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訪ね人

 静子と笑子を取材したタウンスクープの放映日の翌日から、またしても客が増えた。開店前から数人の若い娘がサニーサイドの前に並び、静子が登場するときゃあきゃあと騒ぐ。静子もすっかりアイドル気分でにこやかにしわくちゃの笑顔を振りまきながら店の扉をくぐるのだ。

 厳ちゃんと明恵は大忙しで、二人して毎日フル回転操業である。あまりの忙しさに茜も大学の授業が終わると飛んで帰って来て店の手伝いをしていた。

 モーニングの時間帯は静子が中心に接客をする。ランチタイムは静子と笑子が、午後のティータイムは笑子が接客をして静子は休憩に入る。夕方は茜が入ってくるので、老メイド二人はのんびりとお茶をして過ごす。そして六時になると老メイドは帰宅、茜が接客をする。こんなシフトがいつの間にか定着していた。

 恐ろしい事に二人の老メイドがいなくなると同時に、潮が引くように客がいなくなる。茜は少々納得できないようだ。

「なんでおばあちゃんに私が負けるん? 歳、四分の一やで? なんでやのん?」

 客のいなくなった店内でふくれっ面である。

 そんな訳で、七時前には閉店となる。

 茜が帰って、ようやくサニーサイドに平和が訪れる。この時間帯だけは今まで通りの光景に戻り、厳ちゃんと明恵は二人でゆっくりと明日の仕込みが出来る。この時間が唯一の夫婦水入らずの時間だった。

「和菓子屋してる時、こんなに忙しいのは年末くらいでしたなぁ。それも店たたむ前は年末でも暇でしたわ」

 明恵は店内の掃除をしながらしみじみ呟く。厳ちゃんは大きく頷いた。

「まあなぁ。猫間川商店街にもちょっと世間の目が向いてきてるしなぁ……」

 サニーサイドに来る若い客が、探検気分で薄暗い商店街の中を通り抜ける事が増えていた。

「小耳に挟んだんやけど、二、三件賃貸の問い合わせが来てるそうやで。ほんまに、世の中、どこでどないなるかわからんもんやなあ」

 もし、この騒ぎが商店街を再生させるきっかけになればどれだけいいだろう。今は見る影もないが、戦前から続く由緒ある商店街である。このまま人知れずひっそり消えて行くのはここで生まれ育った者としてはやるせなかった。

「……せやけど、いつまでこの莫迦騒ぎは続くんやろか……」

 厳ちゃんは自分と明恵のためにコーヒーを淹れながら溜息をつく。店の売り上げが右肩上がりなのは嬉しいが、正直熟年夫婦二人がつつましく生活出来れば十分なのである。今さらビジネス拡大だとか、実業家の道を歩むとか、そんな野望は毛頭ない。時々常連客がふざけて「冥土喫茶二号店はどうや?」などと言うが、想像するのも恐ろしい。

「身体は大丈夫なんですか?」

 明恵は厳ちゃんから差し出されたコーヒーカップを受け取りながら上目づかいに夫を見た。そもそも身体の調子が悪いからといって検査入院したのがこの騒ぎの発端なのである。

「検査結果は出たんですか。あんまり忙しいからちゃんと聞いてなかったわ」

「うん。陰性やったわ」

「そうですか。そら、良かったわ」

「うん。良かった」

 夫婦はずるずると揃ってコーヒーを啜った。

 ささやかな夫婦の時間を楽しんでいると、店の扉が無粋な音を立てて開いた。

「あれ……もう閉店……ですか?」

 入ってきたのは一人の青年だ。黒髪で長身の、なかなかイケメン男子である。白いワイシャツと黒いパンツ姿で若いサラリーマン風だ。何故か大きなボストンバッグを提げていた。

「はい。でも、いいですよ」

 厳ちゃんはコーヒーを置くと手で促した。

 青年は軽く頭を下げると、おそるおそる中に入ってきた。立ち止まって何かを探すように店の中を見回す。

「あの、静子さんというおばあさんは……」

 この辺りでは珍しく東京訛りのようだ。明恵が微かに眉をしかめる。聞きなれないイントネーションに尻の辺りがもぞもぞする。わざわざ大阪の外から静子に会いに来たとでも言うのだろうか。物好きなヤツもイタものだと思いながら、厳ちゃんは肩をすくめた。

「六時で帰りますねん。高齢ですからね、あんまり長く働かせて店で具合でも悪くなったら困るので」

「そうですか……」

 青年はほっとしたようながっかりしたような、複雑な顔になるとカウンター席に腰をかける。

「ホットのコーヒーをお願いします」

「はい」

 厳ちゃんはフィルターの用意をし始めた。

「お客さんもテレビ見て来られたんですか?」

 珍しく明恵が自分から声をかける。

「はい。とても面白かったです」

「それはどうも」

 明恵はぶっきらぼうに礼を言った。

 青年はしばらく物珍しそうに店内を見回していたが、厳ちゃんと目が合うと口を開いた。

「あの、マスターは地元の方ですか?」

「え? はい。生まれも育ちも猫間川ですわ」

「なら、ご存じかも。知っていたら教えていただきたいんですが」

「はい?」

「……あの、もう随分昔なんですけど、この辺りに渡辺修一郎という人が住んでいたことを覚えていらっしゃいますか」

「渡辺修一郎……さん?」

 厳ちゃんは首をかしげる。この辺りで渡辺という名字はあまり聞いた事がない。

「昔って、どれくらいの昔ですか?」

 明恵が横から口を挟んできた。

「さあ……昭和十七、八年くらい……ほとんど七十年近くになるでしょうか」

「えらい昔の話やなぁ。僕が七十やからねえ」

 厳ちゃんが目を丸くする。そんな昔の話は厳ちゃんもよくわからない。

「渡辺修一郎というのは僕の祖父なんです。今もう九十近いんですけど、戦争に行く前はこの辺りに住んでいたそうで……。まだ元気な頃、よくこの辺りの話をしてたんですよ。猫間川商店街の近くの下宿屋に住んでいたらしいんですけど」

「あ~、そんならやっぱりばあさん達でないとわからないでしょうね」

 厳ちゃんはコーヒーのカップを青年の前に置いた。

「ばあさんらは朝から夕方までなんで、その頃に来たら会えますよ」

「いえ、僕、もう帰るんです……。今日の夜中の夜行バスで東京に」

 青年はそう言ってカップを口元に運んだ。しばらく考え込んでいたが、ふと顔を上げた。

「祖父は今療養中なんですけど、もうあまり長くはないって言われてまして。九十近いので普通に考えてもそう長くはないでしょうけど。……最近よくこの辺りに住んでいた頃の話をするんです。よっぽどここが好きだったんだな。たまたま出張で大阪に来てて、ホテルで偶然テレビを見て。すぐに祖父が言っている人達だって思ったんです。猫間川商店街の饅頭屋の静子さんと米屋の笑子さんだって。そう思ったらぜひ祖父の話をお二人に聞いてもらいたいと思って……。もう少し早く来たら良かったな。そしたらお二人に会えたのに」

 青年は小さく笑った。

「お姉さん、まだ起きてますやろ。呼びますわ」

 明恵がいきなり電話に手をかける。

「いえ、そんな。もう仕事を上がられたのに……」

「エエんですよ。せっかく東京から来られてるのに」

 明恵にしては積極的だ。このところの騒ぎで少しはサービス精神というものが身についてきたのかもしれない。

「お姉さん? 明恵です。お姉さんに会いたい言う人が来られてますよって、ちょっと出てきてください。……風呂上がり? そんなん構いませんから。わざわざ東京から来てはるらしいんやから。今日帰りはるんやて。はよう、お願いします」

 珍しく強気である。厳ちゃんは目を丸くした。明日は雨、いや吹雪になるかもしれない。

 十分ほどして静子がよたよたと現れた。

「なんやの、もう。ご飯食べて寝よ思ってたのに」

 ぶつくさ言いながら扉を押しあけ中に入ってくる。慌てて出てきたらしく、スッピンで、風呂上がりの白い髪はまだ濡れていてパーマのうねりがちりちりとしている。こうやって見ると静子も年相応の普通のばあさんやな……と厳ちゃんは何故かほっとする。

「わざわざすみません!」

 カウンターの青年が勢いよく立ちあがり、静子は一瞬ぎょっとして立ち止まった。


<続く>

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