忘れ物
月曜日の朝。九時の時報と共に静子が出勤してきた。
「なんや、姉ちゃん、今日は休むんと違うんかったんかいな」
カウンターでモーニングを作っていた厳ちゃんは目を丸くした。土曜日の早朝に家を出て、帰って来たのは昨日、日曜日の夜遅くのはずだった。疲れきって、てっきり今日は休むだろうと思っていたのだが。
「このところ、よう働いてるやろ? すっかり体力ついたみたいでなぁ。自分でもびっくりや。さ~、今日も働くで~」
静子はいつも通り、白髪をピンクのカチューシャでまとめ、レースひらひらのエプロンに袖を通しながら、がははと笑った。
「……なんや、いつもより化粧が濃いんと違うか」
厳ちゃんは隣で目玉焼きを作っている明恵に囁く。明恵はちらっと静子に目をやったが、すぐに手元に視線を落とした。
「そうでんな」
口元に小さなほほ笑みが浮かんでいる事に厳ちゃんは気がつかなかった。
「ばあさん、えらい今日は綺麗やないか」
常連客がにたにた笑いながら静子に声をかける。
「今日は、と違うで。いつもや、いつも」
腕を組みながら頭の先から足の先まで視線を走らせる。
「いやいや。なんか知らんけど、ちょっとチャウで。さては、男でも出来たか」
静子は一瞬立ち止まった。
ぽっと静子の頬がわずかに染まる。
「……ぽっ? お? 図星か? えええええ、ほんまか?」
自分が言ったくせに常連客が目を丸くして凍りつく。何やら恐ろしい想像が頭の中を駆け巡っているようだ。
静子は爆発したように笑い出した。
「せやせや、彼氏が出来たんや。そういう事にしといたって」
そう言いながら常連客の腕をばんばん叩きまわす。
「痛い、痛いがな。怖い冗談やめてや」
常連客は困ったような顔で一緒に笑いながら、ぷるっと身震いした。
「怖い冗談てなんや、失礼な」
静子は笑いながらカウンターの上に出されたコーヒーカップを常連客の前に置いた。
忙しい一日が始まった。
入れ替わり立ち替わり、モーニングの客が入っている。その客に賑やかな大阪のおばちゃんトークと笑顔を振りまきながら、静子は店の中をうろうろと動き回る。
昼前になってちらっと静子は時計を見た。
「……笑子はん、遅いな」
いつもならとっくに出勤しているはずの笑子がまだ来ない。そろそろランチのお客さんが入ってくる頃だ。エミリーがいないと寂しがるお客も多い。
「休むとは聞いてへんけど」
明恵も時計を見て首をかしげる。
「ちょっと様子見てきますわ」
明恵はエプロンを外し、店の外へ出て行った。
「腰でも痛めたかな。元々神経痛持ちやしな、笑子はん」
厳ちゃんはそう言いながらランチの準備を進める。静子も時々扉の方を窺がいながら常連客と笑いながら話をしていた。
しばらくして明恵が帰って来た。
「お姉さん、笑子さん、今日は休みや。しばらく来られへんわ」
扉を開けるなり明恵はぶっきらぼうにそう言った。
「どないしたんや、風邪でもひいたんかいな」
「昨夜、倒れて入院したらしいわ」
「え?」
店にいた全員が一斉に明恵を見る。
「こけたんかいな?」
寝ぼけてふらふら歩いてひっくり返って骨でも折ったか。誰もがそんな事を想像する。
「いや、急に苦しい言うて。救急車で運ばれたそうや」
「……」
チ~ン。
どこかで鈴がなったような気がした。
<続く>




