女も決して傲慢な人物ではないだろうと予測はしていたし、実際その通りだったけど。
「あの方が身分をかさに着てどうこう言うような人じゃなかったってだけなんですから、失礼はしないに越したことはないですよ」
「うー……偉い人と関わりあいになるもんじゃないね……」
わかっているのかいないのか。ポーリンさんが顔をしかめた。いや、贅沢品を扱う商会の護衛やってたでしょ、アナタ。
実際のやり取りは両親や、ここ数年は私がやっていたにしても、その護衛をしていた彼女たちもお得意様である偉い人の邸宅を訪ねるといった機会は多かった。
そんなとき例えば、彼らの誰かが、お客様のところの子供に知らずに無礼を働いてしまったなんてことになったらうちの責任になってしまうから、気を付けてもらっていた……はず……なんだけど。
いままでその手の問題がほとんど起こらずに済んでいたのは、つまりベニートさんがきっちり手綱握ってたから、ってことなんだろう。あとはレイドさんかな。あの人、実家は結構いいとこだって言ってたような記憶がある。
「身分云々は冒険者だからって見逃してもらえることも多いでしょうけど、でも今の私たち、助けてもらった身なんですからせめてしおらしくしてましょうよ」
まあ、しおらしくしていろと言われても、どんな態度がしおらしいのかわからない、というのが実情だろうな。
「私は図書室に行ってきます。ちゃんと着替えて……」
と言ってる傍からもうポーリンさんの手は呪文書に伸びていた。取られる寸前に引っ掴んでトランクに放り込み、すばやくふたを閉めてその上に座った。
「あー!」
「着替えてから渡します。着替え持ってきたってことは、夕食に海水まみれの服着てくるな、って意味だと思いましょうね」
「それまでには着替えるってば」
「…………」
「リュナちゃんってリーダーみたい……」
じと目で見つめるとようやく彼女は観念したようで、おとなしく着替え始めた。やっぱりベニートさんがフォローしてたんだな……っていうかアンタいくつだよ……。
さて、ポーリンさんが着替えてる間に私も支度しよう。トランくん待たせてるしね。




