第49話:過去からの監査、あるいは復讐の鑑定士
第49話:過去からの監査、あるいは復讐の鑑定士
旅の終着点として、俺とリリアが辿り着いたのは「はじまりの村」だった。
かつて俺がこの異世界に降り立ち、右も左も分からぬまま「鑑定EX」を初めて起動した場所。あの頃の俺は、ただ生き残ることに必死で、自分がやがて世界を統治する「魔王」になるなんて夢にも思っていなかった。
「……懐かしいですね。あそこの宿屋で、あなたは初めて私に『労働条件』を提示したんですよ」
リリアが隣で、少し恥ずかしそうに微笑む。その穏やかな時間が、ずっと続くのだと信じていた。
だが、村の入り口まであと数百メートルという地点で、俺の足が凍りついた。
「――待て。何かがおかしい」
俺の肌を刺したのは、かつてアルヴァレスの管理局を覆っていた、あの不気味なほど冷徹な魔力の波動だった。無機質で、一切の感情を排した、純粋な「計算」の気配。
次の瞬間、はじまりの村全体を、巨大な六角形の幾何学模様が覆い尽くした。
「これは……アルヴァレスの絶対管理障壁か!? なぜこんな場所に!」
「――お待ちしておりましたよ。偉大なる魔王、レオン・アルヴァレス様」
障壁の奥、村の中央広場から、歪んだ声が響いた。
現れたのは、漆黒の法衣を纏った一人の男。痩せこけ、執念だけを燃料に生きながらえているようなその姿に、俺は見覚えがあった。
「ゼノス……。お前、生きていたのか」
ゼノス。俺が魔王として君臨していた初期、最も優秀な「演算官」として俺の傍らにいた男だ。だが彼は、俺の掲げる『最適化』の熱狂に当てられ、いつしか「不要な民は切り捨てるべきだ」という過激な思想に染まっていった。
俺は当時の鑑定結果に基づき、彼を『危険因子・適正なし』として全ての権限を剥奪し、精神を破壊して荒野へ追放したはずだった。
「ええ、生きていましたとも。あなたがゴミのように、一行の『鑑定ログ』だけで捨て去った、この『無能』な命ですがね」
ゼノスの瞳が、禍々しい赤色に発光する。その周囲には、数千、数万という黒い文字の羅列――「悪意の鑑定EX」が渦巻いていた。
「あなたが捨てた魔王の力の『残滓』を、私は何年もかけてかき集めた。そして気づいたのですよ。……あなたの『鑑定』は、情に流されて甘くなった。今の世界は非効率に満ちている。だから私が、あなたの理論を極限まで突き詰め、完成させてあげたのです」
ゼノスが指を鳴らすと、家々から村人たちがゾロゾロと這い出してきた。だが、その瞳に光はない。全員の首には、魔力の脈動を刻む「呪いの首輪」が嵌められ、絶えず彼らの精神を一定の『幸福度』に強制固定していた。
「見てください。誰一人泣いていない。誰一人争わない。私が彼らの心音、呼吸、そして流れる血の一滴までを完全に『さだめ』として支配し、管理しているからです。……これこそが、あなたがかつて夢見た、究極の白き世界ではないですか!」
「……違う。そんなものは、ただの死体置場だ!」
俺の声に、ゼノスは嘲笑を返した。
「ふん、現場を知って、すっかり弱腰になりましたね。……ですが、手遅れですよ。私はすでに、あなたがセドリックに譲渡したアルヴァレスの権限を、裏口から強制的に上書きさせてもらいました」
ゼノスが天を指差すと、上空で星のように輝いていた浮遊大陸アルヴァレスが、ドス黒い赤色に変色し、激しく震動し始めた。
「――今から一時間後、アルヴァレスはその浮遊魔法を解除され、この『はじまりの村』を目掛けて自由落下を始めます。……あなたがかつて作った理想の城が、あなた自身と、この不完全な世界を押し潰す。最高の皮肉だと思いませんか?」
「な……っ!?」
衝撃が俺を襲う。
アルヴァレスが落ちれば、この大陸の半分が消し飛ぶ。
セーフティネットとして残したはずの俺の遺産が、世界を滅ぼす質量兵器へと変えられてしまった。
「……俺が蒔いた種か。……全部、俺が『無能』だと切り捨てた過去のツケが、今ここに来たのか……」
俺は膝をつきそうになった。
俺にはもう、空を飛ぶ魔力も、障壁を打ち破る権能もない。あるのは、ドミニクの町で擦りむいた掌と、泥だらけの冒険者の杖だけだ。
「レオンさん……!」
リリアが後ろから俺の背中を支えた。彼女の体も震えている。だが、その瞳には強い意志の光が宿っていた。
「負けないでください。……過去のあなたが間違っていたなら、今のあなたがそれを直せばいいだけです。……私たちは、そのために旅をしてきたのでしょう?」
「……リリア。……ああ、そうだな。俺は、もう一人じゃないんだった」
俺はゆっくりと立ち上がり、杖を握り直した。
ゼノスの瞳に、赤い鑑定文字が走る。
「無駄ですよ。今のあなたの『生存確率』、そして『世界救済の成功率』を鑑定してあげましょうか」
『鑑定結果:0.00%――。絶望をお楽しみください、元魔王様』
ゼノスが放つ漆黒の雷撃が、俺たちを飲み込もうと迫る。
だが、その時。
俺の杖の先端に付いていた、ウルの鈴が――チリン、と清らかに鳴り響いた。
「……ゼノス。お前の鑑定は、一見完璧に見えるが、決定的に甘いな」
俺はリリアの手を強く握り締め、真っ直ぐに前を見据えた。
「お前は、数字だけを見て、その裏にある『残業の底力』を計算に入れていない。……俺たちは、ブラックな絶望を何度も乗り越えてきた社畜なんだよ。……0.00%なんて数字、一晩徹夜すればひっくり返せる誤差だ!」
俺の心の中に、ドミニクの泥の温かさが、カイルの拳の痛みが、そしてリリアの愛の熱さが、どんな数値よりも強力な「熱源」として宿っていた。
「リリア。……最後の大仕事だ。……全人類の未来をかけた、『最終監査』を始めるぞ」
「はい、レオンさん! 指示をお願いします!」
アルヴァレス落下まで、あと六十分。
俺とリリアは、迫りくる絶望の嵐の中へ、迷いなく駆け出した。




