第44話:裏切りのブラック王国、あるいは魔王のヘッドハンティング
第44話:裏切りのブラック王国、あるいは魔王のヘッドハンティング
レオンが「管理」を緩め、地上の主権を人々に返還し始めたという報せは、瞬く間に大陸中を駆け巡った。
これを「魔王の反省」と好意的に受け止める平民たちがいる一方で、牙を研いでいた連中がいる。レオンによって利権を奪われ、僻地へ追いやられていた旧王国の残党貴族たちだ。
「……クハハ! 見ろ、あの臆病者を! 民に謝罪などと、魔王も焼きが回ったものよ!」
旧王国の残骸、泥濘に沈んだ地下要塞。
かつてレオンを追放した急先鋒の一人、エドワード元侯爵は、酒杯を煽りながら醜悪な笑みを浮かべていた。彼の周囲には、既得権益の復活を夢見る落ちぶれた貴族たちが集結し、かき集めた数千の私兵を訓練させていた。
「今こそ立ち上がる時だ! 魔王の監視が消えた今、再び我らが民を『正しく』支配し、搾取――いや、徴税するのだ! 逆らう平民は皆殺しにせよ!」
彼らは、レオンの慈悲を「弱さ」と見誤っていた。
彼らは知らなかった。レオンが捨てたのは「恐怖による支配」だけであり、その「鑑定」と「合理性」は、以前よりも遥かに鋭く研ぎ澄まされているということを。
***
「……レオン様。エドワードたちの動き、完全に掴みました。……鑑定EXによれば、あそこに集まっている私兵たちの士気は『絶望的(Eランク)』。給与は三ヶ月未払いで、食事は一日にパン一切れだそうです」
アルヴァレスのモニターを見つめるリリアが、冷ややかな声で報告する。
レオンは、かつての魔王の椅子ではなく、簡素な事務机に座り、万年筆を動かしていた。
「……三ヶ月未払いか。それは労働基準法違反だな。……よし、リリア、フェニカ。武器は持たなくていい。代わりに、これを持っていくぞ」
レオンが差し出したのは、魔法で複製された数千枚の「チラシ」だった。
***
翌朝。
エドワード元侯爵が、私兵たちを鼓舞して進軍を開始しようとした、その時だった。
空から、ひらひらと無数の紙片が舞い降りてきた。
「なんだ? 魔王の呪いか!?」
怯える兵士の一人が、その紙を手に取る。そこに書かれていたのは、恐ろしい呪文ではなく、目を疑うような「募集要項」だった。
【緊急募集:アルヴァレス直轄・地域保安スタッフ】
基本給: 現行の5倍(即日支給)
福利厚生: 三食昼寝付き、魔法による怪我の完全治癒、家族の住居保証
勤務時間: 8時間労働(残業代1.5倍、深夜2倍)
特別手当: 旧主君(ブラック雇用主)からの退職代行サービス無料
* 備考: 今すぐ武器を捨てて左側のゲートへ。温かいシチューが待っています。
「な、なんだこれは……! 三食昼寝付きだと……!?」
「三ヶ月未払いの俺たちに、この条件は……っ!」
兵士たちの目が血走る。
そこへ、上空から穏やかな、だが隅々まで通るレオンの声が響いた。
「――地上の兵士諸君。鑑定の結果、君たちの現在の労働環境は『生存権を脅かす過酷なブラック』であると判定した。……君たちの忠誠心は、その無能な雇用主には勿体ない」
レオンがリリアとフェニカを連れ、ゆっくりと空から降り立つ。
エドワード元侯爵が顔を真っ赤にして叫んだ。
「おのれレオン! 貴様、卑怯な真似を! 兵ども、何をボサっとしている! その男を斬れ! 斬らねば家族を殺すぞ!」
その言葉が、決定打だった。
レオンは冷徹な瞳でエドワードを見据え、パチンと指を鳴らした。
「鑑定EX、……不当労働契約の強制解除。……および、人質の安全確保」
瞬時に、私兵たちが握っていた剣が砂となって消え、代わりに彼らの懐に「前払いの金貨」が転送された。
同時に、エドワードの背後にいた影たちが、空間転移によって消え去る。彼らが人質に取っていた兵士の家族は、すでにアルヴァレスの保護下へ移されたのだ。
「……さあ、選べ。……無能な上司の下で飢えて死ぬか。……それとも、私の下で『適正な報酬』を得て、人間らしく生きるか」
数秒の沈黙の後。
五千人の私兵が、地響きのような勢いでエドワードに背を向け、レオンの用意した転移ゲートへと走り出した。
「シ、シチューだ! シチューを食わせろー!」
「有給休暇! 有給休暇をくれー!」
戦場は、一瞬にして「就職説明会の会場」へと変貌した。
「な……。待て! 戻れ! 貴様ら、裏切るのか!?」
一人取り残されたエドワードの前で、レオンは事務的に手帳を開いた。
「……エドワード元侯爵。君の罪状は、不当搾取、賃金未払い、および児童労働の強制。……残念ながら、君のような『ブラック経営者』を再雇用する枠はない。……君には、君が今まで人々に強いてきたのと同じ環境で、一から『労働の価値』を学んでもらう」
「ひ、ひぃぃぃ……っ!」
エドワードが腰を抜かす中、フェニカが彼を指差して笑った。
「残念でしたー! レオンの『鑑定』は、嘘もブラックも全部お見通しなんだからね!」
***
夕暮れ時。
アルヴァレスの食堂では、五千人の元兵士たちが涙を流しながらシチューを貪っていた。
リリアは、その様子を眩しそうに見守るレオンの隣に立ち、そっと微笑んだ。
「……力でねじ伏せるよりも、ずっと効果的でしたね。……『ホワイトな条件』が、一番の武器になるなんて」
「ああ。……恐怖で縛るよりも、希望で釣る方が……いや、希望を与える方が、組織としての定着率は高いからな」
レオンはそう言って、少しだけ、かつての社畜時代にはできなかった「経営者」らしい顔を見せた。
旧時代の悪意は、レオンの「圧倒的な福利厚生」の前に跡形もなく消え去った。
だが、レオンは知っている。
このシステムが自分がいなくても回るようにしなければ、真の解決にはならないことを。
物語は、ついに「後継者の選定」と「レオンの旅立ち」を描く最終盤へと加速していく。




