4
二人の関係は社内でも噂になり、私は苦しい立場に立たされていた。だが、私がたしなめても彼女は相変わらず大声で笑っている。
「あんな会社、いつ辞めてもいいじゃない。もうすぐ遺産が入ってくるんだから。あの人、株やギャンブルでも相当稼いでいたから、びっくりする額よ」
そのことは知っていた。小説の印税を元手に、紫雲は株に投資していた。彼の買った株は必ず上がり、空売りをした株は必ず暴落した。そして時折、思い出した様に競馬や競艇などもやったが、それも記録的な大当たりをしていた。
全く不思議だが、紫雲のやる事には外れがないのだ。私は紫雲が初めての原稿料で競馬の大穴を当てたのを思い出し、これ程強運の持ち主が、何故あのようなみすぼらしい格好をしていたのか理解できなかった。
こうして紫雲は短期間に巨万の富を手に入れた。彼の屋敷や資産は、そのほとんどが投資やギャンブルで稼ぎ出したもので、小説家としての収入は極一部となっていた。
ホームレス同然の格好をしていた奴が、あっという間に大富豪だ。誰だって妬むだろう。勿論、私も含めて。
「全く、不思議な人だったわ。あんな大金持っているのに、遊び回るでもなく、ずっと小説書いているんだもの。でも、体の事には物凄くお金を使っていたわね。彼、病院嫌いだったじゃない?これは私しか知らないけど、あの人、屋敷の地下に本物の治療室を造っていたのよ。扉には厳重なセキュリティをかけて、彼しか開けられないようにしていた。私ですら入れなかった。そこに秘密厳守を契約内容に入れた、有名な外国の医者を呼んで、いろんな手術を受けていたのよ」
「あの人、そんなに体が悪かったのか?」
「ひどかったわ。毎日どこかが悪くなっていた。その度にたくさん薬を飲んで、治療室にこもっていたわ。中で何をやっていたのかは知らないけど、外国から医者を呼んだ時には、冷凍された大きなトランクケースを沢山運び込んでいたわ。もしかしたら違法な臓器移植とかしていたかも。きっと何十億円も使っていた筈よ。でも、あれだけお金をかけても助からなかったんだから、根本的に体が悪かったのよ。火葬にしても骨は残らないかも知れないわ、あの人」
恵美子は気味が悪そうに顔をしかめた。紫雲との大して長くもない結婚生活で、彼女が夫に愛情を示したことはほとんどない。結婚したといっても、実際は同居していただけで、恵美子は内縁の妻でしかなかった。紫雲は彼女と入籍しなかった。詳しい理由はわからないが、彼は出自を決して明らかにしなかった。それは徹底しており、妻にも秘密にしていた。
しかし、恵美子はそのことに拘りはしなかった。紫雲のカネを自由にできるのならば、彼の出自や籍などが、どうなっていようが関係なかったのだ。念のために紫雲に遺言まで書かせて、遺産の相続人が自分であると保証させると、その財産を浪費するだけだった。
紫雲は気付いていたのだろうか、私と恵美子の間柄を。
「あの人やっぱり私達のこと知っていたのかしら」
恵美子が同じことを考えていたので私は少し驚いた。彼女はそんな私に構わず先を続ける。
「知っていたわよね。だって、あの小説の主人公達、私とあなたにそっくりだったもん」