第1章・(2)
真と希美は病院に着くと、直ぐにエレベーターに乗り「3」のボタンを押した。
ゆっくりとエレベーターの扉が閉まり、上昇しはじめると、希美は真の顔を下から見上げ、嬉しそうに微笑んだ。
真も微笑みを返す。
『お父さん、もうすぐだね?』
去年の11月の半ばを過ぎた頃、希美は、真と、母の佳苗に「来年、希美に弟か、妹が出来るよ。」と言われ、それから、今日までの間、保育園の先生や、お友達、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人など、大勢の人達に、兄弟が出来る事を言って周り、真と佳苗が恥ずかしくなる程だった。
『うん、もうすぐだね。 あっ、そうだ希美。 エレベーターを降りても、静かにしないと、赤ちゃんがビックしちゃうからね。 大きな声を出しちゃダメだよ。』
真は人差し指を顔の前に立て、希美に応えた。
そして顔を上げ、エレベーターの変化する数字に目をやると、ふと、希美が生まれた時の事を思い出した。
約4年半前に生まれた希美は、予定より少しだけ早く生まれ、体重は約2,800gだった。 佳苗の母にも「小さく産んで大きく育てろ」と言われ、さほど心配はないと安心した数日後、血の混じった乳を吐き、便も血の混じった、黒いのが出て、佳苗や真を含めた周囲の大人達を心配させた。
原因は、新生児メレナ (ビタミンK欠乏による消化管出血という事だった。
新生児はビタミンKの蓄積量が少ない為に起こる病気だが、注射でのビタミンKの投与で済むという事で、希美もビタミンKの投与で、症状も順調に回復し、その後は大きな病気やケガもなく育った。
つい最近は、生まれてくる兄弟を意識して、佳苗のお腹に向かって「お~い、赤ちゃ~ん、聞こえる? お姉ちゃんだよ~。」などと声をかけたり、今までは苦手というか、甘えて逃げていたオモチャの片づけを積極的にやるようになった。
真はそんな事を考えていると目頭に熱いものを感じ、両目を右手で揉んで顔を隠した。
すると下の方から声がして、『お父さんどうしたの? 着いたよ、早く行こうよ~。』と希美に急かされた。
慌てて目の前を見ると、エレベーターのドアは既に開いていて、希美が真のズボンをつまみ揺すっている。真は、また、閉ろうとするドアを、慌てて「開」のボタンを押して開いた。
廊下に出ると、ナースステーションの前を過ぎ、一番奥の左側の部屋が、佳苗の病室になっている。
真が病室のドアをスライドさせ開けると、希美は『お母さ~ん』と声に出して駆け寄る。
佳苗はベッドから手を伸ばして『あ、希美、いらっしゃ~い。』と希美の頭を撫でると『希美、おいで。』と佳苗の左側にいる希美を、ベッドの右側に誘った。
『希美、ほら。』と真は、希美の背中に手を添え
、希美をベッドの反対側へ連れて行く。
希美は佳苗に抱かれている、赤ちゃんの顔を覗きこんだ。
『ほ~ら、希美の弟の夢野中だよ~。 さっきね、おっぱいを初めて飲んで、おネンネしちゃったんだけどね。』と佳苗は希美に、にこやかに語りかける。
『わぁ、赤ちゃん。 小っちゃいねぇ。 あ・た・る? 』希美は赤ちゃんの顔を見ながら、佳苗に応える。
『そうだよ、あたる。 ゆめのあたる。』真が希美と同じように、赤ちゃんの顔を覗きこんだ。
『希美は「ゆめののぞみ」、お母さんが「ゆめのかなえ」、お父さんが「ゆめのまこと」で、この赤ちゃんが、希美の弟の「ゆめのあたる」だよ。』
『ふ~ん、中かぁ。 中、お姉ちゃんだよ。
早くお家に帰って、いっぱい遊ばうね。』
佳苗は、声色を変え言う『希美お姉ちゃん、中をよろしくね、仲良くしてね。』
真と佳苗、そして希美は、これから起こる悲劇を、知らずに、笑いあった。