第42話 再起動の産声、あるいは土の匂い
第42話:再起動の産声、あるいは土の匂い
アルヴァレスから放たれていた監視の光が消えて、三日。
地上では、人々が戸惑いと不安の中にいた。管理され、幸福を強要される生活に慣れ始めていた人々にとって、突如訪れた「自由」は、あまりに重く、心細いものだったからだ。
そんな中、旧王国の広場に、一筋の光と共に三人の男女が降り立った。
レオン・アルヴァレス、リリア、そしてフェニカ。
かつて世界を恐怖させた漆黒の衣装ではなく、どこにでもいる冒険者のような、くたびれた旅装に身を包んだレオンの姿に、民衆は息を呑んだ。
「……魔王だ。魔王が、直接殺しに来たぞ!」
怯える民衆。だが、レオンは武器を構えるどころか、ゆっくりとその場に跪いた。
その瞳には、もはや『鑑定EX』の無機質な光はない。
「……皆、聞いてほしい。私は、君たちの主権を奪い、心を数値で測るという、取り返しのつかない罪を犯した」
レオンの声が、魔法の拡声なしで広場に響く。
「私が作ろうとした『ホワイトな世界』は、ただの独りよがりな幻想だった。……君たちを、意思のない部品として扱った。……本当に、申し訳なかった」
地上の土に額を擦りつけるレオン。その姿に、民衆は唖然とした。
世界最強の魔導師が、自分たちのような平民に頭を下げている。
「レ、レオン様……っ」
背後に控えるリリアが、唇を噛んでその背中を見つめていた。
彼女の腕には、あの日負った火傷の跡が残っている。だが、それは彼女にとって「レオンを取り戻した証」であり、誇りでもあった。
「……だが、私は無責任にすべてを放り出すつもりはない」
レオンは顔を上げ、集まった人々を見渡した。
「アルヴァレスは存続させる。だが、それは君たちを『管理』するためではない。……理不尽な搾取、病、抗えない天災。……それらから君たちが立ち上がるための『支え(セーフティネット)』として、システムを作り変える」
「そんなこと……本当にできるのか? また俺たちを監視するんじゃないのか?」
一人の若者が、震える声で問いかける。
レオンは、穏やかに首を振った。
「監視ではなく、支援だ。……鑑定EXを、君たちの欠点を探すためではなく、君たちが『何に悩み、何を求めているか』を、君たち自身が知るための助けとして提供する。……幸せの形を決めるのは、私ではない。君たち自身だ」
レオンは、かつて自分が無理やり配布した「幸福度端末」を、魔法で書き換えていった。
それは一方的に命令を送る道具から、困った時に助けを呼び、互いに協力し合うための「ギルド・ボード」へと変貌していく。
「……私は、このシステムが自律して回るまで、全力で後始末をする。……そして、この世界に相応しい、人々の心に寄り添えるリーダーを、君たちの中から選び出すつもりだ」
***
その夜、野営の焚き火を囲みながら、レオンはふっと息を吐いた。
鑑定EXに頼らず、自分の頭で一から政策を考える。それは、かつての社畜時代よりも遥かに重労働だった。
「……疲れましたか? レオン様」
リリアが温かいスープを持って隣に座る。
かつて王宮で出されていた豪華な料理ではない。野草の香りがする、どこか不器用な味。
「……ああ。……だが、不思議と心は軽い。……数値では測れない、土の匂いや、火の暖かさを感じられるのが……こんなに贅沢なことだったなんてな」
レオンがスープを口にする。
その横顔を見て、フェニカがウルを抱き上げながら、いたずらっぽく笑った。
「ねえ、レオン。さっきの演説、ちょっと格好良かったよ。……でも、リリアが一生懸命止めてくれなかったら、今頃あんた、まだ空の上で寂しく数字数えてたんだからね?」
「……分かっている。……私は、独りでは何もできない無能な経営者だったよ」
自嘲気味に笑うレオンに、リリアはそっと自分の手を重ねた。
「……無能なんかじゃありません。……あなたは、誰よりも一生懸命な『新入社員』に戻っただけです。……私たちの冒険は、ここからやり直しですね」
リリアの手の温もりに、レオンは今度こそ、逃げずに触れ返した。
魔王は「人」へと戻り、世界は「管理」から「自立」への、長く、険しい、けれど希望に満ちた一歩を踏み出した。




