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  作者: 晴美
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るしふぁー

思い出3

「ユキ、今日はどうすんの?俺ん家、くる?」

「あー、いいなら。」


私があの部屋を出た日、あの街では初雪が降った。


そこからとった名前。

それが今の私の名前だった。


「まぁ適当にしてよ。」


あの街から遠く、一夜の宿を数回繰り返して、再び特定の寝床を手に入れた。


男に続いて部屋へ入ると、靴入れの上に並ぶ奇抜な容器に目がいった。


所狭しと並ぶそれらは、恐らく40は超えていた。


「これ・・何?」


私は靴も脱がずに問いかける。

背を向けていた男は脱ぎかけの靴を履き戻してこちらを向く。


「あ?あーそれね。香水。好きでさ、気がついたらこんなになってた。」


「へぇ・・あ、これ・・」

引き寄せられるように1本の容器を手に取る。


「綺麗。る・・し・・ふぁー?って書いてある・・名前かな・・」


「え?ユキ、その文字読めるのか?ルシファーって書いてあるんだ?」


そう言って私が取った容器は、天使の形をして中には透明の液体が入っていた。

男は驚きながら私を見る。しかし、目が合うと得意そうに表情を変えた。


「・・それはね、‘堕天使’って名前の香水。」


堕天使、自分の身体がその単語に一瞬だが反応した。

しかし、冷静を装って返答する。


「でもこれ、普通の・・天使に見えるけど・・?」


男は私の手からそれを奪うとしゅっと手元にあった白い紙に吹き付ける。


途端に噎せ返る様なキンモクセイの香りが充満する。しかし、驚いたのは嗅覚ではなかった。


「え?なに・・これ・・」


白い紙に吹き付けられた色の無い液体は黒紫に変化した。


私が見上げると男が嬉しそうに口角を上げる。


「すげぇだろ!まさかユキがこれを手に取るとは思わなかった。実はこれ超レアなんだよ!まぁ、普通には使えないんだけどな。中身透明なのに不思議だよな。可愛い容器も、堕天使って意味も悪くない。」


最後の単語に再び反応しそうになるも、私は感情を殺した。


「初めて知ったよ。香水って使ったことないんだ・・私。」


「そっか。こういうの女の方が好きなのかと思ってた。」


男は照れたように笑顔を見せると、そのまま容器を元あった場所へ大事そうに戻した。


ごちゃごちゃの棚の上で、なぜそれが目に入ったのか、真っ赤な唇の形をした容器や虹色の女裸体など、たくさん奇抜なものはあったのに。


再び戻された容器に目を落とす。


「っ!?」


私にはまるでその天使が笑っているように思えた。


ふいに男が空いたその手で私の肩を抱く。


「え?」


驚いてビクっとした私の頭に男は唇を寄せた。


「ユキって・・香水使ってないのに良い匂いすんのな?震えているけど・・寒いのか?」


私が震えているのは寒いからではない。けれど、誤魔化すように頷いた。



男が眠りについた後、私は寝床を抜け出した。


散らばる服を元通りに着て、玄関の鏡の前に立った。‘仕事’の時間だ。


自分の手首に刃を立てて、浮いた血で鏡に大きく十字架を描く。


それはターゲットの家へ鏡を繋げるための動作だった。


書かれた血が薄くなる前に鏡へ足を踏み込む。


一瞬、堕天使の名前を持つあのボトルが目に入った。


逆さまに映る文字、ルシファー・・


チっ、


誰かに聞かせるような舌打ちをして、鏡の中へ溶け込んだ。



「堕天使・・天使を堕落した者。」


ターゲットに刃を立てる横で声がする。


「ふふ・・誰のことを言っているんだろうね。」

-五月蝿い。


その心の声と共に突き刺す刃は、強く深くターゲットの内臓を貫く。


体温の移った返り血は、何度経験しても気持ちがいいものではない。


「生温かい・・鉄・・くさい・・」


分かっていて一人で呟く。


ターゲットの趣味であろう断末魔の奇声にも似た、オペラのレコードは回り続ける。


「うるさい・・」


衝動的に壊してしまおうかと思って上げた膝を下ろして、ため息をつきながら部屋を見回す。


真っ黒の、ターゲットが愛用していたであろう革張りのラウンジチェアが目に入った。


それに腰掛けてから、やはり目に入ったナイトテーブルの高級そうな箱に手を伸ばす。


中には、落ち葉色の長細い楕円が綺麗に並んでいた。


シガー、葉巻だ。


1本取って鼻元に近づける。


温かみのある甘い香りは、ヤニとは全く違う。


ふいにそれはあの薄緑色のセーターを思い出させる。


一瞬だが、肩の力が抜けるようだった。


ジャケットのポケットへその1本を忍ばせてから椅子に深く身体を預ける。


大袈裟に椅子を揺らしながら、心地の悪い曲を10回聞いたところで針を外して、私はその部屋を後にした。



「愛しい子。愛しているよ。」

-愛されたくなどなかった。


「そういう所がまた堪らなく愛しい」

-貴方の執着など、一時のものでしょう


「愛しい子。己の存在を分かっているでしょう?」

-五月蝿い

 五月蝿い

 五月蝿い


近くの公園で染込んだ鉄の香りを洗い流す。


体温を奪われ、手先の感覚が徐々に失われていく。


赤くなっていく指先を見つめながら思った。


人が死ぬ時もこんな感覚なのだろうか?誰も、覚えていない・・


月の綺麗な空を問いかけるように見上げる。


いっそ土に還れたら・・乾いた感覚は癒えるのだろうか。


一時的に何かに感情を抱いても、すぐにそれは消えてしまう。


何も残らない?


「それは・・違う・・」


ポケットを探るとそこには、細長い楕円と小さな長方形。


銀色のそれと反対のポケットからタバコを取り出した。


キンっと高い音がして、石を弾くと大きな炎が揺らめく。


メンソールのツンとした香りが染み渡って、ため息のように煙を吐いた。


白い、息なのか煙なのか判らないモノは、ただ淡く残っては消えていく。


吸い終わって、物足りなさを感じる。


やはり焦がれるのは甘くて優しいあの香りだけだった。

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