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婚約者は別の令嬢と婚約したいらしく、「君は死んだことになってもらえないだろうか」と言っております

作者: yurihina
掲載日:2026/09/06

「すまないデイジー……君を死んだことにしようと思う」


 ピピン様は大真面目な顔でそう言っている。冗談ではないらしい。


「えーと……死んだことにする、というのは?」

「いや、大丈夫だよ。実際に死ぬ必要はないんだ。死んだことにするだけなんだ」


 そう言って安心させるように身を乗り出してくる。そこを聞いたわけではないし、それが大丈夫な気がしない。


「そうすると、どうなるのです?」

「僕はベロニカと相思相愛だ。将来的には、彼女との婚約を考えている」

「そうですか」

「だけど、君との付き合いももう二年になる。そして将来を誓い合った仲だった。そんな君と婚約を解消すれば、僕は婚約者を捨てた男として見られる。ベロニカも、君から婚約者を奪った女だと非難されるかもしれない」


 そこまでは事実だ。婚約の解消自体は特に珍しくはないが、理由もなく解消して相手を変えたとすれば少なからず噂にはなる。彼はさらに声を落とした。


「もちろん、君もつらい立場になることは分かっている。婚約者を奪われた令嬢として、どこへ行っても同情されてしまう。君のご両親も肩身の狭い思いをすることになるだろう」


 私の両親まで心配しているようだ。一見して相手を気遣っているように見えるところが腹立たしい。


「そこで考えたんだ」


 ピピン様の顔が明るくなった。


「君は病で亡くなったことにする。そうすれば僕は婚約者を捨てた男ではなく、婚約者を失った男になる。ベロニカとのことも、しばらく間を置けば不自然には見えない」

「私はどうなるのでしょう」

「国外へ行けばいい。名前を変えれば、誰も君だとは気づかない。生活費は僕が用意するよ。君なら、きっと新しい土地でも幸せに暮らせる」


 私は膝の上で手を組み直した。


「つまり、私は病死したと発表され、両親や友人とも会えなくなり、名前を捨てて国外で暮らす。ピピン様は婚約者と死別したことになり、いずれベロニカ様と婚約なさる」

「そうだ」

「それが、私のためでもあると?」

「ああ。君を不幸にしたくないんだ」


 あまりにも悪びれないので、しばらく言葉が出なかった。この様子では、何を言っても無駄そうだ。


「死亡の発表が終わるまで、僕は王都を離れる。郊外の別荘へ行き、人目を避けて過ごすつもりだ」

「なぜピピン様が隠れるのですか?」

「僕が普段どおり出歩いていれば、婚約者が重病だという話を疑われるかもしれないだろう。君の最期に付き添っていることにした方が自然だろう。こちらは父上への手紙だ。婚約の終了と、死別に必要な説明や手続きについて、君の指示に従ってほしいと書いてある」


 鞄から取り出された封書には、ピピン様本人の署名だけでなく、家の印まで押されている。異常な方向へ進むための準備だけは丁寧だったことは感心だ。


「僕が戻るまで、必要なことはすべて君に任せる」

「死亡の発表も、葬儀も、名簿の整理も、すべて私に任せてくださるのですね?」

「ああ。君なら間違いなく処理できる」


 用意周到なのもすごいけれど、死んだことになる本人に、その手続きをさせようという思考回路はもっとすごい。


「承知いたしました」


 一応この場は承諾したことにしとこう。


「ありがとう、デイジー。やはり君なら分かってくれると思っていた」


 殴りたい。


 その日のうちに、ピピン様は郊外の別荘へ向かった。


      ◇


 ピピン様が王都を離れたあと、私は両親とともに彼のお屋敷を訪ねた。応接間で事情を説明している間、ピピン様のお父様は一度も口を挟まない。ただ、時折眉だけがぴくりと動くのがちょっと怖い。


「息子は、本気でこれをデイジー嬢のためだと考えているのか」

「私の評判や、両親が肩身の狭い思いをすることまで心配してくださいました」

「あの馬鹿が……」


 私が預かっていた封書を差し出すと、黙って目を通し、家の印と息子の署名をしばらく見つめていた。


「死別が望みならそうしよう。……ただし、死者がデイジー嬢である必要はない」


 彼は書簡を折り直し、封筒へ戻す。


「これは私が預かる」


 その日の夕方、私がまだ侯爵家にいるうちに、使用人たちが葬儀に使う黒い布を運び始め、少し遅れて白い花も届いた。


      ◇


 数日後。侯爵家で葬儀が執り行われるその日、ピピン様が黒い喪服姿で現れた。侯爵家の門には黒い旗が掲げられ、玄関前には弔問客の馬車が並んでいる。屋敷へ入ってきたピピン様は、白い花を抱えた人々を見回し、満足そうだ。


 私と目が合うまでは。


「デイジー? なぜ君がここにいるんだ」

「ご葬儀に参りました」

「誰の?」


 私は答えなかった。彼の視線が、私の向こうへ移ったからだ。広間の奥には黒布を掛けた祭壇があり、その脇を白い花が囲んでいる。その中央にある大きな肖像画に描かれているのは、正装したピピン様だ。


「……なぜ僕の肖像画があるんだ?」


 さっきまでの声ではない。


「お前の葬儀だからだ」


 祭壇の前から、ピピン様のお父様の低い声が返ってくる。ピピン様はもう一度自分の肖像画を見上げ、今度は私へ向かって叫ぶ。


「待ってくれ。死ぬのはデイジーの方だ!」


 弔問客の間にざわめきが広がり、お父様の眉間にまた皺が寄る。


「なぜデイジー嬢が死なねばならん」

「だから、これは皆の評判を守るためで――」

「書簡は読んだ」


 それだけで、ピピン様の口が止まった。


「デイジー嬢からも聞いた。最初から最後までな」


 今度は私へ顔を向ける。


「君が父上へ何を言ったんだ?」

「聞かされたことを、そのままお伝えしました」

「そのまま?」

「私を病死したことにして国外へ出す。名前を変えて暮らさせる。ピピン様は婚約者と死別したことになり、いずれベロニカ様と婚約する。そのために必要な手続きは、すべて私へ任せる」


 ピピン様の顔が引きつった。


 何一つ足していない。


「僕は、君のためを思って――」

「余計にたちが悪い」


 お父様の声は低かった。


「取り消してください。僕はここにいる。生きているじゃないですか」

「ご安心ください。実際に死ぬ必要はございません。死んだことにするだけですから」

「そんな馬鹿な話があるか!」

「お前がデイジー嬢へ勧めた話だ」


 そう言われて黙り込み、祭壇に飾られた自分の肖像画を見つめるピピン様がシュールで笑えた。葬式なのに、堪えるのが大変だ。


 やがて何かを思い出したように口を開く。


「父上。こんなものはすぐに片づけてください。僕の部屋で話を――」

「もうお前の部屋ではない」

「何ですって?」

「弟が使っている」

「なぜです!」

「次の侯爵だからだ」


 その言葉を受け、みるみる顔から血の気が引いていく。


「僕が後継者のはずです」

「死者に家は継げん」


 私への謝罪より先に、まずそこなんですね。


「では、騎士団は? 僕が担当していた仕事があるでしょう」

「団には死亡を届けた。仕事は弟へ引き継がせてある」

「そんな勝手なことが――」

「貴族名簿からも、昨日お前の名が外れた」


 さすがに次の言葉は出てこない。しばらく屋敷の中を見回していたが、ふと何かを思い出したように眉が動いた。


「……僕の財産は?」

「そこへ気づくのが遅かったな」


 お父様は祭壇の前から動かなかった。


「相続の手続きに入っている」

「僕は生きている!」

「ならば、そのように王家へ届け出ればよい」


 強張っていた顔が少し緩む。どうやら、これですべて元へ戻ると思ったらしい。弔問客の中を見回した彼の視線が、白い花を抱えたベロニカ様で止まる。


「ベロニカ。君からも父上へ言ってくれ。これは僕たちのために必要だったことなんだ」


 ベロニカ様は、その場から動かなかった。


「わたくしは、デイジー様とはきちんとお話をして、円満にお別れになると伺いました」

「だから、誰も悪く言われないように――」

「亡くなったことにするのが、円満なお別れなのですか?」


 ピピン様の口が止まった。ベロニカ様は抱えていた花へ目を落とし、それから私を見た。


「このようなお話だとは、何も知りませんでした」

「ベロニカ、待ってくれ。説明すれば――」


 ベロニカ様は、抱えていた白い花を祭壇の前へ置いた。


「わたくし、死者と婚約するつもりはございません」

「ベロニカ……?」


 返事もせず、ベロニカ様は私へ一礼して屋敷を出ていった。ピピン様はしばらく扉を見ていた。やがて諦めたように祭壇へ顔を戻す。


 そこには、白い花に囲まれた自分の肖像画。


「……生存の届けを出します。王家へ申請すればいいのでしょう?」

「ああ」


 思ったより簡単に認められ、ピピン様の顔にわずかな安堵が浮かんだ。


「では、すぐに手続きを――」

「生きていたと訂正するなら、なぜ死んだことになったのかも説明が要る」


 ピピン様の動きが止まった。お父様は懐から、あの書簡を取り出した。


「これを添えれば話は早い」

「待ってください」

「お前自身の署名も、家の印もある」

「そんなものを出したら、僕がデイジーを……」


 そこで言葉が途切れた。


「続きを言え」


 ピピン様は何も言わなかった。


「そんなことを知られたら、僕の評判は終わります」

「ならば、死者のままでいればいい」

「父上は……僕がどうなってもいいのですか?」

「どうなってもいいのか……だと?」


 そこでとうとう、お父様が怒鳴った。


「お前は、こんな馬鹿げた真似をして我が家がどう見られるか、一度でも考えたのか!」

「父上、僕は――」

「黙れ!」


 ピピン様の声を一喝で押し潰す。


「何の罪もない婚約者を死者にして、自分だけ何食わぬ顔で戻ってこられると思ったのか! そんな恥さらしを後継ぎにしておけるか!」


 お父様は祭壇を指さした。


「この家にはいらん。消えろ!」


 広間が静まり返った。ピピン様は、白い花に囲まれた自分の肖像画を見つめていた。


      ◇


 数週間後、侍女からピピン様が王都を出たと聞いた。


「生存の訂正は申請なさらなかったそうです。家名を捨て、名前を変えて国外へ向かわれたとか」


 どこかで聞いたような話だった。まあ、彼なら大丈夫だろう。知らない新しい土地でも、きっと幸せに暮らせる。ご本人が、そうおっしゃっていたのだから。


 私は紅茶を一口飲んだ。


「ざまぁみろですわ」

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― 新着の感想 ―
これは消されるなw
生きてる価値のないクズだな 本当に死なないだけありがたく思えよとしか言いようがない
生かしておくと更にとんでもないことを他国でやらかしそう。国を出る前に処した方がいいんじゃない? パパさん?w
感想一覧
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