三
厳ちゃんが入院した日のランチタイム。
サニーサイドのカウンターには相変わらず仏頂面の明恵と、白いレースのついたエプロンを着た、スラリとした若い娘が入っていた。健康的な小麦色の肌に、ぱっちりした愛らしい目。陽気なオーラを身にまとったその娘は静子の孫、茜である。
ランチタイムの常連客は茜を見ると嬉しそうに声を上げた。
「お、厳ちゃんから聞いてたけど、噂以上の別嬪さんや」
「いらっしゃいませ! 厳ちゃんじゃなかった、マスターみたいに上手くでけへんけど、よろしくお願いしますぅ!」
茜は輝くような笑みを浮かべて、カウンター席についた常連客にお冷を出した。
「おっしゃ、おっしゃ。何でも聞いてや。おっちゃんは別嬪さんには優しいでぇ。なあ、明恵さん」
「道理でうちにはキツイはずやな」
明恵の低い声。
「え、いや、そんな、そんな事ないでぇ。なあ、ネエチャン」
常連客はおたおたしながら茜に救いを求めた。茜も冷や汗をかきながらごまかし笑いするしかない。
「ご、ご注文はお、お決まりですか?」
「お、おお、いつものひ、日替わりランチにするわ」
「おばちゃん、日替わりランチ一つ!」
「でかい声で言わんでも、聞こえてるわ」
明恵の呟きはメガトンパンチ級の威力である。常連客も茜も震えあがった。
と、その時、入り口の扉が開いた。
「おはようさん~。ってもうじき昼やな」
静子の声である。
「おおおお! ばあさん待ってたで!」
救いの主の登場に、常連客の声がぱっと明るくなった。が、次の瞬間、ひきつったような悲鳴に変わる。
「おいおいおい、ちょっとばあさん!!」
常連客の素っ頓狂な声に思わず振り向いた茜と明恵は目が点になって凍りついた。茜の手から銀のトレイが落っこちて、派手な音を立てる。
「お、おばあちゃん?」
「どや? 女給さんにふさわしいやろ?」
そこにはどこで買ったのか、フリフリのワンピースに白いエプロン、ご丁寧にピンクのカチューシャを白い頭に乗せた静子が立っていた。何やら化粧もいつもより濃い目に見える。
「ほんまは白いカチューシャにしたかったんやけどな、頭が真っ白やろ? 白やったら目立てへんからピンクのんや。このフリフリワンピース、ええやろ~。一回こういうの着てみたかってん」
「お・ば・あ・ちゃん?」
茜がようよう言葉を振り絞る。
「自分でも意外なくらい、よう似合うからびっくりや。最近の喫茶店の女給のねえちゃんはこういうカッコしてるんやろ? そう言えば、うちらが若い頃、カフエの女給さんがこんなカッコしとったわ。……あの頃は、カフエの女給さんなんて言うたら体裁悪かったけど、今なら平気や。ほんまの事言うとな、あの女給さんのカッコ、憧れとってん。せやかて、かいらし(注釈・可愛らしい)やんか?」
静子は例によって例のごとくのマシンガントークで喋り倒しながらカウンター席に座る。
「ああ、喋り疲れた。茜、お冷」
「あ、はい」
茜は慌てて落とした盆を拾うとお冷の用意をした。
「……ばあさん?」
カウンター席の常連客がしげしげと静子の姿を足の先から頭の先まで眺める。まるで珍しい爬虫類でも見るような視線だ。
「もしかしてとは思うけど、メイドさんの真似か?」
「せやせや、今は女給さんて言わへんのやな。メイドさん言うんか。日本橋の辺り行ったらあるんやろ? 女給さん……やのうて、メイドさんが仰山おる喫茶店」
「ばあさん、なんでそんなモン知ってるんや?」
「あんた、年寄りを莫迦にしたらアカンで。人間死ぬまで興味を失ったらアカンのや」
静子は胸を張った。
「おばあちゃん、メイド喫茶もだいぶ下火やねんで」
茜が苦笑いする。年寄りの頭の中身のアップデートは世間の流れとはだいぶ時間差があるようだ。それでもメイド喫茶を知っているというだけでも上等なのだろう。
それにしても得意そうに威張る静子の様子はただ事でなかった。常連客は必死で笑いをこらえていたが、ついにこらえきれず噴き出した。そして椅子から転げ落ちそうになりながら笑いこける。
「なんや、失礼な」
「ばあさんよ! その頭のピンクのヤツ、三角の白い布に変えた方がええんとちゃうか」
「……なんや、三角の白い布て……。仏さんの頭につけるヤツかいな。あほ! なんちゅうことぬかすんや」
「せやかて、ばあさん! あんたがここでメイドやってたら、メイド喫茶やないで! どう考えても冥土喫茶や!!」
静子も茜も明恵も一旦停止状態に陥った。
メイド喫茶……メイド……めいど……冥土?
三人の頭の中で漢字変換が実行されるのに数秒かかった。次の瞬間に茜と明恵がぷぷっと吹き出した。
「冥土喫茶! おっちゃん、座布団一枚や! 明恵おばちゃん、座布団の代わりになんかサービスせなあかんで」
「ほんまやなぁ」
二人はひーひー言いながら笑う。言い出しっぺの常連客などは涙を流している始末だ。
「なんや、なんや?! あんたら失礼やな、何が冥土や。人を脱衣ババみたいに言うてからに」
静子だけが一人仁王立ちになって怒っている。怒りながらも心の中では、上手い事言うわ、これは使えるでぇ……などと思っているのであった。
こうして純喫茶サニーサイドは世にも珍しい冥土喫茶に変身したのである。
<続く>




