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 翌日静子がいつもの時間にサニーサイドにやってくると、カウンターの中には明恵がいた。ずんぐりした体に地味な茶色いエプロンをかけ、いつものように仏頂面でモーニングのサラダを作っている。

「おはようさん」

 静子がにぎやかに入ると、明恵は無愛想に「いらっしゃいませ」と呟き、入ってきたのが静子であるとわかるとますます無愛想な顔をした。まるで挨拶をして損したとでも言いたげな雰囲気だ。

明恵の代わりにモーニングを食べていた常連客の若い男性が返事を返す。

「ばあちゃん、おはようさん。相変わらず元気やなぁ」

「あれ、宮さんとこの。久しぶりやないの。今日はえらいのんびりやな」

「今日は定休日やねん。朝寝坊や」

「早いこと朝ごはん作ってくれる嫁もらいや」

「大きなお世話や。そんなん言うなら、紹介してや」

 静子はがははと笑いながらいつもの席に座る。

「あかんあかん。うちの知っているのは皆もう姥桜うばざくら、いやいや通りこしてドライフラワーになっとるわ」

「いくらなんでもばあちゃんの友達はいらんわ。ばあちゃんの孫の友達くらいやったら嬉しいなぁ」

「ど厚かましい。そんなん自分で探さなあかんで。こんなとこで油売ってんと、どこぞ行って可愛いネエチャンつかまえといで。……あ、油売ってるんとちゃうな、朝ご飯買うてくれたはるんやったわ。毎度おおきに」

 ポップコーンか煎り豆か。一気にまくしたてると、息継ぎもせずカウンターへと声をかける。

「明恵はん、ホットのアメリカン」

 静子の注文に明恵は無言で食器棚から白いコーヒーカップを出してきた。カップとソーサーが触れる固い音がやたら耳につく。それだけでも充分に威圧的だ。

「……相変わらずやなぁ。こんなんで一日大丈夫かいな」

 静子は眉をひそめる。接客などと言うものは笑顔が第一である。ましてここは大阪だ。笑顔と愛想と、愚にもつかない世間話が商売成功の秘訣の一つなのだ。

「これはほっとかれへんなぁ……」

 静子は腕組みをして一人うなずく。どうやら今日一日この場に留まって接客のサポートをしてあげようという、余計なおせっかいを思いついたようだ。

 しばらくすると笑子がいつものようによたよたと現れた。

「おはようさん……」

 小さい声であいさつをしながら入ってくると、カウンターの明恵はちらっと視線を投げてよこしただけだった。静子は思わず唇をへの字にゆがめ、笑子に目配せした。

「なんや、やっぱり今日は敷居が高いな」

 笑子は相棒の前に座ると声を潜めて囁く。

「せや。なんであんなに無愛想なんやろな。損や」

 静子はしかめっ面をした。しゃべりの静子にはこれほど無口で無愛想な明恵が全く理解できないのだ。もっと理解できないのは厳ちゃんと明恵が見合いではなく大恋愛の末に結婚したという事実である。厳ちゃんとは高校の先輩後輩の仲だったらしいから十五、六歳からの長い付き合いだ。なんやかんやと言いながら、もう五年もすれば金婚式というのだからまったくもって理解できない。

「そらなぁ、確かに蓼食う虫も好き好きとは言うけどなぁ……」

 静子は失礼千万な事を呟いた。

「アンタいらん事言いなや」

 笑子にたしなめられ、静子はちょっと肩をすくめた。

 午前中の客はぽつぽつと、しかしながら入れ替わり立ち替わりで途切れることはない。しかし、どの客も扉を開けてカウンターの中の明恵を見ると一様に「ありゃあ……」という顔をする。そして注文のモーニングを平らげるとそそくさと帰っていくのだ。

「これはますます問題やなぁ」

 静子は客の反応を観察しながら渋い顔になった。

「明恵はん、最近ますます無愛想になったんとちゃうか?」

 笑子までが身を乗り出して客の反応チェックをし始めた。

 当の明恵は時々二人に目をやって、ぴくぴくと頬をひきつらせている。「まだおるんかい。はよ、帰ったらええのに」とでも言ったところだろう。もっとも口うるさい小姑二人に居座られては明恵でなくとも無愛想になろうと言うものだ。

 居心地の悪い空気の中、サニーサイドの午前中が過ぎていった。

 昼のランチタイムが過ぎて店が落ち着いた頃、厳ちゃんが帰ってきた。

「おかえり」

 明恵が無表情に、しかし素早く声をかけた。客に対する声掛けよりも夫に対する声掛けのスピードの方が早いというのがなんとも妙な具合だ。

「おかえり、どないやった?」

 カウンターに座っていた静子もすかさず声をかける。

 厳ちゃんは静子に目をやると、ぼそっと呟いた。

「なんや、姉ちゃん、まだおったんか」

「家で昼ごはん食べてからまた来はりました」

 明恵が仏頂面で答える。

「なんや、それ。どうせやったらランチ食べたらエエのに。たまにはアメリカンコーヒーより高いモン注文せぇよ」

 厳ちゃんは元気のない声でぶつぶつ言いながらカウンターの椅子に腰かけた。

「顔見るなりエラい言われようやがな。コーヒー一杯でもお客さんやで。だいたいここのランチは量多い。よう食べきらんねん。年寄り向けの量にしてくれたら食べるわ。お代も年寄り料金やで。老人パス利用可でもエエな。……で、なんや、その手は」

 しゃべりまくる静子を厳ちゃんは手で制していた。

「悪いけどな、今そんなしょうもない話してる気分ちゃうねん」

 そしてどよよ~んと澱んだ表情で明恵を見上げた。明恵は眉をひそめた。

「悪かったん?」

「せや……。バリウム飲んで写真撮ったんはええんやけどな、なんか出来てるらしいわ」

「……癌か?」

「いや、取って、培養検査してみなわからんて。どっちにしても入院や……」

 明恵が石のように固まる。厳ちゃんはすっかりしょぼくれてがっくり肩を落としている。よほどショックだったのだろう。一気に十歳ほど老けこんだように見えた。 

「いつ入院するん」

 明恵はへこんでいる夫を覗き込んだ。

「来月」

「二週間もあるやんか。大丈夫なんか。そんなにほっといて」

「しゃあないがな。病院のスケジュールやねんから」

 厳ちゃんは暗い顔で答え、明恵はますます固い表情になった。まるで明日にでも死ぬような重苦しさである。静子はため息をついた。

「あのなぁ、厳ちゃん。今からそんな深刻な顔してどないすんねん」

 静子は腕を組んで大声で喝を入れる。

「あんたかて七十や。あちこちガタも来て当たり前や。うちかて七十くらいからあっちもこっちも具合悪いけど、生きとる」

 厳ちゃんは恨めしそうに静子を見る。

「さっさと取るモン取っておいでや。よう考えてみい、仮に悪いデキモンやとしても、年寄りはあんまり悪くならへんらしいやんか。若いモンと違うて病気も元気ないねん。ほれ、しっかりせんかいな、情けない」

「……姉ちゃんはホンマに能天気やなぁ。うらやましいわ」

 厳ちゃんは思わず苦笑いした。

「そらまあ、そうやな。とにかく入院の準備もせなあかんし、店の事、明恵に頼みたいんやけど」

「そんなん困るわ」

 明恵は間髪を入れずに拒否した。

「私が毎日一人で店の事をできるはずないやろ。調理はともかく接客は苦手や。わかってるやろ」

 無口な明恵にしては長いセリフだった。よっぽど嫌なのだろう。

「せやけど、ずうっと閉める訳にもいかんし」

 厳ちゃんは渋い顔になった。もちろん明恵が接客を苦手としているのはわかっている。しかし、この店は地元の常連客で持っていると言ってもいい。これから先、入院して手術して、また入院して、通院して……などと言うとぎれとぎれの営業では常連客も離れてしまう。

「なあ、明恵。頼むわ」

「あかん」

「なあて……」

「あかんもんはあかん」

 明恵は頑として首を縦にふらない。何度か同じやりとりとしていたが、どうも埒があかない。だんだん厳ちゃんの声が険しくなってきた。

「こんなに頼んでんのにあかんのか? なんでやねん!」

「うちがずっと接客なんかしたら、ほっといても客は離れるわ」

 突き放すような言い方だ。

「なんでそんな事!」

 滅多に怒らない厳ちゃんの顔が赤く染まる。明恵はついっと身をひるがえし、流しに向かい無言で皿を洗い始めた。

 険悪な空気。それとは対照的なカントリー調のBGMが空々しく流れる。

「やれやれ……」

 静子が顔をしかめた。

「ほんまにどないもしゃあないな、あんたらは。ほんなら明恵はんがまかないをすればエエ。客の相手はうちがしたる」

「はあ?」

 厳ちゃんの口がぽかんと開き、流しでは明恵が持っていた皿を一枚落っことした。

「うちはまかないはようせんけど、客相手は大丈夫や。なんせ若い頃は饅頭屋の看板娘やったんやからな。あんたは知らんやろけど、うち目当ての客も多かったんやで」

 えへんと胸を張る。

「あ、あのなぁ、姉ちゃん。気持ちはありがたいけど」

「なんや? 不服か? ここの常連客のおおかたは知ってるで。皆うちにはよう声かけてくれるしな。厳ちゃんよりもうちの方がよう喋ってるわ」

「そらまあ、そうやけど……」

 お化け屋敷やと思われるで……という言葉を厳ちゃんは必死で飲み込んだ。そんな事を言おうものならえらい事である。持っている杖で殴られそうだ。

「姉ちゃんかて歳やから。毎日ここで仕事なんて、なあ。体力が持たんやろ」

「何言うてんねん。失礼な」

 静子は憤懣ふんまんやるかたなしといった表情でどんっとカウンターをたたいた。

「毎日一時間は歩いてるし、階段かて平気の平左衛門や。こないだはいきいきサロンで江州音頭ごうしゅうおんど踊ってんで! 知ってるか? いきいきサロンでリポビリもしててな、リポビリの先生に『静子さんの体力は六十、いや、五十代や』って誉められたんやで」

「……それを言うならリハビリやろ」

 厳ちゃんはくらくらしながら突っ込む。

 確かに静子の体力はすさまじく自分の興味のためなら平気で一日出歩いているし、喋りのうまさはさすがに若い頃店先で鍛えただけの事はあるとは思っている。たまたま腰痛がひどくなった時期に申請した介護保険でさえ認定がされなかった。もっとも知人親戚一同は「この人が認定されたら、詐欺やと思われるやろ」と納得していたが。件の腰痛も何度か整骨院に通っただけで治ってしまった。元気すぎて、不死身ではないかと思うくらいだ。しかしながら、どこの世界に八十五歳のばあさんをあえてウエイトレスに雇う店があろうか。

「あんた、うちの事ババアやから嫌なんやろ」

 図星である。

「失礼やな。酒かて古い方が値段高いやろが。女かて古い方が味わいがあるっちゅうもんや」

「……それは違うような気もするけどな」

 厳ちゃんは頭を抱えた。どうすればこのじゃじゃ馬ばあさんを思いとどまらせる事が出来るのだろうか。

「お姉さん」

 黙って洗い物をしていた明恵が振り向いた。

「お願いしますわ。その方が私も助かるし」

「あ~き~え~」

 厳ちゃんが卒倒しそうな顔で妻を見つめた。

「せやけどお姉さんだけやったら万一なんかあったら困るし、茜ちゃんに手伝うてもらわれへんやろか」

 茜とは静子が同居している息子夫婦の長女、つまり静子の孫だ。この春から大学二年生である。

「短い時間だけでもエエから。茜ちゃんとお姉さんと交代で入ってもらったらエエんとちゃう?」

 静子は横目で明恵を見た。万一なんかあったら困るて、それはどういう事や。ここで倒れて死んだら困るってことか? と心の中で呟く。

「そ、そやな。茜ちゃんやったら若いし、別嬪やし。手伝うてもろうたらこちらも大助かりや」

 厳ちゃんの顔がぱっと明るくなった。

「今夜直接茜ちゃんに頼みに行くわ。姉ちゃん、ちらっと言うといてくれよ」

 静子は少々ご不満である。高齢であるというだけで全く信頼されないというのは侮辱だ。しかし孫の茜が手伝うとなれば心強いことには違いない。それに茜はいわゆる「ばあちゃんっ子」で静子にとっては一番気の合う孫なのである。茜であれば自分も文句はない。

「よっしゃ。言うといたるわ」

 静子は重々しくうなずいた。


<続く>

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