5.この世界に海猿はいません
そもそも、冒険者志望の私がお化けガニに襲われる船に乗ったいきさつはといえば。
生まれ育った港街、ナジェド国のアルバで起こった大規模火災で両親と店と住居を失い、いろいろあって冒険者になって街を出ることにした私に、ベニートさんたちがついてきてくれると申し出てくれたとき、私は驚いたけれどもとても嬉しかった。
だけどそれ以上に、下手は打てないと気を引き締めもした。
なにしろ彼ら――重装備型の戦士ベニートさんとトラドールさん、軽戦士の無口なレイドさん、魔術師のポーリンさんの四人――ときたら、旅費も護衛代も受け取ってくれないんだもん。私と一緒なのはあくまでこれを機に河岸を変えるついでなんだと言って聞いてくれなかったんだわ。
一応私、多少の現金は持っているし、商業権証書も売ればもっと大金になる。とはいえ、当面の生活費がちゃんと手元にあるかないかでは取れる選択肢が全然違うし、都市の商業権なんて一度手放せば再入手は困難を極めるものだから売らずに済めばそれに越したことはない。将来的に故郷に戻ったときに、すぐに定住して商売を始める権利があるのは果てしなく有利な条件だ。
堅実な彼らはそういったことをちゃんと知っていて、私にお金を使わせないようにしてくれているのだ。
商会が潰れてしまって困っているのは彼らも一緒だ。彼らは駆け出し時代、リュナの歳が一ケタの頃からうちの店に出入りしていたパーティだった。商品のお届けや、地方のお得意様を訪問する旅の護衛。最近ではほぼ専属のように仕事をしていたのに、その収入源がなくなってしまったうえ、跡取りのはずの私は店を続けずに街を出るなんて言い出すんだから。
それなのに彼らは、しつこくまとわりついてくる親戚やら何やらを追い払うのに協力もしてくれた上に旅に同行してくれたのだ。
少なくとも、私のせいで彼らが食い詰めるような事態だけは、絶対に避けなくては。
……わかっている。本当に彼らの仕事を途切れさせたくないのなら、どうにかしてお店を続ければいいのだ。建物は焼けてしまったが土地はあるし、商業権もある。当面の資金は手持ちでは到底足りないが、どこかの大店の次男坊辺りを婿に迎えて援助を受けるなりなんなりすればいいのだ。実際そういうお話はいくつかいただいた。どのお話もまっとうな取引だったし、紹介された坊ちゃんたちもみな誠実そうで、悪くない人ばかりだった。
でも、私は冒険者になった。
もちろんアルバでの暮らしに不満などなかったし、あの火事がなければリュナは当然のように今も働き、そのうち婿をもらって店を継いでいたんだろう。だけど、それはもう過去のことだ。
私は――リュナは、心の底では本当はずっと、故郷を離れて旅に出て、自分の力を試してみたかったのだ。
そういうわけで、アルバを旅立った私は対岸のディバン国イルクベに着いたが、すぐに船を乗り換え、北隣のハベルス国の港ハブールに向かった。ディバンの滞在期間が長いとそれだけ、冒険者であるベニートさんたちが無収入で出費ばかりになる期間が長くなる。というのも、ディバン国では故郷のナジェド国と違い、モンスター討伐や護衛はもちろん、街中の雑用にもあまり冒険者を使わないので、仕事が少ないのだ。
(ではそう言った仕事は誰がするのかというと、身内に頼むのだ。同じ氏族の中の若い衆などを私兵として使う習慣が根付いている。ディバン(と下ハベルスの南部地域)はなんでも氏族ごとにまとまって行う社会で、他国の人には馴染みにくい。ディバンよりも距離的には遠い上ハベルスやそのお隣フェルメラン王国の方が文化的にはナジェドと近いと昔から言われている。閑話休題)
ディバン国には魔法の学校がないというのもハベルスを目指す理由の一つだ。私は魔術師としてもしっかり身を立てたいので、冒険者活動をするにしても勉強や調べ物をする環境は欲しかった。上ハベルスにあるハベルス国の首都トレッガには王立の学院があって、半分学生、半分冒険者という形で所属する者も多いと知っていた。なので私はトレッガを目的地とし、ベニートさんたちにはトレッガか、そこへ向かう途中でいい仕事を見つけてもらおうと考えたのだ。
ハベルスの民間商船「フェドーラ号」にいくらか払って便乗させてもらい、船底近くの板張りの大部屋(たぶん本来は倉庫。半分は船の備品とかが占領してた)に詰め込まれる。お金を余分に払えばもっとちゃんとした船室を使えたけど、それをやってしまったら、冒険者になったと言いながらまだ商家のお嬢様気分でいると思われるような気がしたのだ。第一、お金は大事だし。
ベニートさんたちの懐具合なら(私が経理処理した報酬なので推測できてしまう)、ひとりひとりの個室は無理でもパーティだけの部屋くらいは借り切れただろうが、彼らも一緒に大部屋。私に合わせてくれたのは間違いない。たぶん、私が彼らに気を遣っていい部屋にしようとしても止められただろう。
他にも同じようなお客が相当数いて、私たちは端っこに陣取っていた。もちろん夜は雑魚寝。硬い床の上に毛布だけというお粗末な寝床ではあったけど、私は割と平気だった。昔から、その辺はあまり神経質なたちではなかったと思う。地方への配達の旅でも野営を苦にしたことはない。
異常を感じたのは、明日の昼にはハブールに到着するという、四泊目の夜だった。
――――。
何か、聞こえたような気がして目が覚めた。当然ながら辺りは真っ暗で、寝息しか聞こえない。
「…………」
起き上がって耳を澄ます。気配を探る。
ベニートさんたちも眠っている。危険なモンスターの出現海域でもない安定した航路、周りも一般客ばかりで不寝番も要るまいと、休息を優先している。それでも、モンスターの気配でもすれば飛び起きるプロなのだ、彼らは。それが特に警戒も見せず睡眠中なのだから、何もないに決まっている。
怪しい物音なんかしない。変な人もいない。それは駆け出しの私にもわかるのに。
――ここは船底。すぐ下は海で、上はふさがっている。
――こんなところに居ちゃいけない。
そう感じたときには私は枕元の上着を着込み、ブーツをはき直していた。かかとが床に当たって音を立て、軽戦士で斥候のレイドさんが目を覚ます。視線で聞いてくるのに答えず、ベルトポーチと剣帯を腰に巻きながら立ち上がった。
「リュナちゃん?」
「おい、どうした? まだ夜中だぞ」
他の三人も起き出して、私の振る舞いに驚く。私はそれに構う余裕もなかった。
「…………こんなところじゃ逃げられないじゃない」
「お嬢さん?」
無意識に漏れた声に、レイドさんが珍しく私を呼んだ。
私はこの船底近くにはもう一秒たりとも居たくない気持ちでいっぱいになって、揃えたばかりの冒険者グッズの詰まったリュックを背負い、焼け残ったわずかな商品の入ったケースと、もうひとつ私物のトランクをそれぞれ両手に持って部屋を出た。
戸惑いながらも四人が追ってくる。両親の死で動転しているお嬢さんが神経質になって突拍子もないことを言い出し、もとは雇われる立場だった保護者代わりの冒険者が仕方なく付いてくる、という構図にしか見えない。というかまさにその構図だろうなあ。
「ちょっと、リュナちゃん?」
ポーリンさんの声に非難の色を感じながらも、それどころじゃないレベルで私は落ち着かなくて仕方がなかった。荷物を両手に下げながら足早に上を目指す。トランクが壁に当たってガツンガツン言って、中の船室から罵声が飛んできたが構うものか。
階段を上り、ようやく、月がマストの間で働く船員さんたちを照らす甲板へ出る。中央に陣取っていた上級の船員さんらしき人が、大荷物で血相を変えた女の子の姿を見て、怪訝そうに声をかけてきた。
「どうしましたい? こんな夜中に」
静かな夜だ。ロープのきしむ音、波が船に当たって砕ける水音。作業をする船員さんたちがかわす声しかない。
月光に煌めく海面は、ただ青黒く波打っている。
何もない。今は。
「気が済んだか? 寒いし、部屋に戻ろう、な?」
後ろから追いついてきた、リーダーのベニートさんが気遣いに満ちた表情で私の手から荷物を預かろうとする。でも私はまだ暗い海上を見ていた。
「リュナちゃん、どうしたの、寝ぼけたの?」
「…………」
――――来る。
次の瞬間、轟音と共に船が一気に右に傾斜した。
「おわっ、何だっ」
「きゃあああぁ!」
「あああああぁぁぁ!」
とっさにその辺の道具に捕まって事なきを得た私の目の前を、船員さんがひとり投げ出されていく。悲鳴があっという間に遠ざかっていった。他にも何人かが落下したのが見えた。
甲板は一度はとても立っていられない角度になったが、すぐにガクン! と少し揺れ戻った。斜めになった甲板に、甲殻類の巨大な脚のつま先が突き刺さった。ついで、ザラザラの殻に覆われた、あまりにも不気味な巨体が姿を現したのだ。
◆◆◆
夜中に跳ね起きてほとんど無言で外に飛び出すという私の行動についてきたにもかかわらず、彼らは各々のメイン武器だけは引っ掴んで来ていた(プロだ)。とはいえ、槍で突こうが魔法の火の弾をぶつけようが、殻にはひびどころかヘコミや焦げ目も付かない。
「おい冒険者さんたちよ! あんたらもボートに乗ってくんな!」
船長さんの言葉から船を放棄するという決断を悟ったのだろう。四人はカニから離脱するために少しずつ体勢を変えた。
まず後衛の魔術師ポーリンさん。続いてレイドさんが後方に下がる。私のお手製槍で牽制しながらトラドールさんがカニから遠ざかった。最後はリーダーのベニートさん。これは昔からずっと変わらない。
レイドさんが、手持ちの短剣を投げつけ、カニが少しだけひるんだすきに槍を一突き。もちろん歯は立たないが一瞬の空白が生まれる。そこで素早くベニートさんが身をひるがえそうとした。その時。
――――ビシャッ!
切り裂くような音を立てて、海面から何かが飛び出した。丸太ほどもある数本のそれらは勢いよく飛び出した後、鞭みたいにしなやかにカニに絡みついた。
カニはそれに抵抗できず、海中に引きずり込まれていく。
……って、アレは…………
「いあいあー……?」
「リュナちゃん!」
ベニートさんが大声で私を呼んだ。同じものを視界に入れたはずだが、彼の方が経験豊かな分、現実に立ち返るのが早かった。私も我にかえって走る、というか、傾いた船をよじ登るように左舷側に急ぐ。
「リーダー! リュナちゃん!」
「飛べ! 出すぞ!」
ポーリンさんが叫び、船長さんがボートのもやい綱を解きながら怒鳴った。
私とベニートさんは船縁を蹴ってジャンプする。着地したその瞬間には、ボートの両脇にスタンバイしていた船員さんをはじめとする男衆がボートを漕ぎだしていた。
「漕げー! 死ぬ気で漕ぎやがれぇ!」
「ボヤボヤすんなぁ!」
海の荒くれ男たちが渾身の力でオールを動かし、ボートはかなりの速度で沈みゆく船から遠ざかって行った。
座り込んで息を整えながら、私は海面下に姿を消していくフェドーラ号の方に視線を向けていた。
さっき、カニを引きずり込んでいったアレ。
私には心当たりがある。SANチェックが必要なアレではない、というか、アレの原形のひとつではあるんだろうけど。大きさは私の知識にあるものと全然違っていたが、見たことも触ったことも、ついでに言えば食べたことも、前世で何度もあった。
「……確かに、タコはカニ食べるけどさあ……」
そう、アレはまさしく、吸盤がいっぱいついたタコの足、だった。
「タコか! 何てこった、お化けガニとお化けダコかよ」
私が漏らした言葉にベニートさんが反応している。
あのカニがタコに追われているうちにフェドーラ号の船底にひっかかり、これ幸いと乗り上げて逃げようとした、といった成り行きだったんだろうか。想像するしかないけど。
船底に穴があく前に来てくれればもっと助かったのに……いや、それを言っても仕方ないんだけどさ。
最初のカニの一撃で船が傾いた際に何人かが投げ出されていたのを見た覚えがある。そして、船底近くで寝ていた乗客のほとんどは……だろう。
「どういうことだ? このあたりの海域にあんなバケモンが居るなんて聞いたこともないぞ!」
「俺らだってそうでさあ」
「三十年ほどもこの仕事をしておりますが、こんなことは初めてですよ」
ベニートさんの詰問に、船長さんと、船のチャーター主である商会の番頭さんらしき壮年の男性が答えた。
「我が商会は創業者である先々代のころから、この航路で商いをしております。ですが、あんな魔物が出たということは私どもはもちろん、同業者の間でも聞いたこともございません」
私も港街生まれで、輸出入も扱う店の娘だ。情報収集は欠かしていない。海に魔物が居るのはこの世界では別に珍しいことではないけれど、アルバからイルクベ、ハブールの海域にあんな馬鹿でかい生物が(しかも二体も)居るなんてもちろん初耳だし、やっぱりちょっと違和感があった。この目で見た以上は事実なんだけど……。
「わ、我々のこの舟が襲われたりはしないのか!?」
さっき荷物の下から助けた人が怯えた声を上げた。
「あれだけ大きな餌を食べた後ですからしばらくは満腹でおとなしくしているんじゃないでしょうか」
「ほ、本当か?」
私の推測におじさんは喰いついてきた。安心したいその気持ちはわかる、が。
「保証はできませんけど」
「そんなっ」
「ですけど、そういうことにしておきましょう。あの巨大ダコが本当に襲ってきたらもう終わりでしょうから、その場合のことを心配してもどうにもなりません」
「そちらのお嬢さんの言うとおりですね」
番頭さんが口を挟んでくれた。
「ひとまず化け物の件はおいておいて、次のことを考えましょう」
「は、はあ……」
「十五人、か」
おじさんが黙って座り込むのを見計らったように船長さんが言った。今、このボート上にいる人数だ。船員さんらしき人が五人と船長さん自身で六人。あとの九人のうち二人は船のチャーター主である商会の人で、残り七人が乗客(うち五人が我々)だ。
「我々が予定通りにハブールに入港しないとなれば、おそらく捜索隊は出してくれるでしょうが……」
問題は、捜索隊と出会えるまでに生き残れるか、だ。
入港予定は明日の昼ごろということになってはいる。だが、この時代の航海は風頼り。熟練の船乗りでも、一日くらいのずれは予定のうちと思われるだろう。
陸の人たちが異常に気付くとしても明後日以降になるはずで、その時点ですぐに探しに出てくれたとしても、前世の海上保安庁が巡視艇やヘリコプターを駆使して捜索するのとはレベルが違いすぎる。
「………………」
――GM、殺意高くない?




